前回写真を撮っていなかった檀上伽藍~奥ノ院までをもう一度歩き、無事すべての町石の写真を撮ることができました。
その後、女人道を歩いて、高野七口のうち、六口の女人堂跡も歩いてきました。ここは歩いている人はほとんどいなかったものの、道は整備され、道案内の看板もしっかり立っていたので、迷うことなく歩くことができました。
シングルおやじの気ままな一人旅
歩人かっちゃんは今日もどこかの旧街道を歩いてます
かわいそうに、今でも熊の出る道を女の身で歩かされて、剛健かっちゃんなら兎も角……
それにしても爆竹か発煙筒ぐらい持って行ったほうがいいんじゃないですか。
女人道は現在でもあまり人が歩いていないようで、整備はされているものの、
細い山道が一本あるだけの道でした。
当時はもっと厳しい道だったのでしょうね。
熊やそれ以外の猛獣、蛇もたくさんいたと思います。
それでも困難をものともせず、高野山に少しでも近づきたいと思う女性が数多くおられたのでしょうね。
すごい気迫ですよね。
清姫のような怖い存在になってしまうのは困りものですが、でも信念を持って突き進む気持ちは古今東西を問わず、大切なものだと思います。
私のようにやわな人間にとっては憧れさえ感じます。
愛知の麻生です。以下質問ですがお願いします。以前に日田往還、山家から日田市、中津まで歩きましたが、正確に旧道を歩いているか現在検証中です。資料は山家から大分県境までは朝倉市から入手のルート地図、日田から中津までは、中津しもげ商工会から入手のルート地図(かっちゃんさんから紹介)で検証しています。問題は大分県境から日田市の永山布政所までのルート地図が入手できていないことです。日田市に連絡しましたが正確なルート地図はありませんでした。かちゃんさんが歩かれた時に参考にされた資料、ルート地図を教えていただけませんか。よろしくお願いします。
お問い合わせの件ですが、私は日田市役所教育委員会から資料をいただくことができました。
麻生さんも日田市にご連絡をされたそうですが、教育委員会にご連絡をされたのでしょうか?
記事を改めて読み直してみたのですが、朝倉街道は道ははっきりしていて、とても分かりやすい街道だったことを思い出しました。
歩かれた後もきっちりと検証をされていて、素晴らしいですね。
これからもがんばってください。
かっちゃんさんが歩いた北陸道という大きな街道は、これよりずっと山側にありましたので安宅の関は記事にありませんでした。
勧進帳で有名な安宅の関は歴史的な実在性は今一つはっきりしていないようですね。
私自身、小松を通るときも全く意識していませんでした。
現在は安宅住吉神社境内に安宅の関跡があって、石川県の史跡となっているようですね。
はなこさんのおかげで、また一つ勉強になりました。
ありがとうございます。
熊野だ熊野だ、かっちゃんさん通っているはず!と野次馬に変身。
そうしたらそのすぐ北で旧道は山の中に、168号線は川筋へと南下してました。
落石のあった川筋の道はストリートビューでも怖い道でした。
旧道はそうやって経験的に安全な尾根にできたんでしょうね。
川筋の方が楽なのに、とか思ってた私は馬鹿でした。
いつも色々な出来事と私の歩いた痕跡を結び付けていただいて、ありがとうございます。
十津川村は熊野古道小辺路を歩いた時に通ったところで、あまりのアップダウンに腰を痛めてしまって、あと一日というところまで来ていたのに、リタイア。
次に改めて歩きなおしたところで、それだけ記憶に残っています。
昔の人は自然災害に対して、とても敏感で、街道はそういった被害が起こりにくい場所を選んで通っていたことが、実際に歩いてみるとよくわかります。
長崎に馬町というのがあって、馬で運送業をしていたのが住んでたところだそうですが、
その馬が日見峠を越えて日見宿まで行って帰ってきてたとか。この峠はすごい難所で、馬がかわいそうになりました。運送業の馬飼は、御構い無しの非情じゃ無いとなれませんね。
それですぐここに来て日見峠を探したのですが、峠がどこになるのか、わかりません。
くねくね登って来た道が、急に南に下りているのですね。こうなればストリートビューでは、無理です。この山道に入っていくところに芒の句碑もあるんですね?
かっちゃんさんが、2008.9,23に歩いている、薩摩街道の湯浦から新水俣のルートで、津奈木太郎峠は歩かれていません。文章では藪で覆われて歩行困難とあります。それから7年経過していますが、現在も歩行困難のルートでしょうか?昨年、水俣芦北地域観光推進協議会から貰った、薩摩街道、ななうら踏破マップでは、津奈木太郎峠越えのルートが写真入りで載っていて、歩けるように見えます。歩行不可とかの説明はありません。このマップの作成日は不明ですが。峠道の情報が判れば教えて下さい。尚、以前連絡しました、大口筋の鹿児島熊本県境から湯浦、佐敷までのウオーキングイベントは11月22日のようです。私は参加します。これを歩いた後に、薩摩街道の津奈木太郎峠が歩けるようならトライしようと思います。以上、宜しくお願いします。
日見峠はどうもよくわからなくて、記事にも書いていますように、私が歩いた道が街道だったのか、あるいはそうではなくて、あの急坂を下るのが街道だったのか、いまだにはっきりとしていません。
感覚的には急坂を下るほうが旧道だったように思っていますが。。。
とにかくかなりの急坂を下ることは間違いなく、たとえ馬であっても大変な道だっただろうと思います。
芒塚句碑はありましたよ。これは私の目で確認しました。
こちらこそご無沙汰いたしております。
相変わらず精力的に歩かれておられるご様子、何よりのことだと思います。
津奈木太郎峠の件ですが、私が歩いた時に地元の方にお聞きしたところ、藪になっていて歩けないということでした。
確かに出口がどこかもわからないような状態でした。
水俣芦北地域観光推進協議会の資料に写真入りで出ているのであれば、その後整備されたのかもしれませんね。
協議会に問い合わせをされてみてはいかがでしょうか?
結果を教えていただければ幸いです。
11月22日のウォーキングイベントは以前言われていた行事ですよね。
実はこの日は別の予定が入っていて参加できそうにありません。
せっかくご連絡をいただきながら、申し訳ございません。
この旧道は、たぶんその下にも続いてた道で、峠を越えるというと400mで200m登ってたんじゃないでしょうか。
去来は峠を越えてもまだ見送ってついてくる人たちに、ここでいいよ帰りが大変から、とかなんとか言って。
それにしても馬がかわいそう。
早速の情報をありがとうございました。
今確認をさせていただきましたが、かなり大きな催しのようですね。
このような催しが開催されるということは、十分に歩くことができるように整備されたということなのでしょうね。
参加するかどうかはもう少し時間をかけて検討してみようと思っています。
確かにあの坂は相当に急な坂だったことを覚えています。
現在は確か階段になっていましたが、昔のことですから土道だったはずで
それこそ雨降りの日など、滑って大変だったのではないかと思ってしまいます。
昔の人は坂を越えて異国へ旅立つという感覚があったのでしょうね。
薩摩街道を歩かれているとのこと。
津奈木太郎峠は12月6日にイベントがあるといわれていましたが、事前に歩かれたのですね。かなり厳しかったようですが、案内板等は整備されていなかったのでしょうか。
山の中で分岐する道があり、案内板がない場合判断に迷いますよね。
でも、無事に完歩されたようでよかったですね。
私は赤松太郎峠の旧国道から旧道へ入るところで間違ってしまい、そのまま旧国道を歩いてしまいました。
麻生さんは大丈夫だったようですね。
いずれにしてもお疲れさまでした。
昨日行われ、参加しました。鹿児島熊本県境の北、無田地区から三十挺坂南までの、約13kmの距離でした。ルートは世話役の人、地元の人で事前に草刈して頂いたおかげで歩ける歩くことができたルートです。今回は連れていってもらったウオーキングで、私が単独で歩こうとしても歩けないコースです。ガイドが必要です。歩けるルート、歩けなく迂回するルート、林道が分岐するルート、複雑です。
かっちゃんさんには現在のところは、まだお勧めできません。又、一般の人が歩けるようになるには、まだまだ時間がかかると思います。三十挺坂から湯浦までのルートでも、三十挺坂の藪の整備が必要とのことでした。先日歩いた津奈木太郎峠の比ではありません。すごい道で、当然、案内看板もありません。以上が今回の報告です。
大口筋を歩かれたのですね。
距離的にはさほど長くはないようですが、道は全くなくなっていて、世話人や地元の方々の努力で一応整備されたという感じなのでしょうね。
こういった催しが継続的に行われるようになると、次第に道も整備されてくるのでしょうが、現時点では単独行は無理なようですね。
次々と踏破されておられ、いつもすごいなぁと思っていますが、次はどこを歩かれるご予定ですか?
旧街道走破のルートをこの地図とも重ねてみることが出来たら…といつも思います。
あれこれ地図をあっち見たりこっち見たりするには、iPadはやっぱりウィンドウズにはかないません。まぁ、暇だからいいんですけどね、楽しみだし。
何が楽しいかっていうと、どうも車や鉄道の時代と違って、「人間を蟻みたいに思うから」でしょうか。古い時代の人達に哀惜を感じます。
http://maps.gsi.go.jp/#18/35.338728/132.701840
国土地理院の地図は私も時々見ますよ。
YAHOOやGoogleの地図ではよくわからない箇所はこの地図に頼ることがあります。
ただこの地図は現在の目印になる建物等が記載されていないので、実際に歩く際はちょっとわかりにくいケースがありますね。
はなこさんは全国の地図をよくご覧になっておられるようですね。
地図を見ることによって、色々な想像を掻き立てることができますよね。
大いに楽しんでください。
昨日のブラタモリは外出していて、見ていません。
真田特集だったようですね。
沼田のことを調べてみたのですが、三国街道が一番近いようですね。
三国街道は参勤交代の道だったので、この道へ合流したのかもしれませんね。
いずれにしても地図で見ると、相当に山深い道だったのでしょうね。
いずれ一度この道も挑戦してみたいものです。
はなこさんからこうして色々と教えていただくことによって、挑戦しようと思う道が
増えてきます。ありがたいことです。
刈萱関跡、なんてあるからきっと旧街道だったと思うんですが、日田街道朝倉街道とも繋がりません。
水城を超えて南から福岡に入る街道って、ソモソモあったんでしょうか?
日田から博多への街道はあったようで、一度調べかけてそのままになっています。
その道が大宰府を通っていたかどうかは、現在のところ調べていなくて?です。
昔から大宰府も博多もそれなりの賑わいがあったはずなので、この間をつなぐ道は間違いなくあったと思います。
現に元寇の際の防御線が水城に築かれていますからね。