高野七口 相ノ浦道を歩く

2017年03月20日(月)
総歩数:7987歩 総距離:6.4km

2017年03月20日(月)

相ノ浦~高野山

                              晴れ


 この道はコウヤマキの産地として知られる高野町相ノ浦地区と高野山を結ぶ街道で、高野七口のうちでは、もっとも利用が少なかったと言われており、また一番距離が短い街道でもある。江戸時代以前から、近隣からの物資輸送ルートとして利用されていたが、近年では林内道としてその形を留めている。
 織田信長の家臣、佐久間信盛が本願寺との戦いで指揮官を務めた際、積極的に攻撃をしなかった罪を織田信長に問われ、嫡男佐久間信栄とともに剃髪してこの地に蟄居したという。余談だが、信盛は更にその後、高野山さえ追われて熊野に逃亡し、十津川温泉で死去したが、この時従った者はわずかに小者1名のみだったという。その後佐久間信栄が赦免されると、最後まで従った小者は士分に抜擢されたという。
 他の方のHPを拝見すると、高野山からこの道を下ってきて、国道371号線を歩いて高野山に戻るというパターンがほとんどだったので、今回は高野山からタクシーで下り、相ノ浦から高野山まで登ることにした。タクシーの運転手さんに登り口を聞いたが、わからないということで、とりあえず目印である旧高野小学校相ノ浦分校まで行って、ここから登り口まで後もどることにした。
また、今日は昨日一緒に歩いたI君とS君は高野山町内の見学をするということで、私一人で歩くことにした。

 8時52分に相浦分校に着く。
相浦分校
 ここから今来た371号線をさかのぼっていくと、左手の落石除けのネットの切れたところに階段がある。右手にはカーブミラーがあることも目印になる。ここが街道の入り口だ。
登山口1登山口2

 9時6分に街道を歩き始める。
 道は完全な山道で、緩やかな登り道になっていて、コウヤマキの中を進んでいく。
完全な山道
 分岐するところには標識が立っているので、それに従って登っていく。
標識1
 道幅が極端に狭くなっているところがある。土砂が崩落したようだ。右手は急な崖になっているので、注意しながら進んでいく。
道幅が極端
 木の橋がある。このように道はそれなりに整備されている。ここを9時22分に通る。
木の橋
 9時28分に左手に左斜めに上る道が分岐している。これまで歩いてきた道の前方は少し下り坂になっている。ここから左へ分岐して登っていくのだが、ここには標識がないので要注意だ。ここはこれまで進んできた道筋で最初に左へ分岐する場所だ。高野山七口再生保存会の入谷さんに道のことを教えていただいた時、この場所のことを言われたので、注意しながら進んできたので、すぐわかった。この道全体でも唯一注意を要する場所だった。ところが、道を間違わないように気を付けることに集中して、肝心の写真を撮ることを忘れてしまっていました。

 ここからしばらく登坂を進んでいくと、やがて平坦な道になる。
 まだ所々に雪が残っている。
所々に雪が
 その先で左へ分岐する道があるが、ここは直進する。9時53分にここを通るが、ここにも標識はない。
左へ分岐
 更にその先で左へ分岐して下る道があるが、ここも直進する。ここの右手には標識が立っている。このように標識があるとホッとする。10時ちょうどにここを通る。
左へ分岐2左へ分岐3

 その先にも左へ分岐する道があるが、直進する。ここにも標識が立っている。
左へ分岐4
 笠松峠には10時25分に着く。ここも左へ分岐する道があるが、標識に従って直進する。この辺りになると分岐する場所には必ず標識が立っているのでわかりやすい。
左へ分岐5左へ分岐6

 この先から道は下り坂になってくるし、道幅も広くなって歩きやすい。

 左手の木が伐採されており、一気に視界が広がる。山また山だが、天気もいいし、気持ちがいい眺めだ。
景色1景色2
  女人道との交点に11時6分に着く。女人道は右の階段を登る道を通るのだ。
女人道
 ここを過ぎると急な下り坂になり、坂を下り終えたところから人家が建っている。
 右手に成就院を見ながら進み、その先のT字路を右折して金剛峯寺に11時26分に到着する。
 相ノ浦道は道標や石仏が全くない山の中の道だったし、最初に左斜めに分岐するところさえ気を付ければ、あとは標識も立っていてわかりやすい道だった。
 この後、町内を見学していた二人と合流して帰途に着く。

 本日の歩行時間   2時間20分。
 本日の歩数&距離  7987歩、6.4km。(歩数は山歩きのため、正確にはカウントできていないようです)

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