金毘羅参詣道 多度津道を歩く

2021年12月09日(木)
総歩数:25029歩 総距離:17.1km

2021年12月09日(木)

多度津~金毘羅宮

                             晴れ
多度津港から琴平へ向かう道を多度津街道といい、丸亀街道と同じく金毘羅船でやってくる参詣客が多く利用していたが、こちらは西国・九州からの参詣客が多かった。天保年間には多度津藩が多度津港の大改修をしてからは丸亀街道をも凌ぐ賑わいを見せたと言われている。
香川県歴史の道調査報告書第五集「金毘羅参詣道Ⅰ」を参考にした。

8時26分に多度津駅を出発する。
桜川に架かる豊津橋を渡り、次の信号を右折、桜川に架かる極楽橋を渡って左折して進むと、左手に「須賀金毘羅宮」がある。ここは金毘羅山の潮川神事の催されるところで、ここで取られた海の水が、金毘羅宮の神事に奉納されるという。
この北側は幕末から明治に改築なった多度津港で、「ふなば」に上陸した参詣人達は、ここを左手に見ながら金毘羅山への道を進んだという。現在、この神社には旧港沿岸に寄進された常夜燈がすべて移転されており、明和6年(1796)の多度津街道最古の燈籠や、ほかに文政、享和、天保、弘化などの燈篭がある。
須賀金毘羅宮
桜川に架かる金比羅橋を渡って右折すると、左手に多度津商工会議所がある。このあたりに旧船番所があったということなので、ここをスタートとして8時52分に出発する。
商工会議所
歴史を感じさせる旧家が並んでいる道を進んでいく。
旧家
右手に「幸之木神社」がある。家内安全・子孫繁栄・特に子供の神様として霊験あらたかで、現在の社殿は明治36年に造営されたと説明されている。その前に「門前町通り」「堀町へ入ル」と刻まれた道標が立っている。
幸之木神社
右手に北前船で財を成した「合田邸」がある。屋号は「島屋」で、大正末から昭和初期に建築されたという。
合田邸
本町橋に来るが、ここを渡らず右折して進むと鶴橋があり、ここに「右 いやだに道」「左 古んひら道」「右 ふな八」と刻まれた嘉永元年(1848)の道標が立っており、橋を渡った右手に文化と読むことができる常夜燈が立っている。
鶴橋
ここが多度津道の起点ということだ。9時15分にここを通る。
JRの中学踏切を渡って進むと左手水路脇に「献燈」と刻まれた文化14年(1817)の常夜燈が立っている。
文化14年
左手少し入ったところに「三井正八幡神社」がある。ここは平安時代後期の延久5年(1072)道隆寺の祐善が近くの五か所に八幡宮をお迎えして社を造ったが、三井正八幡宮はその中の一つと言い伝えられているという。ここの参道は多度津町指定文化財になっており、文久2年(1862)の鳥居が立っている。
三井正八幡
その先で道は二股に分かれているので、左折し、すぐ先で右折して進む。
11号線を横断した先、左手に「にしいよ道 きたたどつ道」と刻まれた文化6年(1809)の常夜燈と判読できなかったが弘化2年(1846)の道標らしきものがあり、その横に「左こんひ」「天下泰平」と刻まれて途中で折れた鳥居の柱がある。
常夜燈文化6年
道路の右手にも施主の名前が刻まれた同様に折れた柱が残っている。
半分の鳥居
更に道の右手に「左 金ひら道」と刻まれた弘化2年(1846)の道標が立っている。
弘化2年道標
更に道の左手には「無蓋燈」「金毘羅大権現」「右 たどつ道」刻まれたと文化7年(1810)の常夜燈が立っている。
無蓋常夜燈
この四つ角を左折して進み、その先で右折するが、この左手角の民家の庭に資料によると「はしくら道」「左たとつふなハ 往来安全」と刻まれた明治11年の道標がある。
はしくら
高松自動車道の高架下を通って進むと、左手に3本の道標が立っている。真ん中の道標は「遍んろみち 十八丁」と読め、左の道標は文化2年?と刻まれているようだ。右は「南無大師遍照金剛」ときざまれているように見えるが、よくわからなかった。
道標3
24号線を進んでいくと、右手善通寺へ向かっていく道の途中に市立郷土館があるので、立ち寄って、多度津道のことを教えていただいた。その方によると24号線の一つ東側にある細道が昔の道だということだったので、24号線を横断して行くと、すぐ先に細道があったので、これを歩いていく。この旧道は善通寺グランドホテルがあったその少し先から存在していたようだ。11時50分にここを通る。
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途中に裁判所と四国学院大があって、この間は旧道はなくなっているが、その先から再び旧道は残っているので、これを進んでいく。24号線に合流する一つ手前の四つ角を左折して進むと右手に常夜燈があり、「金毘羅宮 木熊野神社」と刻まれている。ここを右折して進む。
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熊ケ池の周囲をまわるかたちで進んでいき、その先でもう一つ池があるので、これを右手に見ながら進むと、道は二股に分かれているので、右へ進む。
その先の四つ角左手に「金刀比羅道」と刻まれた明治10年の道標が立っており、右手に地蔵尊があるので、ここを左折する。
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もう一つ池の周囲をまわって進むが、ここに石仏が一体祀られている。香川県はこうした灌漑用の池が数多く存在している。
石仏1212
その先に石仏と地蔵尊を安置する祠がある。
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ここで道は二股に分かれているので左へ坂を下る。
右手に「百三町 岩圀(久)白銀屋」と刻まれた石碑が立っている。
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突き当りを左折、その先の十字路も左折、さらに道は二股に分かれているので、ここも左折すると47号線に接するところに「奉燈 金刀比羅神社 出雲 大社」と刻まれた明治22年の常夜燈とその横に「左 こんぴら道 周防高森 施主紙屋新兵衛」と刻まれた嘉永5年(1852)の道標が立っている。
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少し戻って右へ進み、再び47号線に接するところに資料によると「象頭山向拝所(家紋)施主大原東野 象の眼の笑いかけたり山か津羅」刻まれた石碑と「世を旅にしろかく小田の行きもどりはせを翁」と刻まれた寛政5年(1793)の歌碑、さらに「丸亀阿波屋甚七」と刻まれた文化2年(1805)の石仏がある。
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すぐ先左手に墓地があるところを右へ分岐、すぐ先で47号線を横断、すぐ先の水路沿いに右折、いったん47号線に合流するが、すぐ先で右折すると、ここに「こんぴら」「ぜんつうじ」と刻まれた大正3年の道標が立っている。
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JR中土居南踏切を渡って319号線を進むが、右手線路の向こう側に八幡宮の常夜燈が立っている。13時25分にここを通る。
八幡宮常夜燈
その先左手に分岐する道があり、これが旧道だ。
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路地のような細い道を進んでいくと、左手に「左 金蔵寺」と刻まれた文化3年(1806)の石仏がある。
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あぜ道のようなところを進んでいく。
あぜみち
319号線を横断して水路沿いを進む。
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大麻踏切でJRの線路を横断すると、右手に大麻神社がある。ここは今から1900年あまり前の景行天皇の時代、忌部氏が付近を開拓して麻を植え、祖先神の天太玉命を祀ったのが始まりだと伝えられており、延喜式にも名を残す古い神社で、戦国時代に兵火で社殿を焼失したが、寛文元年(1661年)、丸亀藩の京極高和が再建したという。
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208号線に合流するが、その先で左へ分岐して進む。右手に常夜燈が数多く並んでおり、その一番最後に「金毘羅多度津旧街道遺跡並灯籠鳥居跡碑」と刻まれた石碑が立っている。
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14時12分に参詣道に到着する。本殿は丸亀道を歩いた時登ったので、ここで多度津道を歩き終わることにする。

本日の歩行時間   5時間46分。
本日の歩数&距離 25029歩、17.1km。

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