下板街道を歩く

2022年04月08日(金)
総歩数:22846歩 総距離:15.2km

2022年04月08日(金)

徳島城~木津野

                            晴れ
徳島と淡路を結ぶ街道は淡路街道と呼ばれているが、藩政後期段階には淡路街道の脇街道として、「下板街道」あるいは「淡路往還下道」と呼ばれる道があった。この道は淡路街道の東側、より海に近い道で、より直線的に撫養に至る道であり、とても重要な位置を占めていた道だったという。
資料は徳島県歴史の道調査報告書第一集「讃岐街道」「淡路街道」を参考にした。

7時15分に徳島城鳶の門を出発する。
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明治30年に大村万平という人が建てた2mを越える大きな遍路道道標が立っている。ここも前回通ったところだ。
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7時32分に助任小橋に着く。興源寺川に架かるこの橋はかって武家地と町人地を分かつ興源寺橋と呼ばれていたが、昭和に入ってコンクリート橋となり、助任小橋と改称されたという。ここまでの道が淡路街道と重なっており、淡路街道はここから左折するのだが、下板街道はここを直進する。
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左手に「日枝神社・芳野神社」がある。ここは創立時期は不詳だが、旧徳島藩主蜂須賀家が造営管理し、蜂須賀家の守護神として崇め敬われたという。境内には寛政13年(1801)や天保2年(1831)の常夜燈や徳島市指定保存樹のまきの大木が立っている。
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吉野川大橋を渡る。雄大な吉野川に架かる1137mの長い橋で渡り切るのに14分ほどかかった。
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橋を渡った先で旧道は地図に道が掲載されておらず、事前調査ではわかりにくかったが、歴史の道調査報告書に書かれている通りに歩くとすんなり歩くことができたので、その文章をそのまま掲載させていただきます。

「日出陸運引越センターの前の道を通り、道らしき道はないが、その延長線上を進み、溜池の右手を通り、駐車場の中を抜け、リッチde川内(現在はJyFulになっている)とふとん店(タカハシ)の間の細い道を進むと「おゆき狸祠」前に出る。」

この道を写真で紹介させていただきますと
まず日出陸運引越センターへ向かう道です。
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あぜ道のようなところを進みます。
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その先でT字路になっているので、右へ進むと「おゆき狸祠」がある。
徳島は江戸時代末期に阿波国で起きたタヌキたちの大戦争、阿波狸合戦という伝説に代表されるように狸の民話に満ちていて、各地に狸を祀る祠があり、狸の祠めぐりなどという行事も催されているようだ。
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この右手街道から少し外れたところに「神明神社」があり、入口に文政2年(1819)の常夜燈、安永7年(1778)の常夜燈などがある。8時35分にここを通る。
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街道に戻って徳島自動車道の高架下を進むと、T字路の右手に地蔵堂があり、「三界萬霊」と刻まれた安永3年(1774)の地蔵尊と祠の横に資料によると「般若心経一万遍供養塔」と刻まれた石柱が立っている。
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左手に「善集寺」がある。ここは大永5年(1525)に開基され、鈴江城主三代修善守の菩提寺だったそうで、安永元年(1772)に現在地に移転したという。
境内には文政13年(1830)の地蔵尊等がある。
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水路の横に地蔵堂があり、寛延4年(1751)の地蔵尊、寛政12年(1800)の庚申塔、堂外に天保4年(1833)の大師像がある。
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右手に「嗚呼森先生」と刻まれた石碑が立っており、その奥に元治元年(1864)、安永6年(1777)、天保14年(1844)、文政8年(1825)、享和辛酉(1801)の森家のお墓が並んで立っている。享和辛酉(元年)のお墓は森魯山のもので、寺子屋を開いたと資料に書かれているが、それ以上のことはわからなかった。
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29号線を横断した左手に不動尊が立っている。これは近代のものということだ。
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左手に「自性寺」があるが、入口を間違ってしまい、引き返して正門から入る。
ここには資料によると天保7年(1837)の延命地蔵があるとなっていたが、わからなかった。9時26分にここを通る。
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すぐ先左手に吉田酒造があり、ここに資料によると「奉唱光光明真言百万遍」と刻まれた不動尊がある。
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今切川に架かる加賀須野橋を渡ってすぐ左へ階段を下って進むと、広島橋の袂に石仏がある。ここがこの後に歩いた中央街道との合流点になる。
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そのすぐ先左手に「西国三十三か所九番」の地蔵堂があり、その横に常夜燈が立っている。
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右手に「西国三十三番」の地藏堂がある。
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左手に旧吉野川河口堰が見える。17世紀後半新田開発に伴って水が必要になったため、別宮川と吉野川をつないで水を確保したが、吉野川の水量により、別宮川が大河川へと成長したため、別宮川を吉野川と呼び、吉野川を旧吉野川と改名したと説明されている。
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高架下を抜けて進むと、右手に2体の地蔵尊を安置する地蔵堂がある。1体の地蔵尊には「法界聖霊」と刻まれている。資料によると天保9年(1839)の建立のようだ。
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右手に資料によると弘化4年(1848)の「三界萬霊」を安置する地蔵堂がある。
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大津橋を渡った右手に「西国32番」と「西国33番」の地藏堂がある。
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11時13分JR鳴門線の踏切を越えたところで淡路街道と合流して下板街道を歩き終わる。
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本日の歩行時間   3時間58分。
本日の歩数&距離 22846歩、15.2km。
本日の純距離    13.9km。(途中、寄り道をせず、道を間違えず、街道だけを歩いた場合の距離)

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