平坂街道を歩く

2023年04月20日(木) ~2023年04月21日(金)
総歩数:70765歩 総距離:45.1km

2023年04月21日(金)

三ケ根~平坂湊

                         晴れ
 7時25分に三ケ根駅を出発する。
深溝大踏切西の信号から左折、すぐ先で右折して進むと右手に「向野墓所」がある。ここは天正18年(1590)に深溝松平家が徳川家康の関東移封に従うまで深溝松平家の一族墓として使われていた。その後万治元年(1658)福知山藩主だった六代松平忠房がこの地を訪れて参拝したことから大事にされるようになったという。この地に植えられていた二本の松の大木は初代忠定(源元公)、二代好景(源昭公)の「御首験松」として大事に護られてきたが、昭和25年に伐採され、現在は「源元公墳松」「源昭公墳松」と諡号が刻まれた二本の石碑が並んで立っている。
その先山際に常夜燈と小祠がある。
618612

左手に「南無妙法蓮華経 天下泰平 国家安全」、また資料によると「こ連よりお○志ま道」と刻まれた天明3年(1783)の題目石とその横にこれも資料によると「是より右にし○道」と刻まれた寛保2年(1742)の石碑が並んで立っている。
620
上六東金ケ崎の信号で道は二又に分かれているので左へ進むと、右手に明治35年の「題目石」と「法界萬霊」が並んで立っている。上六栗深田の信号の先から道は二又に分かれているので、左へ進むが、ここは昔の街道の面影が残っていると資料に説明されている。
6212622

一旦23号線に合流するが、その先桐山の信号から再び左斜めの細道に進んで行く。左手に八幡社があり、右折した先左手に宝珠稲荷がある。
右手川岸に明治41年の題目石がある。この辺りは、昔は星越峠に続く平坂街道第二の難所だったという。
更に右手に道の駅があり、ここから左へ分岐して進み、右手に企業の須美工場がある先から道は二又に分かれているので、23号線から分岐して右へ進む。
今日は朝からデジカメが故障してしまったため、スマホで撮影をしているのだが、いつもと勝手が違うので、どうもよくない。
右手街道から少し入ったところに「蘇美天神社」がある。社伝では第十三代成務天皇庚午の年(西暦190年頃)に勧請創建と伝えられている古い神社で、資料によると本殿は宝徳3年(1451)に造営されたものという。参道のところで大きな蛇が飛び出してきたので、ちょっとびっくりした。
624625

須美川に架かる城山橋を渡って進むが、この辺りは特に見るものはなくて淡々と進む。突き当りに圓満寺があり、ここから右折して進むと、弘化5年(1848)の常夜燈が立っている。その先右手に応仁2年(1468)に創建されたという「淨顕寺」があり、門前に親鸞聖人の碑が立っている。現本堂は寛保元年(1741)に建立されたという。10時3分にここを通る。
629
駒場町の信号を右折、その先で左折したところに地藏堂があり、ここを右折したところにも地藏堂(写真)があるので、ここを右折、その先を左折すると右手に八幡宮がある。広田川に架かる駒場橋を渡り、突き当りを左折したところ左手に安政と読める常夜燈が立っている。この辺りの道はかなり左折、右折を繰り返して進む。
631632

岡崎バイバスの高架下、矢作古川に架かる江原橋を渡って進むと、久麻久神社の社標が立っているところから右へ進み、その先で左折、さらに二股を右とこの辺りも左折、右折を繰り返して進む。久麻久神社は社標から山を上ったところにあるようだが、行かなかった。その先にも久麻久神社があり、そこは参拝したのだが、前者の神社が最初からあった神社で、その先にあった参拝した神社はそこから分社したものだと、ご近所の方に教えて頂いた。熊味町東の信号の先右手にその「久麻久神社」がある。ここは延喜式に記載されている古い神社で、本殿は拝殿の奥にあって大永7年(1527)に再建されたと資料に書かれていたので、横から本殿の写真を撮った。11時24分にここを通る。
633
その先右手に地藏堂があり、その奥に熊子観音があって、三河国33番観音霊場17番札所と書かれている。
635636

名鉄西尾線の踏切を越えて進むと、右手に「伊文神社」がある。ここは1,100年の歴史を持ち、文徳天皇はじめ3柱を祭神として祀り、西尾の産土神として古くから歴代西尾城主をはじめ一般庶民の信望が厚かった神社だ。また西尾城の天王門があったところという。境内には「義倉蔵」がある。これは凶作・飢饉に苦しむ庶民を救うため、城下町の富裕町人たちが立ち上がって、寄付米や藩からの借用米をこの蔵に蓄え、酒造家へ貸し付けて利殖し、飢饉等の際、困窮者に施米したという。安政4年(1857)~6年にこの蔵が建てられ、江戸から明治、大正と米の供給が行われたという。
638639

そのほかに境内には岩崎弥助が明治41年に新屋敷町に岩瀬文庫を設立した際、これを記念として奉納建立したという石灯籠がある。
右手に聖運寺があり、大正8年に建立されたという立派な山門がある。
646
その先で左折して進むと本町北の信号の左手に「康全寺」がある。応永5年(1398)、西尾城の御剣八幡宮近くにあった八幡六坊の釈迦堂と大日堂を移し、吉良山満全寺として創建されたが、徳川家康が村巡検で西尾を訪れた際に康全寺に宿泊したことで、家康から一字を賜って西尾山康全寺に改称したという。山門前左手に「西尾町道路元標」が立っている。12時20分にここを通る。
647
街道はここから右折して進み、本町の信号から街道から外れて右へ行くと、右手に家老邸跡があり、工事がされていた。左手には「西尾城三之丸新門跡」の説明板が立っている。
651652

街道に戻って進み、その先で左折して細道を進むと、左手に「西尾城須田門址」碑が立っており、右手にその案内板が立っている。
659
すぐ先を右折して進むと、住崎の信号の右斜めに八幡山霊園があり、ここに「山下地蔵尊」が移転、祀られている。この地蔵尊は天明元年(1781)と翌年に亡くなられたお二人の供養を中心に、多くの方々のご喜捨によって建てられたもので、以前は平坂街道沿いにあったが、県道の新設に際して昭和35年頃に移転されたと説明されている。13時19分にここを通る。
661
その先は「平坂街道をたどる」に具体的な道順が記されているので、それに従って細道を通って平坂湊に14時5分に到着する。

本日の歩行時間  6時間40分。
本日の歩数&距離 36139歩、23km。
本日の純距離    20.8km。((途中、道を間違えず、寄り道をしないで街道だけを歩いた距離)   

平坂街道総合計
歩行時間      12時間59分。
歩数&距離     70765歩、45.1km。
純距離        42.2km。(途中、道を間違えず、寄り道をしないで街道だけを歩いた距離)   

旅の地図

記録

プロフィール

かっちゃん
歩人
かっちゃん