豊後街道を歩く

2009年03月31日(火) ~2009年04月09日(木)
総歩数:229528歩 総距離:156.8km

2009年04月09日(木)

野津原塚野~大分鶴崎

                                   晴れ

 7時45分に昨日の廻栖野の信号のところを出発する。今日も好天、だた空気はひんやりしている。
 信号のところで道は二股になっており、左方向へ進んで七瀬川を渡る。
 その先左手に「少林禅寺」がある。ここは臨済宗の禅寺で、文永年間(1264~1275)、大友の家臣河村新五郎の創建、玉巌の開山といわれるが後に廃絶、江戸初期の寛文年間(1661~1673)に妙徳禅師が再建したという。旧藩時代に肥後藩主細川公が参勤交代の折、必ず立寄ったところといわれる。本堂横の築山式泉水の庭園は、明治末から大正にかけての築庭で、地蔵像や灯篭など多くの石造品が配置されている。
少林寺 
 境内には、北原白秋の「山かげのここのみ寺のかえるてはただ青々し松にまじりて」の歌碑がある。
白秋句碑 
 その先右手に「天神社」があり、境内に平和祈念之碑が立っている。
 その先で道は二股に分かれており、右斜めの坂道を下る。クネクネと曲がった道を道なりに進み、稙田交番が左手にあるところで210号線に合流。国道442号入口の信号を渡り、左手に公園があるので、その先で左折、突き当りを右折して進む。
 右手に石仏が並んで納められているお堂があり、その先突き当たりを左折して進むと車道に突き当たるので、これを右折して進む。
お堂分岐 
 最初の信号を渡ったところの右側に稙田公民館があり、その角に「従是西臼杵領」と刻まれた道標が立っている。旧藩時代、稙田地区は延岡領だったが、慶長5年(1600)臼杵藩へ入轄された。この境界石は西北十数mのところにあったが、この場所へ移転したと説明されている。
臼杵領界石西 
 右手道路の向こう側にトキハわさだタウンの大きな建物があり、それに併行して進んでいくと小さな公園があり、ここから左斜めに進んでいく。
 道が二股に分かれており、左側に石仏が二体ある。一体には慶應の文字が刻まれている。
石像二体 
 ここから右斜めに進み、すぐ先の十字路を直進して進む。
 更にその先で道は二股に分かれているので、これを右斜めに進んでいくと、七瀬川土手に突き当たるので、これに沿って左へ迂回し、41号線に合流するので、これを右折、七瀬川に架かる田尻橋を渡る。
 橋を渡るとそのすぐ先で左折し、七瀬川沿いに歩いていく。210号線に合流、その先最初の角を左折して進むが、その角に「従此川中臼杵領」と刻まれている「臼杵藩境界石柱」が立っている。
臼杵川中領 
 臼杵領は旧稙田村の各地に散在し、他領に接する土地が多かったので、領域内の四ケ所に境界を示す石柱を設けて、他の藩との境界を明らかにしたと説明されている。大分自動車道の下を通って大分川沿いに歩いていく。 
 府内大橋南の信号を直進、その先で一旦右へ下って寒田川に架かる森岡大橋を渡り、その先で再び川土手を歩く。このあたりは気持ちのいい道で、かなりの距離川土手を歩く。滝尾橋東の信号から右へ下り、二本目の三叉路を右折、裏川に架かる岩田一の橋から右折して進む。ここは桜並木で、満開を過ぎて散り始めてはいるが、まだ見事な並木だ。
桜並木 
 その先、大東橋西の信号で右折して大東橋を渡る。
 その先、牧1丁目の信号を渡ってすぐに左折するとその先で、左にカーブする685号線と分かれて直進する旧道が伸びているのでこれを進む。萩原10号緑地という三角地に緑地があり、ここでちょっと道を間違いかけたが、気がついて訂正、これを左に見ながら直進する。跨道橋の下を通り、城東町の信号から左折して197号線に合流。右折して197号線を歩いていく。
 左手に鷹松神社がある。ここは建久2年(1191)に近江国(大津市)から旧官幣大社である日吉大社の御分霊を祀った神社で山岳、食物、五穀豊穣等、生産守護神だ。明治12年に日吉神社を現在の鷹松神社に改称したということで、御神殿は天保12年(1841)の建立という。
鷹松神社 
 跨線橋で日豊本線を越えて進み、乙津川に架かる乙津橋を渡り、すぐ先で左折して道を下り、二つ目の三叉路を右折して進む。
 その先鶴崎駅前の信号で右折、すぐ先の鶴崎駅入口の信号で左折して進むと、右側に「熊本藩鶴崎御銀所記念碑」が立っている。ここは熊本藩の金銭を取り扱い、熊本藩鶴崎札を発行する重要な役所で鶴崎御茶屋内(現鶴崎小学校)にあったと説明されている。
熊本藩鶴崎御銀所記念碑 
 地下道の入口があり、その先を右折して進むと、鶴崎小学校がある。ここが熊本藩鶴崎御茶屋跡で、学校の校庭に石碑が立っていた。ただ校庭に入ることができなかったので道路から写真を撮った。
鶴崎御茶屋 
 ここでカウントする。
 12時41分、鶴崎宿に到着する。
 野津原宿から5時間46分、21.6km.。

 小学校の横が鶴崎高校で今日は入学式が行われていた。
 更にその奥に「法心寺」がある。ここは慶長6年肥後熊本藩主加藤清正公が妙法蓮華経の五ケ寺のひとつとして建立。本殿に加藤氏歴代の位牌、宝物に清正公が着用した鎧など遺品が残っている。境内には清正公が地面に突き刺した杖が大木となったと伝えられる樹齢365年といわれる通称「逆さいちょう」がある。
法心寺 
 横に「毛利空桑記念館」がある。熊本藩領鶴崎の生んだ儒学者・教育家・尊王家だった毛利空桑を記念して設立されたものだ。
 その先に「剣八幡宮」がある。ここには「熊本藩船鶴崎入港船絵馬」が社殿の中に飾られている。これは御座船(藩主細川氏の専用船)の波奈之丸を中心に参勤交代に従う船団が鶴崎港に帰港した様子を描いたもので、寛政10年(1798)に作成され、剣八幡宮に奉納されたという。写真を撮ったが、社殿の中にあるのでうまく撮れていなかった。
剣人伽 
 これで豊後街道は無事踏破することができた。九州を横断する道だったため、山の中を歩くことが多く、特に大分県側に標識が少なかったため、県境を越えたあたりで大分迷ったこともあったが、その後は大分県ウォーキング協会の真砂さんに丁寧に教えていただいたこともあり、迷うことなく旅を終えることができた。時期的にいい季節で、桜、菜の花、新緑と目にも、心にも優しい風景が広がっており、とても気持ちが良かった。

 本日の歩行時間   4時間56分。
 本日の歩数&距離 30546歩、21.1km。

 豊後街道総合計

 総歩行時間  41時間27分。
 総歩数     229528歩。
 総歩行距離  156.8km。
 総宿場間合計 134.3km。(途中、寄り道をせず、道を間違えず、街道だけを歩いた場合の距離)

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