竹内街道を歩く

2011年04月30日(土) ~2011年05月01日(日)
総歩数:63535歩 総距離:42.1km

2011年05月01日(日)

太子町~竹内峠~長尾神社

                   雲時々小雨

 前日の予報では今日の天気は風雨が強まって荒れ模様ということだった。そのことをKくんに話すと「大丈夫です。自分は晴れ男ですから」と平然としている。雨の中を歩くのはイヤなので、彼の持っている「晴れ男」に賭けることにした。
 朝起きてみると曇り空だ。何とか午前中だけでも雨が降らずにすめばいいのだが、と思いながら8時40分に出発する。ゴールまでの距離は短いのだ。

 一旦街道に戻るが、そこから街道を外れて「叡福寺」へ行くことにする。寺伝によれば、聖徳太子は生前、推古天皇28年(620)にこの地を墓所と定めたという。推古天皇29年(621)、聖徳太子の母穴穂部間人皇后(あなほべのはしひとこうごう)が没するとここに葬られ、翌年、相次いで没した聖徳太子と妃の膳部菩岐々美郎女(かしわでのほききみのいらつめ)が追葬されたという。太子の没後、伯母にあたる推古天皇が土地建物を寄進し、墓守りの住む堂を建てたのが叡福寺の始まりとされている。その後、織田信長の兵火によって、一時は全山が焼失したが、豊臣秀頼の聖霊殿再建に始まり、順次伽藍が再興されたという。
 他に承応元年(1652)、江戸の三谷三九郎によって再建されたという多宝塔や享保17年(1732)に再建された金堂、更に聖徳太子御廟がある。
叡福寺多宝塔

金堂聖徳太子御廟

 街道に戻って進むと、左手に江戸時代中期に建立されたという「しもの地蔵」がある。
しもの地蔵
 このあたりも街道の雰囲気が色濃く残っている。
街道の雰囲気
 曇り空だが、雨は降らない。まさにKくんの晴れ男の面目躍如だ。
 「右 推古天皇御陵 小野妹子墓」「左 孝徳天皇御陵」等刻まれた道標が立っている。
右 推古天皇御陵
 ここから左へ進むと、すぐ先左手の坂を登ったところに「孝徳天皇御陵」がある。大化改新後に即位した第36代孝徳天皇は、改新に功績のあった蘇我倉山田石川麻呂らを政権に登用して改新政治を推し進めたが、中大兄皇子らと不仲となった天皇は、難波宮で白雉5年(654)、孤独のうちに亡くなられ、大坂磯長陵に葬られた。竹内街道沿いに位置するこの陵は、別名「うぐいすの陵」と呼ばれる直径約30メートルの小さな円墳となっている。
孝徳天皇
 その先に竹内街道歴史資料館があるので立ち寄ってみた。ちょうど学芸員の方がおられたので、色々と説明を受けて出発しようとすると、雨が降ってきた。さすがにKくんのご利益もここまでかと思ったが、幸いたいした降りにはならず、時々小雨が降る程度で終わったので助かった。
 その先で166号線に合流、竹内峠を登るがきれいに舗装された道で楽だ。峠の頂上まで来たところで、右手に166号線に併行して道があり、当初はよくわからずにそのまま166号線を進んだが、先ほどの学芸員の方にこのあたりの道のことをお聞きしていたので、引き返してこの道を進む。道の入口に「平石峠 ダイヤモンドトレール」という標識が立っていた。
竹内峠
 丁度峠を登りきったところの右手に「従是東 奈良縣管轄」と刻まれた石柱と板碑が立っている。ここは大坂府と奈良県の県境になるところだ。
従是東 奈良縣管轄
 坂を下ったところで、道は二股に分かれており、どちらを通ってもその先で合流するが、一旦166号線を横断して、山道を進む。もっとも山道といってもきれいに舗装された道なので歩きやすい。道は円弧を描くようにしてすぐ先で166号線の下を通るトンネルを通ると、先ほどの道から直進してきた階段と合流する。
山道を進む
 その先、下に南阪奈道路が通っているところで道は二股に分かれているが、ここは左へ進む。二体の石仏を掘り込んだ岩がある。
二体のお人形さんを
 その先で右手に池があるところで166号線に合流する。
 左手に「岩角地蔵」があるが、説明が書かれていないので由来が分からない。
岩角地蔵
 その先で道は二股に分かれており、左へカーブする166号線から分岐して直進する。ここには標識が立っている。この辺りも旧道の面影が残ってる道だ。
 右手に「芭蕉綿弓塚」がある。ここに文化6年(1809)に建てられた芭蕉句碑が立っている。この地は芭蕉の門人だった千里の郷里で、芭蕉は貞享元年(1684)にこの地を訪れ、そのときに詠んだ「野ざらし紀行」の中にある「綿弓や 琵琶に慰む 竹のおく」という俳句が刻まれている。「綿弓」は弓形の棒に牛や鯨の髭の弦を張ったもので、木綿の実を綿操車にかけ核を取っただけの綿を弦で弾き打って柔らかくする道具のことで、実物がここに置かれていた。 
芭蕉綿弓塚綿弓

 左手に「地蔵堂」があり、その前に明和8年(1771)の常夜燈が立っていた。
明和8年
 その先に長尾街道との交点があり、標識と道標が立っている。
長尾街道との交点
 12時36分に「長尾神社」に到着する。ここは延喜式神名帳に記載されている古い神社で、竹内街道、長尾街道、横大路が交叉する交通の要衝であることから、今日まで交通安全の祈願の神とされている。水神、井戸の神とされる水光姫命を祭神としているが、長尾神社に水光姫命が白蛇の姿で降臨したという伝承があるという。
 また、むかし、大和に大きな蛇が住み、三輪山を三重にとりまき、その尾は長尾までとどいた。三輪明神が頭で、長尾神社はその尾にあたると言われていたり、また、竜が住んでいたともされ、竜王社は竜の頭であり、長尾神社は竜の尾にあたるともいわれている。
長尾神社
 これで無事竹内街道を歩き終えたことになる。写真は初めて街道を踏破したKくんの感動のガッツポーズですが(ちょっとオーバーアクションかな?)、でも無事ゴールに到着した時の達成感はなんともいえないものがあり、彼もその感動に浸ったようでした。
竹内街道を歩き終
 Kくんは街道歩きの感想を「正直、街道を歩くこと自体は大したことないと甘く考えていたが、こんなにも体力を使うものなのかと、つくづく日頃の運動不足を痛感した。2日間かけて、ひたすら歩くというのは人生の中で初めてのことだったが、非常に良い経験をした。」と言っていた。
 また、HPの名前を「気ままな一人旅」ではなく「シングルおやじのシャカリキ一人行脚修行」にしたほうがいいとも提案されてしまいました。確かに「気ままな旅」ではなく、シャカリキになっているのは事実だと我ながら思う。
 いつもは一人黙々と歩くのだが、今回は道中色々と話をしながら歩いたので、一人旅とは違った楽しさがあった。Kくんに感謝である。
 引き上げようとして鳥居のところまで来た時、年配のご夫婦が通りかかったので記念撮影をしていただいた。
記念撮影
 竹内街道は平坦な街道で、道は全て舗装されており、標識もかなりあって歩きやすい道だった。そのためまだ腰に不安を抱えている身にとっては助かった。また沿道には数多くの古墳や御陵があって、歴史を感じさせてくれた街道でもあった。心配した天気もKくんの晴れ男のご利益のお陰でたいした降りにもならずに歩き終えたことができてよかった。

 本日の歩行時間   3時間56分。
 本日の歩数&距離 18059歩、11.8km。

竹内街道総合計
 総歩行時間  12時間9分。
 総歩数    63535歩。
 総歩行距離  41.1km。
 竹内街道純距離 27.2km。(途中、寄り道をせず、道を間違えず、街道だけを歩いた場合の距離)

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