鯖街道を歩く

2012年10月28日(日) ~2012年10月31日(水)
総歩数:138769歩 総距離:97.1km

2012年10月30日(火)

葛川細川~花折峠~途中峠~大原 

                                        晴れ

 朝、宿の息子さんに細川まで車で送っていただく。車の中からみる山々は紅葉で色づいているが、息子さんによると、今年の紅葉はいつまでも暑さが続いたせいか、色が良くないそうだ。
今年の紅葉
 7時40分に細川から歩き始める。367号線を進むが肌寒い。秋の深まりを感じる。
 右手に「二之宮神社」がある。ここは貫井集落の鎮守様で、地元の方にお聞きすると、このあたりでは最も古い神社ということだった。
二之宮神社
 その先に梅ノ木集落がある。市営バスは朽木支所前を出ると、ここまでノンストップで来るようになっている。当初ここまでバスで来て、ここから細川まで戻って歩こうかとも思ったが、実際に歩いてみると細川から約25分ほどかかったので、往復すると50分費やすことになり、現実的ではなかった。息子さんに車で送っていただいて助かった。
 367号線を進むが、信号がないため車がかなりのスピードを出しており、歩道がない所が多いのでかなり怖い。
 葛川坊村町で367号線から左へ分岐する道があり、その入り口に道標が立っている。表面が摩耗していて字が読めないが、調べてみると「是より明王道 かけぬけ一丁半」と刻まれているようだ。
是より明王道
 道路に温度表示があり、9℃となっている。肌寒く感じるはずだ。
 細道を上っていくと左手に小祠があり、石垣が道に沿って組まれている。
 その先左手に「明王院」がある。ここは貞観元年(859年)に相応和尚が開いた修行道場で、本尊の千手観音像と脇侍の毘沙門天像、不動明王像は平安時代の作とされ、本堂は江戸時代の建築だが、保存修理工事の結果、平安末期に建立された前身堂の部材が一部転用されていることがわかったそうだ。
明王院
 明王滝川に架かる三宝橋を渡ると、左手に「地主神社」がある。ここは明王院の鎮守社で、貞観元年(859)に明王院と同様に相応和尚の創立と伝えられている。現在の本殿は元亀2年(1502)に建てられた三間社春日造、また幣殿も本殿と同じ年代の元亀2年(1502)に建てられたもので、共に重要文化財に指定されている。ただ、現在は改修が行われており、白いシートに覆われていて見ることができなかった。
地主神社
 その先の道路わきの水路に水車が設置されていて、水量が多いためかなりのスピードで回転していた。
水路に水車
 その先365号線に合流する手前で左折して集落の中を通り、その先で365号線に合流する。
 365号線を進んでいくと、左手に忠魂碑と文政と読むことができる宝篋印塔が立っていて、その間に文政6年(1823)の庚申塔がある。
忠魂碑と
 葛川中村町で365号線から右へ分岐、安曇川に架かる中村橋を渡って対岸を進み、その先で再び365号線に合流する。坂下トンネルの手前で365号線から分岐して右折して進むが、ここも舗装された道だ。右手少し高い所に「愛宕神社」があり、三つの小祠がある。
「愛宕神社
 その先で365号線のガード下を通って進むが、ここから先は冬季の12月~3月までは通行禁止になるようだ。
通行禁止
 安曇川沿いに進んでいくが、車も人も全く通らない静かな道だ。川の水も澄み切っていてきれいだ。
安曇川沿いに
 その先で365号線に合流、すぐに安曇川に架かる平橋を渡る。
 しばらく進むと、左側に「花折峠」の入り口がある。ちょうど工事が行われていたが、通ることに関しては問題なかった。入り口は石畳になっているが、すぐに舗装された道になる。
花折峠」の入り口
 この道も人は誰も通らない静かな道で、気持ちのいい道だ。
 峠の頂上に来ると、花折峠と刻まれた石碑が立っており、その横に「昔葛川の明王院への参詣者はこの峠付近で仏供の花、樒(しきみ)を手折って参るのを常としていたことからこの名がついたといわれている。現在も7月16日から20日に催される蓮華会では葛川参詣する行者が峠の手前で樒を摘む習慣が残っている」と由来が書かれた説明板が立っている。
 峠の頂上
 ここに腰掛石が2つ置かれているので、これに座ってしばしの休憩を取る。静かで天気も良く、気持ちがいい。
 峠を下って365号線に合流するが、出口も石畳になっている。この間峠を越えるのに35分ほど要している。
出口も石畳
 今は使われていないような上の町というバス停があり、その先、和邇川橋の手前から右へ分岐し、途中の集落へ入っていく。ようやく人家が現れてきた。道端に階段があったので、これに座って昼食にする。宿でにぎっていただいたおにぎりが今日の昼食だ。
その先、突き当りを右折して山の中の道を進み、その先で途中トンネルを出た365号線に合流する。
途中峠は国道を歩くので、峠という感覚はなかった。ここでいよいよ京都府に入っていく。
 367号線を進んでいき、小出石橋の手前から367号線から右へ分岐して進む。
 小出石のバス停のところ右手に文政12年(1829)を含む3体の地蔵尊が安置された地蔵堂がある。
地蔵堂
 その先で367号線に合流、新伊香立橋の手前から、367号線から右へ分岐して進むと、その先右手かなり入ったところに「阿弥陀寺」がある。参道は600mあるというが、坂を登っていくので、かなり遠くに感じた。参道は巨木に囲まれて静寂であり、境内には市の天然記念物になっている樹齢760年以上という楓もある。
楓
 阿弥陀寺は慶長14年(1609)に弾誓(たんぜい)上人が開基した念佛道場で、慶長18年(1613)、弾誓上人は、この寺の本堂脇の巌窟内で即身仏となった。この巌窟は上人が入定される一年前に当山で修行中の僧らに頼んで掘らせたものという。その後、弾誓上人のミイラ化した遺体は石棺に納められ、巌窟内の石廟に安置された。本堂には弾誓が草刈鎌で自像を刻み、自身の毛髪を埋め込んだと伝えられる開山弾誓の像を本尊として安置しており、現在でも頭の両脇の耳の所に上人の頭髪が残っているという。浄土宗寺院では一般に阿弥陀如来を本尊とするが、この寺では鎌倉時代の作といわれる阿弥陀如来とともに弾誓像を本尊として安置することから「弾誓仏一流本山」と称しているという。
ここでは本尊の写真撮影は禁止されていたが、巌窟内の石廟は撮影してもいいということだったので、写真を撮らせていただいた。
 阿弥陀寺巌窟内の石廟

 街道に戻って進むと、「火打石と旧街道」という説明板が立っている。それによると、この辺りで採取した火打石で火を起こしたことから、このあたりを通称火打石と呼んでいるということだ。
 更に進んでいくと、右手に「右 寂光院」「左 魚山 京道」と刻まれた明治43年の道標が立っている。
右 寂光院」「
 その先で367号線を横断するが、ここに三千院の参道がある。寂光院も三千院もどちらも何度も行ったことがあるので、今回は立ち寄らないことにした。
 その先、左手に「左 横川元三大師道」と刻まれた道標が立っている。ここは比叡山元三大師堂への参道になっている。
左 横川元三大師道」
 その先で再び367号線に合流、15時ちょうどに今日の宿である喜津祢に到着する。まだ早いので、一息入れて少しでも先に進もうか、それとも明日の距離は短いのでこのままゆっくりするか、と迷ってグズグズしていたが、結局もう少し歩くことにして、16時から歩き始めた。
 左手に「花尻の森」がある。ここは5月4日の江文神社と5月5日の梅宮神社の御旅所になっているが、かつて源頼朝が、寂光院に隠棲した建礼門院を監視させた松田源太夫の屋敷址といい伝えられ、社には猿多彦命がまつられている。またここには、若狭の領主に見初められたおつうという村娘が、領主から離縁されてこの地に戻っていた。悲観したおつうは大原川の上流にある女郎ケ淵に身を投げ、蛇身となって川を下り、領主の行列を待ち伏せて行く手を妨害したため、松田源太夫が退治し、大蛇の霊を鎮めるためにこの森に尻尾を埋葬したと伝えられる伝説が残っている。
花尻の森
 登山口というバス停から367号線から分岐して左へ進むが、その先で367号線に合流する。更にふるさと前というバス停からやはり367号線から分岐して左へ進むと、左手入ったところに「八瀬天満宮」がある。ここで写真を撮ろうとしたが、森の中なので暗くてよく映らないため、16時57分、今日はここで終わることにして、バスで今日の宿に引き返す。

 本日の歩行時間          8時間17分。
 本日の歩数&距離        43465歩、30.6km。
 街道のみを歩いた場合の距離 28.5km。

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