長尾街道を歩く

2013年09月26日(木) ~2013年09月27日(金)
総歩数:46975歩 総距離:33.7km

2013年09月26日(木)

堺~国分(大阪教育大前)

                
                                          晴れ

 堺から大和(奈良)へ通じる道は近世では広く大和街道(大和道)と呼ばれており、北から長尾街道(堺~国府~長尾)、竹内街道(堺~古市~竹内峠~長尾)、富田林街道(堺~平尾~富田林~水越峠~御所)と呼ばれていた。
 資料によると、長尾街道は明治に入ってからも大和街道、奈良街道と呼ばれており、明治も後半になって長尾街道と呼ばれるようになった。日本で一番古い官道である竹内街道に並行して通っていて、近世においては一番利用度が大きく、次いで竹内街道、そして富田林街道となっていたという。 

 11時5分に花田口を出発する。阪堺電軌阪堺線の花田口電停の一つ手前の角が起点になっており、ここは昔、堺への出入り口だったところだ。ただ現在では遺構は何も残っていない。
 右手少し入ったところに「菅原神社」がある。ここは長徳3年(997)に堺海船の濱に菅原道真が大宰府で彫った木像が一体流れついた。その像を御神体として祀ったのがこの神社の始まりという。その後室町時代に社殿を建立したが、度々火災に遭って焼失、その後再興、修復を重ね、現在の楼門は延宝5年(1677)に再建されたもので、大阪府指定有形文化財になっている。ここは堺戎(えべっさん)として有名だ。
菅原神社
 そのまま直進すると、阪神高速15号堺線を越えた先、左手に平成8年に造られた「長尾街道」と記された道標が立っている。この道標はこの先も頻繁に立っていた。
長尾街道道標
 南海高野線の線路に突き当たるので、地下道でこれを越えて進むと、右手に「方違神社」がある。
 この神社の起源は崇神天皇8年(紀元前90年)に創建されたと伝えられる古い神社で、この辺りは摂津・河内・和泉の三国の境に位置しているため、三国山、三国丘と称されていた。三国の境界にあるため、方角のない聖地と考えられ、古来より方災除けの神とされていた。奈良時代には行基が旅行者の一時救護・宿泊施設である布施屋を設けるなど、人馬往来の中心となり、平安時代には熊野詣の通過地点でもあったため、人々は旅の安全を祈ったという。私も熊野古道紀伊路を歩いた際、ここに立ち寄っている。
 境内には堺市指定保存樹木の楠が立っており、その前に「方違宮」と刻まれた天保8年(1837)の石碑が立っている。また寛保元年(1741)の常夜燈や文政10年(1827)の狛犬などがある。
方違神社1方違神社2

 その先、北三国ケ丘の信号で12号線から分岐して直進、阪和線の堺市駅を左手に見ながら進む。この辺りにも所々に平成8年の道標が立っている。商店街の中を進んでいくと、右手に「愛染院」がある。
 ここはかって池浦観音寺と呼ばれ、行基によって建立されたという。その後荒廃していたが、江戸時代になって再興され、現在の本堂は慶安5年(1652)に建築されたものという。境内には享保19年(1734)の宝篋印塔が立っており、また以前愛染院の周囲にめぐらされていた濠に架けられていたという元禄4年(1691)の旧石橋が残されている。
「愛染院1「愛染院2

 28号線を陸橋で渡った先、右手に地蔵尊を二体納めた祠があり、その後ろに道標が二本立っている。一本には「右 たき谷道 左 ふじい寺 はせなら みち」天保14年(1843)と刻まれ、もう一本には天保15年(1844)と刻まれているが、それ以外の文字は判読できなかった。
天保15年1天保15年2

 この辺りには歴史の感じさせる古い造りの家が建っている。
古い造りの家
 更にその先、右手に道標が立っており、正面に「葛井寺 道明寺」、右に「勝手大明神」明治35年と刻まれている。
葛井寺 道明寺
 右手に「遠見地蔵」がある。これはかってはこの地から堺の海を望むことができたことから、このように名づけられたという。祠の前には天保6年(1835)の手水鉢が置かれている。
遠見地蔵
 西除川に架かる布忍橋を渡るが、その手前左手に寛政8年(1796)に建立されたという「惣井戸」がある。長尾街道を歩く人たちがこの井戸で喉を潤したのだろう。
惣井戸
 松原郵便局のすぐ先、右手に「長尾街道」「ちちかみばし」と刻まれた明治43年の道標が立っている。ちちかみばしとは、かって京から旅をしてきた母親が、長尾街道に架けられたこの橋の袂で、乳飲み児に乳を与えながら休んでいたところ、児が恐ろしい夢でも見たのか、母親の乳首を噛み切ってしまい、そのために母親は児を抱いたまま亡くなってしまったということからつけられた名前という。
ちちかみばし
 そのすぐ横に、狭山池から三宅の大海池に流れる用水の堰樋だったという「中門の堰樋」の説明板があり、堰高を定めた享保元年(1716)の分量石がある。
分量石
 そのまま進んでいくと、四つ角右手に「日露戦役 松原村出征軍人記念碑」と「忠魂碑」が立っている。
 この角が高野山へ向かう中高野街道との交差点になっている。
日露戦役
 左手にヤマモト酒店があり、その横の壁に沿って道標が立っている。浮彫の地蔵尊が彫られており、その下に「右 平野 大阪 左 さかい 道」 右に「すぐ ひらを」 左に「すぐ ふじい寺 なら」と刻まれている。
ヤマモト酒店
 東除川に架かる高鷲橋を渡って進むと、左手、街道から一つ入った通りに「吉村家住宅」がある。これは江戸時代初期の民家を代表する建物で主屋、表門(長屋門)、土蔵及び土壁が国の重要文化財に指定されている。吉村家は天正19年(1591)には島泉の筆頭として政所と呼ばれており、享保14年(1729)以後は近在18カ村の大庄屋を勤めていたという。
吉村家住宅
 その先右手に雄略天皇陵に治定されている「高鷲丸山古墳」がある。このあたりにはこうした古墳が多く存在している。
高鷲丸山古墳
 住宅地の中を進んでいくと、T字路に突き当たる。ここに「右 いせ」と刻まれた慶応3年(1867)の道標が立っている。この道標は下部が埋もれてしまっていて解読できないが、資料によると「右 いせ 道明寺 葛井寺」と刻まれているようだ。
右 いせ
 ここを右折、その先で12号線を横断、次の角を左折するが、ここは目印がなくてわかりにくかった。左手に藤井寺市役所があり、その前に元禄14年(1701)の「右ハ ふじい寺 かうや よしの はせミち」「左ハ なら かふり山ミち」と刻まれた道標が立っている。この道標はこの地から西へ200mほどの場所に建っていたものを、ここへ移設したという。
藤井寺市役所前道標
 その先で12号線に合流、西名阪自動車道の高架下を通って、すぐ先で左へ分岐、12号線と並行している細道を進むと、左手少し入ったところに「尊光寺」があり、その門前に天文23年(1554)の三尊地蔵がある。この尊光寺は天誅組の大和挙兵に加わった幕末の歌人伴林光平の生誕地ということだ。門が閉まっていたため境内を見ることはできなかった。
尊光寺
 右手に道明寺小学校があり、その先で170号線を横断して進むが、この交差点左手に「允恭天皇御陵参拝」と刻まれた石碑が立っている。
允恭天皇御陵参拝
 交差点を横断した右手に「地蔵堂」があり、「右 大坂さかひ」「左り なら はせ 道」と刻まれた道標が立っている。
地蔵堂
 左手に金網で囲まれた允恭天皇陵に治定されている「市ノ山古墳」がある。古墳の周囲の濠には水がなかったが、これはいつもこのように水が張られていないのだろうか?
市ノ山古墳
 その先の交差点右側に「道明寺」と刻まれた道標が立っている。この交差点が東高野街道との交点になる。いずれ歩いてみたい街道だ。
道明寺
 その先左手に国府の墓地があり、ここに六地蔵(資料では元禄2年(1689)となっている)、や古い阿弥陀石仏がある。
六地蔵阿弥陀石仏

 石川に架かる石川橋を渡って進み、12号線が左にカーブするところから分岐して直進、突き当りを左折、ここに小祠があり、その先で12号線を横断して進むが、ここにも小祠がある。資料ではこのあたりに砂岩製の地蔵を収めた花崗岩製の厨子が安置されており、「左 さかい ふじい寺」「右 なら はせ」天明8年(1788)と刻まれているとなっているが、どちらがそれに該当するものかわからなかった。
小祠1小祠2

 大和川に沿って進み、25号線を横断した右手に「西町地蔵尊」があるが、由来は書かれていなかった。
西町地蔵尊
 この先から街道は亀の瀬を越える道と田尻を越える道に分岐するが、今回は田尻越の道を歩くことにする。この道は国分本町を過ぎたところで右折して田辺の集落の方へ進む。左手に国分小学校があり、その先で25号線を横断して進むと、左手に「春日神社」がある。ここは渡来系氏族の田辺氏の氏寺と推定される田辺廃寺があったところで、発掘調査によって、薬師寺式伽藍配置を持つことが確認され、国の史跡に指定されている。
春日神社
 その先で道は二股に分かれていて、旧道は左へ進み、西名阪自動車道を右に見ながら進むようになっている。 ただ資料ではこの道を利用する人はほとんどなく、廃道化していると書かれていたので、出会ったご近所の3組の方々に、夫々現在この道を通ることができるかをお聞きすると、皆さんすべて歩くことはできないといわれる。
長尾街道はほぼ一直線の道で分かりやすい街道なのだが、唯一この場所だけは事前調査でよくわからない個所だったのだ。今日は夕暮れも迫ってきているので、とりあえず二股の右へ直進して、大阪教育大前の駅へ向かうことにする。
  17時17分に駅に着く。

 本日の歩行時間   6時間12分。
 本日の歩数&距離 26715歩、20km。

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