暗越奈良街道を歩く

2015年01月12日(月) ~2015年01月13日(火)
総歩数:50075歩 総距離:34.8km

2015年01月13日(火)

枚岡~奈良

                                          曇り

 枚岡駅に8時13分に着き、ここから歩き始める。駅を出るとすぐ横に「元春日平岡大社 左 なら」「右 大坂」と刻まれた嘉永6年(1853)の大きな社名標が立っている。
元春日平岡大社
 線路伝いに昨日歩いたガード下まで戻って進む。ここから455mの生駒山暗峠へ向かう。
 坂道を上っていくと、左手に「勧成院」がある。ここは永生2年(1505)に摂津国(現在の高槻市)で建立され、明治27年に現在地に移築されたという。境内に芭蕉が伊賀上野から大阪へ向かう途中の元禄7年(1694)9月9日に詠んだ「菊の香にくらがり登る節句かな」という句碑が立っている。句碑は寛政11年(1799)に地元の俳人が建てたもので、一時期山津波のため行方不明になっていたが、大正2年に発見され、ここへ移されたという。芭蕉は同年10月12日に大坂で亡くなっている。 
勧成院
 その少し先右手に「椋ケ根橋」がある。枚岡神社から山の中を通ってくる道がここで合流しているようだ。
 道に立っている温度計が3℃を表示しているが、坂道を上っているので、寒さは感じない。
 右手に「長持ち石」があり、その横に芭蕉の句碑が立っている。前述したように、句碑が一時期行方不明になっていたため、明治23年にこの句碑を建てたという。8時33分にここを通る。
長持ち石芭蕉の句碑

 右手少し下がったところに観音寺がある。
 その先で後ろを振り返ると眺望が開けて、眼下に町並みが見える。今日は曇っているため、かなり霞んで見える。
眼下に町並みが
 左手に「不動明王」があり、その道を隔てた反対側に石碑が集められている。8時50分にここを通る。
不動明王石碑

 ここの温度計は2℃を表示していたが、坂道を上ってきているので身体はかなり汗ばんでいる。
 左手に「右 くらがり峠」「左 ほととぎすの名所 髪切山慈光寺」と刻まれた大正8年の道標が立っている。
髪切山慈光寺
 舗装された坂道を更に登っていくと右手に「弘法の水と笠塔婆」がある。この水は峠を越える人々ののどを潤したのだろうが、今は飲むことが出来ないようだ。その横に何体かの石仏があり、右手奥に大きな石柱が立っている。これは笠をのせた高さ181cmの笠塔婆で弘安7年(1284)に建てられたものという。ここを9時7分に通る。
弘法の水と笠塔婆
 やがて坂道が少し緩くなってきたところに集落があった。
右手に「地蔵堂」があり、その前に「右 矢田山 二里」「金毘羅大権現」と刻まれた弘化4年(1847)の石碑、更にその横に「矢田 三里 奈良 四里半「と刻まれた蔓延元年(1860)の道標が立っており、奥に「大神宮」の常夜燈が立っていた。
右 矢田山 二里
 そこから先は石畳が短い距離だが残っている。狭い道だが、ここも国道308号線だ。ここから先は住宅が続いている。
石畳
 暗峠には9時20分に到着する。登り始めて1時間7分かかったことになる。
 峠には「従是 北鬼取山元薬師十二丁」「従是 北 生駒寶山寺廿五丁」「大坂 伏見屋つる」と刻まれた安政6年(1859)の道標が立っている。ここが現在の生駒市と東大阪市の境だ。
暗峠
 峠にはちょっとしたお店が一軒あったが、立ち寄らずに進む。
 ここから道は一気に下っていく。
 左手に「本陣跡」と書かれた碑が立っていたが、その少し先に郡山城主門先本陣跡とこれも手書きの標識が立っていたので、これに関連があるのだろうか?よくわからなかった。
「本陣跡
 ここから前方に眺望が開けてきた。
前方に眺望
 左手に4体の地蔵尊を安置する地蔵堂があり、西地蔵と記されている。
4体の地蔵尊
 更に下っていくと西畑町入り口というバス停の横左手に「南無阿弥陀仏」を刻まれた板碑と石仏があり、その横に天保6年(1835)の常夜燈が立っている。9時42分にここを通る。
西畑町入り口
 その先でごく短い距離だが、308号線から右へ分岐する道があり、ここを進むと左手に文永7年(1270)の「石造阿弥陀如来立像」がある。
石造阿弥陀如来立像
 その先で道はすぐ308号線に合流する。
 右手に「石佛寺」がある。ここの境内には鎌倉時代の五輪塔や永禄元年(1558)の六字名号板碑、元文3年(1738)の石仏がある。10時4分にここを通る。
五輪塔六字名号板碑

 狭い道を更に下って行き、10時22分に左手に南生駒駅があるところに到着する。
 川に沿って、右へ二つ目の橋を渡って直進する。ここも道幅は狭い。
 大瀬中学校を左手に見ながら道なりに進んでいくと、右手に足湯がある。何人かの人が浸かっていたが、寒さ対策のためか皆さん黒いウインドブレーカーを着てじっと座っているので、置物のように見えてしまった。10時46分にここを通る。
足湯
 榁木峠は山の中の一本道、坂道を黙々と登っていく。ここも道幅は狭いが国道308号線だ。幸い車がほとんど通らないので歩くには困らない。
一本道
 坂を登り切ったところの左手上に年不詳の石仏と小祠がある。
石仏と小祠
 その先少し右へ入ったところに「賢聖院」がある。ここは北和八十八所第二十二番霊場で、弘法大師修行成道立像(秘仏)を祀っているという。ここを11時2分に通る。
賢聖院
 坂を下っていくと、右手に郡山警察犬訓練所があり、その先で道は二股に別れているので、これを左へ進む。ここに「南 矢田山」「右 やたさん 」(他は判読できませんでした)という2本の道標が立っている。
南 矢田山
 道なりに進んでいくと、左手に「追分神社」がある。神社となっているので、大きな建物を想像していたのだが、祠だけだった。11時26分にここを通る。
追分神社
 その先右手に「村井家住宅」がある。19世紀初め~中期の建物で、ここが大和郡山との分岐点であるため、追分の本陣と呼ばれていると説明されている。奈良市の指定文化財になっている。「右 大坂道」と刻まれた道標が立っている。
村井家住宅
 その先で道を下っていくが、ここで道を間違えた。左手に大和配水池のタンクがあるところから左へ分岐しなければいけなかったのだが、そのまま直進してしまい、途中で気が付いて引き返す。間違った道もガードを越えた先でこの道と合流するのだが、あえて引き返すことにする。
この辺りには伊勢本街道保存会の「おいせまいり」という道案内の札が所々に下がっていて、道を確認できるので助かる。四国遍路を思い出す。
おいせまいり
 谷山跨道橋を渡って坂を下っていくと、左手に「矢田」と刻まれ、その下は埋もれてしまっている道標があり、その横に年不詳の常夜燈が立っている。
矢田
 富雄川に架かる下鳥見橋を渡ったすぐ先、左手に二つに折れた道標が置かれている。車の事故でもあったのだろうか?
折れた道標
 その横、道を挟んだところに「地蔵堂」があるが、由緒は書かれていなかったため、わからなかった。
地蔵堂」
 砂茶屋の信号のところにお店があったので、ちょうど12時になったこともあって昼食にする。
 食事を済ませて歩き始めるが、この辺りには昔の面影が残る立派な家が建っている。
 右手に奈良県立病院が見えてくるところから308号線から右へ分岐して進んでいくと、右手に「垂仁天皇陵」がある。かなり大きな御陵だ。
垂仁天皇陵
 その先で308号線に合流するが、ここに「安康天皇陵 西十丁」「垂仁天皇陵 南二丁」と刻まれた道標が立っている。13時12分にここを通る。
安康天皇陵
 尼ケ辻の駅を右手に見ながら進むが、ここから先は一本道だ。
 三条大路5丁目の信号の少し手前、右手に「石造地蔵菩薩立像」がある。これは光背に文永2年(1265)と刻まれていることから、この年に造られたものといい、奈良市指定文化財になっている。
石造地蔵菩薩立像
 その先右手に「出屋敷地蔵尊」がある。子安の地蔵尊という。
出屋敷地蔵尊
 JR奈良駅の少し先、右手に文化11年(1814)の大きな常夜灯が立っている。
文化11年
 左手に「淨教寺」がある。ここの山門は江戸末期の作で登録有形文化財に指定されている。また山門横に生えているソテツは1本の株から25本の幹が出ている珍しいもので奈良市指定文化財となっている。
山門
 更にその先左手に「奈良縣里程元標」が立っており、その横に高札場が復元されている。
奈良縣里程元標
 14時19分に猿沢池に到着したので、ここを暗越奈良街道の終点とした。
猿沢池
 本日の歩行時間   6時間6分。
 本日の歩数&距離 32063歩、21.2km。

 暗越奈良街道総合計
 総歩行時間      10時間13分。
 総歩数         50075歩。
 総歩行距離      34.8km。

旅の地図

記録

プロフィール

かっちゃん
歩人
かっちゃん