西高野街道を歩く

2016年11月18日(金) ~2016年11月19日(土)
総歩数:31458歩 総距離:23.8km

2016年11月19日(土)

滝谷~河内長野

                           曇り時々雨

 8時49分に昨日歩き終わった場所から出発する。今日は曇天で時々雨が降ったが、幸いひどい降りにはならずに済んだので助かった。
 出発してすぐの左手に「右 上神谷妙見山 二十七丁」「長野よつかいど」と刻まれた大正2年の道標が立っており、その横に安永5年(1776)の太神宮灯籠、宝篋印塔、地蔵堂がある。
上神谷妙見山 
 その先で道は二股に分かれており、右の坂を上っていく。この坂は北坂と呼ばれているようだ。
 左手に天保2年(1831)の太神宮灯籠があり、基礎部分に「おかげ」と刻まれている。
天保2年
 その先で中高野街道と合流するが、ここに明和2年(1765)の「太神宮灯籠」、「右 平野是○四里」「左 さかい大坂」と刻まれた天保7年(1836)の道標および「左ハ平野道」「大坂道」と刻まれた地蔵道標を安置する地蔵堂が立っている。
明和2年
 その先で道は二股に分かれており、ここに「四国八十八ケ所遥拝道 こ連よ里壱町」「為父母法界 施主泉州堺 小深半兵衛」と刻まれた天保8年(1837)の碑が立っている。
「四国八十八ケ所遥拝道
 西高野街道は二股を左へ下っていくが、この坂は南坂と呼ばれているという。右手に地蔵堂とその横に宝篋印塔があるが、資料によると、これは元文2年(1737)の銘があるという。
元文2年
 その先右手に「晴明塚」がある。ここは平安時代に活躍した陰陽師の安倍晴明が所蔵していた天文学の書物を埋めた場所と言われており、碑の前には明和4年(1767)の「五條天神宮」と刻まれた灯籠があり、背後には寛永11年(1634)の地蔵尊を安置する祠がある。
晴明塚
 大坂外環状線の高架下を過ぎた先、右手に「右さかい大○」「左 まきの」と刻まれた自然石の道標がある。
右さかい大
 そのすぐ先、左手に同じく自然石に「右 かうや」「左 ふじい寺」と刻まれた天保6年(1835)の道標がある。
右 かうや
 左手に「原町の旧阿弥陀寺石造仏群」がある。ここには寛永11年(1634)の十三仏板碑が二基と地蔵菩薩1体、観音菩薩1体が安置されているが、これらはこの地にあって20世紀初めに廃寺となった阿弥陀寺の境内にあったものという。右奥の板碑は像高228cmあって市内最大級のものといい、河内長野市の指定文化財になっている。
原町の旧阿弥陀寺石造仏群
 すぐ先右手に明和5年(1768)の太神宮常夜燈が立っている。
明和5年(1768
 310号線を横断して寺元記念病院の裏を通って進むと、右手に明和6年(1769)の太神宮灯籠が立っている。その横に「膳所藩代官所跡」の碑が立っている。この辺りに近江膳所藩の代官所があったという。
膳所藩代官所跡
 その先で街道から外れて右折して進み、最初の角を左折した先に「是より高野山女人堂九里」と刻まれた里程石が立っており、その横に「右 中本山極楽寺」「左 さかい四里 大坂江七里」と刻まれた道標が立っている。これらはもともと旧道沿いにあったものを移動させたという。
9時55分にここを通る。
九里石
 街道に戻って進むと、左手に常夜燈が立っており、その横に地蔵堂がある。ここで東高野街道と合流する。
東高野街道
 その先左手に「割坂地蔵尊」がある。
割坂地蔵尊1割坂地蔵尊2

ここから長野商店街のアーケードを抜けて10時11分に長野駅前に到着する。ここに高野街道のモニュメントが立っているので、ここで西高野街道を歩き終えたことにする。
モニュメント
 本日の歩行時間   1時間22分。
 本日の歩数&距離  6134歩、4.2km
 本日の純距離     3.7km。(途中、寄り道をせず、道を間違えず、街道だけを歩いた場合の距離)


 西高野街道総合計
 総歩行時間      7時間38分。
 総歩数         31458歩。
 総歩行距離      23.8km。
 総純距離        19.4km。(途中、寄り道をせず、道を間違えず、街道だけを歩いた場合の距離)

 今日はこの後、天見駅まで歩いたが、その分に関しては、高野街道京、大坂道不動坂としてすべて歩き終わってから掲載させていただきます。

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