西近江路を歩く

2017年10月26日(木) ~2017年10月28日(土)
総歩数:114404歩 総距離:74.5km

2017年10月26日(木)

大津~坂本

                            晴れ

 西近江路は古来、畿内と北陸を結ぶ最短距離の道として重要視されており、日本七街道の一つに数えられていた。琵琶湖の西岸を通るこの道は、湖岸を通るため、一本道的な性格が強く、古くは天武天皇元年(672)の壬申の乱や天平宝字8年(764)の藤原仲麻呂の乱、寿永2年(1183)の木曽義仲討伐、更には元亀元年(1570)織田信長の朝倉義景討伐等戦乱の舞台にもなった街道だ。古代、中世は北陸道と呼ばれていたが、明治20年に西近江路として県道になってからは、西近江路と呼ばれるようになったという。

 御代参街道を歩き終えて、大津で金沢に帰るI君と別れたのち、14時27分に札ノ辻から歩き始める。ここが東海道との分岐点になっているところだ。
 ここに「大津市道路元標」が立っている。
大津市道路元標
 左手に「伝光院」があるが、ここは大津城大手の総門を移設したという説があるという。
伝光院
 この辺りには光西寺、清龍寺等の寺院が並んでいる。
 その先突き当りを右折して進むとすぐ先、街道から外れて左手に少し入ったところ左手に「小関越道標」が立っている。この道は小関越と言われる間道で、東海道の横木に通じているという。東海道の逢坂関(大関)に対し、小関と呼ばれていたという。道標は江戸時代中頃の建立で「右 小関越 三条・五条・いまく満」「左 三井寺 是より(半丁)」「「右 三井寺」と刻まれている。
小関越道標
 街道に戻って進むと、すぐ先街道から左手に入ったところに「長等神社」がある。ここは天智天皇667年頃に創建されたという古い神社で、園城寺(三井寺)の鎮守としての歴史も持っている。朱塗りの楼門は大津市指定文化財になっている。
長等神社
 疎水を渡って進み、街道は右折するのだが、左折して園城寺(三井寺)へ向かう。ここは7世紀に大友氏によって創生され、10世紀ごろからは比叡山延暦寺との対立が激化して、何度も焼き討ちにあったり、豊臣秀吉から寺領を没収されて廃寺同然となったこともあるが、その都度再興されてきたことから「不死鳥の寺」と称されているという。
重要文化財に指定されている「大門」は室町時代の宝徳3年(1451)に建立されたと推定されているという。
大門
「食堂(釈迦堂)」は室町時代初期の建立とされており、重要文化財に指定されている。
食堂(釈迦堂
「三井の晩鐘」は近江八景の一つで、音の三井寺として日本三名鐘の一つに数えられているという。慶長7年(1602)に鋳造されて、国宝の指定を受けている鐘楼とともに県の文化財に指定されている。
三井の晩鐘
「園城寺塔婆(三重塔)」はもと大和国比曽寺(現在の奈良県世尊寺)にあったものを慶長6年(1601)に移設したもので、南北朝時代に建立されたものといい、これも重要文化財に指定されている。
園城寺塔婆(
このお寺は落ち着いた雰囲気のとても厳かな雰囲気が漂っているいいお寺だと思った。境内を散策されておられる方も、一人でゆっくり見物されておられる方が多かった。
 一通り境内を散策して街道に戻って進む。京阪電鉄の踏切を渡って進み、観音寺西の信号から左折して進むが、ここに文政10年(1827)の「右 三井寺観音道」「右 山王唐崎道」と刻まれた道標が立っている。
文政10年(1827
左手に「蛭子神社」、「長泉寺」を見ながら進んでいくと、左手に皇子山中学校がある右手に「川瀬太宰宅跡」の碑が立っている。川瀬太宰は膳所藩家老の家に生まれ尊王攘夷派となったが、慶應元年(1865)会津藩士に捉えられ、翌年京都で処刑されたという。
川瀬太宰宅跡
 右手に自衛隊の基地があり、旧道は基地に吸収されていて、通ることができないため、161号線を進んで行き、唐崎一丁目の信号から161号線から分岐して右へ直進する。
 分岐した右手に「日吉神社神馬仮屋地」と刻まれた石標が立っている。山王祭の神馬が繋がれた場所で、江戸時代にはこの場所に山王一の鳥居があったという。
日吉神社神馬仮屋地
 右手、電柱の横に「天保□」「「白髭」「京都」と刻まれ、それ以下は埋没している白髭神社の道標がある。
天保□」「「白髭」「京都
 ここから街道を外れて右折して進むと、「唐崎神社」がある。
唐崎神社
 ここは歴史も古く、平安時代には天皇の災禍を祓う「七瀬之祓所」の一つになっており、桓武天皇も当地に行幸されたという。ここには「近江八景」の一つ、「唐崎夜雨」の舞台となった立派な松があり、「唐崎の松」として親しまれている。現在の松は天正19年(1591)に植え替えてから三代目になるという。
唐崎の松
 また琵琶湖に接する境内には寛永10年(1633)や元禄13年(1700)と刻まれた常夜燈が立っている。
16時31分にここを通る。
寛永10年(1633
 右手の庭の中に頭部を欠いた宝篋印塔が立っている。庭の中なのでよくわからなかった。
部を欠いた宝篋印塔
 その先で161号線に合流し、四ツ谷の信号から161号線から左へ分岐して進む。
 右手に「志津若宮神社」がある。志津という名前から、中世に下坂本にあった湊の一つ、志津がこの辺りに比定されるという。16時50分にここを通る。
志津若宮神社
 柳町自治会館の前に「薬師堂」が立っている。
薬師堂
 左手に「長善寺」がある。ここは文明2年(1470)に開基されたお寺で、長禄・寛正年間(1457~1466)に本願寺蓮如の道場となるが、その後、真崎新左衛門長善が当寺に入って布教に努めたことから、慶長年間(1596~1615)に「長善寺」と称するようになったという。
長善寺
この辺りの道沿いには地蔵尊を安置した地蔵堂が数多くある。
地蔵尊を安置した
その先に文明3年(1471)に開基されたという「立専寺」が右手にあり、その先左手に天正14年(1586)に開基されたという「順照寺」があるなど、歴史のあるお寺が続いている。
立専寺順照寺

 右手に「坂本城址」の碑が立っている。坂本城は明智光秀が湖岸に築いた城で、光秀の死とともに落城した。その後天正14年(1586)頃、大津築城とともに廃城になったという。
坂本城址
 右手に「蓮瑞寺」がある。ここは延暦7年(788)に開基されたが、元禄16年(1708)に現在地に移転したという。
蓮瑞寺
 その先で道は「両社の辻」と言われる十字路に来る。ここは西近江路と比叡山無動寺谷から坂本を経て湖岸に向かう道が交わる点で、ここを左折すると右側に「酒井神社」があり、その道を挟んだ前に「両社神社」が建っている。
「酒井神社」は弘仁元年(810)酒の泉が湧出した場所を掘ったところ、霊石を見つけ、これをご神体としたことに始まるという。本殿は元和6年(1620)広島藩主浅野長晟によって建立されたという。
酒井神社
「両社神社」は元仁年間(1224~1225)に高穴穂神社の祭神を酒井神社の境内に勧請したことに始まり、元和6年(1620)に酒井神社の本殿が建立されたとき、酒井神社から独立して現在の本殿が建立されたという。
両社神社
 その先左手に元和2年(1616)に開基したという「専念寺」、同じく左手に天照大神を祀り、延暦20年(801)に勧請されたという「幸神神社」がある。
 更にその先、右手に「厳島神社」があるが、ここの境内に推定樹齢300年と言われるイチョウの木があり、「弁財天」と刻まれた享保15年(1730)の常夜燈が立っている。
厳島神社イチョウの木

 左手に「磯成神社」、更に左手に延暦年間(782~806)に最澄によって創建され、寛文10年(1670)に再建されたという「観福寺」が続いて建っている。
西近江路と坂本の八条通を下った道が交わる「比叡辻」があり、辺りはもうすっかり薄暗くなってきたので、17時23分、ここで今日の歩きを終え、比叡山坂本駅へ向かう。今日は大津にとっているホテルに宿泊する。

 本日の歩行時間   2時間56分。
 本日の歩数&距離  16188歩、11.5km。
 本日の純距離     8.5km。(途中、寄り道をせず、道を間違えず、街道だけを歩いた場合の距離)

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