西近江路を歩く

2017年10月26日(木) ~2017年10月28日(土)
総歩数:114404歩 総距離:74.5km

2017年10月27日(金)

坂本~小松

                          曇り時々晴れ

 昨日歩き終えた旧比叡辻にはまだ新しい石碑が立っている。
旧比叡辻
 ここの右手には「若宮神社」がある。ここは白鳳2年に創建されたと伝えられており、その後、織田信長の延暦寺焼き討ちによって焼失したが、天正年間(1573~1592)にこの地に戻って再建されたという。境内に寛保2年(1742)を始めとする常夜燈が立っている。
 この辺りは古い歴史を持っている寺社仏閣が多い。
若宮神社
 8時ちょうどにここを出発する。
 右手に寛永14年(1637)に創建され、寛保元年(1741)に再興された「尊勝庵」がある。寛保3年(1743)の常夜燈や安永4年(1775)の宝篋印塔が立っている。
尊勝庵」
 左手に弘仁2年(811)に創建と伝えられる「大崎神社」がある。「大崎大明神」と刻まれた常夜燈が立っているが、年は不明だ。
大崎神社
 左手に「供所神社」がある。ここも弘仁2年(811)に創建されたが、元亀の兵乱(1570~1573)で焼失、天正年間に再興されたという。ここにも年不詳の「御供所大明神」と刻まれた常夜燈が立っている。
供所神社
 左手に「石経法華 毎一石 写一字」と刻まれた寛政8年(1796)の石碑が立っている。
寛政8年(1796)
 ここから街道を左へ外れて「聖衆来迎寺」へ向かう。ここは延暦9年(790)最澄によって創建されたお寺で、数多くの文化財を所有しているため、「比叡山の正倉院」と称されているという。客殿は寛永15年(1638)に建立されており、重要文化財になっている。
客殿
 境内には古い常夜燈や宝篋印塔が数多く立っており、織田信長の家臣、森可成の墓である寛文10年(1670)の五輪塔も立っている。
常夜燈や宝篋印塔
街道にもどって進み、すぐ先で161号線に合流してしばらく進むと、左手に「苗鹿の常夜燈」がある。「苗鹿講」「両宮月参」「大神宮」と刻まれたこれは弘化4年(1847)に建立されたもので、西近江路沿いの常夜燈では最大規模のものという。
8時38分にここを通る。
苗鹿の常夜燈
 ここから161号線から左へ分岐して進むと、左手に「那波加荒魂神社」があり、推定樹齢300年とされる欅が立っている。ここは上の宮と呼ばれている。 
那波加荒魂神社定樹齢300年

道を挟んだ右手には「那珂加神社」があり、ここは那珂加荒魂神社に対して下の宮と呼ばれているという。延喜式式内社で、祭神である天太玉命の農事をどこからともなく現れた鹿が、稲(苗)を背負って助けたことから苗鹿(のうか)の地名がおこったという。
那珂加神社
 大正寺川を渡った左手に「常夜燈」が立っており、「法光寺」「薬師如来」と刻まれている。ここから左へ行くと法光寺があるのだ。
法光寺常夜燈
 その先で161号線に合流、雄琴港口の信号から再び161号線から左へ分岐して進むと、左手に「日蓮上人 御旧蹟 横川定光院道 大津十二日講 コレヨリ一里」と刻まれた「定光院道道標」が立っている。
定光院道道標
 右手、雄琴会館玄関前に「従是北 滋賀院御領」と「従是南 滋賀院御領」と刻まれた二つの石碑が立っている。
9時10分にここを通る。
従是北 滋賀院御領従是南 滋賀院御領

 すぐ先で右折、その先に中雄琴の「地蔵堂」があるが、ここには一里塚があったという。ここから左折して進む。
中雄琴の「地蔵堂
 その先で雄琴川を渡って進み、161号線に合流する。
 左手に明応9年(1500)に開基されたという「円成寺」があり、門前に「蓮如實如上人御旧蹟」と「衣川城主 山内駿河守宗綱公菩提寺」と刻まれた石碑が立っている。
円成寺
 この辺りは大津を起点とした西近江路の最初の宿場だった衣川宿があったところということだが、遺構は全く残っていない。
 仰木口の信号から161号線から分岐して左折、すぐ先仰木道信号のすぐ先から右折して細道にはいるが、この角左手に「仰木道の榎」が立っている。この木は一里塚の役割を果たしていたという。
この木の根元に「白髭大明神」と刻まれた天保9年(1838)の道標が立っている。これは大津市内に残る白髭神社の道標のうち、唯一完全な形で残っている物という。
 9時51分にここを通る。
仰木道の榎
 堅田駅を左手に見ながら進むと、その先右手に「旧北国街道」のまだ新しい石碑が立っており、「昔この地には一本の松の大樹があり、「一本松」と呼ばれていた。この地の北方和邇に一里塚があり、そこからこの一本松まで一里あったことから、一本松は一里塚の役割を果たした」と説明されている。ただすぐ前に仰木道の榎が一里塚の役割を果たしていたとあったので、どうなっているのだろう。
旧北国街道
 この辺りも地蔵堂が多く、随所に小さな祠がある。

 558号線に合流して進んでいくと、左手に文明3年(1471)に開基されたという「正源寺」があり、本堂の横の廊下に重要文化財に指定されている「梵鐘」が下がっている。
正源寺
 小野駅を左手に見ながら進み、小野の信号から街道を外れて右手に少し進んだところに天保9年(1838)の庚申塔や阿弥陀石仏、盛長明神供養塔等がある。かってこの場所は庚申塚があり、庚申松と呼ばれる松が生えていたという。
小野の信号
 街道に戻って小野の信号から558号線から左斜めに分岐すると、すぐ左手に地蔵堂がある。ここの右手に「はらかけ地蔵」の標石があり、その横に「本庄塚」と刻まれた石碑が立っている。10時56分にここを通る。
はらかけ地蔵
 その先、JR湖西線の高架下手前で右に分岐する道があり、ここで西近江路は下海道と上海道に分岐するので、今回は上海道を歩くことにする。
 その先で街道から外れて左手の坂を登っていくと、左手に「比良山花蓮院」がある。ここには観音堂と毘沙門天尊前という銘の鰐口が掛けられた建物が並んで建っている。ここには平安時代の像と言われる「聖観音立像」と「毘沙門天立像」が安置されているという。
比良山花蓮院
 その更に上に「小野道風神社」がある。ここは小野神社の飛地境内摂社で小野道風を祀っており、暦応4年(1341)に建立されている。重要文化財に指定されている。小野道風はそれまでの中国的な書風から脱皮して和様書道の基礎を築いた人物と評されていて、後に、藤原佐理と藤原行成と合わせて「三跡」と称されるようになった。
小野道風神社
 街道に戻って進むと、左手に「小野神社」がある。ここは延喜式式内社の名神大社「小野神社」に比定されている。境内の左手が「小野神社」で、右手にある「小野篁神社」は重要文化財に指定されている。
小野篁神社小野神社

 境内には小野小町とされる五輪塔が立っているが、小野小町に関しては羽州街道を歩いたときに「小野堂(芍薬塚)」を見たことがあり、その地で亡くなったとされていたので、この場所にある小野小町の塔が何を意味しているのかよくわからなかった。
小野小町
 「榎」の顕彰碑がある。ここには榎が植えられていたが、枯れ朽ちた為、昭和43年に切り倒されて顕彰碑が建てられたという。この木は慶長9年(1604)に一里塚の樹木として植えられたと伝えられる一方で、天皇神社の神木であるともされている。この木はかなり目立ったらしく、和邇宿は榎宿とも呼ばれることがあったという。
榎」の顕彰碑
 その先街道から右へ行った所にアルタというショッピングモールがあったので、ここで昼食を摂る。
 街道に戻って進むと、先ほど分岐した下海道との合流点に来るが、ここを「出口辻」というようだ。左手に「大将軍神社」があるところから左折して進む。
12時26分にここを通る。
大将軍神社
 細道を進んでいくと、中浜会議所前に「燈籠場地蔵」がある。これは昔、湖岸にあったそうだが、国道拡幅のため、この地に移されたという。
燈籠場地蔵
 すぐ先で558号線に合流して進んでいくと、喜撰川手前の右手に常夜燈が立っている。
喜撰川手前
 右手に「愛宕山常夜燈」と刻まれた元治元年(1864)の常夜燈が立っている。
元治元年(1864
 右手に「真光寺」が立っている。ここの地蔵菩薩立像は平安後期のものという。延享3年(1746)の「法華塔」と刻まれた石碑が立っている。
真光寺
 この左手に「住吉神社標石」が立っている。明治11年に復元、再建したものという。
住吉神社標石
  前方に比良山が立ちはだかるように見える道を進んでいくが、車の通行量が多い。
 比良山
 左手に「八所神社」がある。織田信長が比叡山を焼き討ちしたとき、日吉神社の禰宜祝部行丸が類焼を避けて日吉七社のご神体をこの地に移し、日吉神社再興までこの地で奉祀したという。今日は先日の21号台風の影響で樹木が折れたりして境内が荒れているためか、ロープが張られていて境内に入ることができなかった。
 13時2分にここを通る。
八所神社
 八尾戸の信号で558号線から左へ分岐して進む。車の通行量が急に少なくなって静かになる。
 左手角に常夜燈が立っている。
角に常夜燈
 十字路のところに道標と六地蔵がある。道標はなんと刻まれているか判読できないが、資料によると「左 京大津」と刻まれているようだ。
十字路のところに道標六地蔵

 ここを右へ進むと右手に「秋葉山夜燈」と刻まれた文政4年(1821)の常夜燈が立っている。
文政4年(1821
 558号線に合流するところ左手に3体の石仏があり、ここに「(梵字) 左かいどう」「文政2年(1819)」と刻まれた道標が立っているが、まだ新しいので再建されたもののようだ。
3体の石仏
 すぐ先で558号線から再び左へ分岐して山道へ入っていくが、ここも台風の影響で数多くの樹木が折れて倒れている。折れた木をかたずけている方がおられたので話をお聞きすると、21号台風はこれまでに経験した中で最も激しい台風だったと言われていた。
山道1山道2

 「志賀清林埋骨地」と刻まれた標石が立っている。ここは志賀青林墓地で、志賀青林は聖武天皇の神亀年間(724~729)に、近江国から朝廷に出仕し、相撲の技四十八手と礼法と「突く・殴る・蹴る」の三手の禁じ手を制定することを桓武天皇に奏上した人物で、相撲行司の始祖と伝えられているという。明治35年になってこの地に青林の墳墓があると認定したことから、明治38年に標石が建てられたという。13時37分にここを通る。
志賀清林埋骨地
 その先で558号線を横断、更にそのすぐ先で再び558号線を横断して進むと、右手に常夜燈が二つ立っており、一つに「太神宮」「村中安全」と刻まれている。
常夜燈が二つ
 左手に「白髭大明神右是」まで読むことができる天保7年(1836)の道標が立っている。
白髭大明神右是
 左手に「愛宕大神」と刻まれた常夜燈があり、その周りに小祠や石仏が安置されている。
愛宕大神
 志賀駅入口の信号から左折して進むが、この辺りは道がわかりにくい。161号線から右へ分岐するが、住宅街の中の入り組んだ細道を歩いていくと、右手に柵がある山道に出て、これを進んで行くと、やがて舗装された道に出る。
柵がある山道
 舗装された道を進んでいくと151号線に合流するが、その先で右手に「白髭大明神」「左 是○三里」まで読むことができる天保7年(1836)の道標が立っている。
左 是○三里
 すぐ先で再び151号線から左へ分岐する。
 左手に明治11年の常夜燈が立っている。
明治11年の常夜燈
 南比良の信号で道は北国海道下道と北国海道上道に分かれる。下道は右へ分岐して湖岸を進むようだが、今回は直進する上道を歩くことにする。
そのすぐ先、左手の比良変電所前の農道が旧道のようなのでこれを歩くが、距離はわずかだ。
 161号線に合流して進むと、左手に「樹下神社」があるが、入り口にロープが張られていて境内に入ることができない。ここも21号台風の被害が出たのだろう。
15時13分にここを通る。
樹下神社
 その先で左手からくる北国海道下道と合流する。すぐ先右手にびわこ成蹊スポーツ大学がある。
 161号線を進んでいき、左手に分岐する道があるので、この道は進むが、ここに4体の地蔵尊が祀られている。
4体の地蔵尊
 右手畑の中に「元三大師」と刻まれた常夜燈が立っている。柵で囲まれているので近づくことはできなかったが、資料によると明治10年に建立されたもので、以前はここで辻説法があったという。
元三大師
 左手に常夜燈が二基立っている。資料にある「蓮如聖人有縁地蔵」「天保11年(1840)」の標石と「愛宕山講中」と刻まれた常夜燈がこれにあたるのだろう?よくわからなかった。
蓮如聖人有縁地蔵
 左手に平井長食料店があり、その前に地蔵尊を安置する石室がある。
 15時43分にここを通る。
平井長食料店
 左手に八幡神社の参道があり、ここに「御神燈」と刻まれた文政10年(1827)の常夜燈が二基立っている。
文政10年
 すぐ先で道は三差路になっており、ここに「白髭大明神 左 二里八丁」と刻まれた天保7年(1836)の道標が立っている。
白髭大明神 左 二里八丁
 ここを左へ進む。
 家棟川左岸に小型阿弥陀如来石仏を安置する「地蔵堂」があり、その横には「奉燈」と刻まれた常夜燈が立っている。
小型阿弥陀如来石仏
 307号線に合流すると左手に「西方寺」がある。門前に「親鸞聖人御?跡」の石碑が立っている。
西方寺
 すぐ先から307号線から左斜めへ分岐して進むと、獣害防止のための柵が張り巡らされている。ただ「通ったときは扉の施錠をお願いします」と書かれているので、通行はしてもいいのだろうと思って、扉を開け、中に入って扉を閉めて先へ進む。
16時6分にここを通る。
獣害防止
 ここはしっかりとした道があり、しかも車が通らないので、極めて快適に歩くことができた。
極めて快適
 滝川の手前、左手に「廻国塔」が立っている。資料によると「(梵字)奉納大〇妙典六十六部」と刻まれているようだ。
廻国塔
 滋賀バイパスのガード下を抜け、右折して進むと、右手に「地蔵堂」がある。
右手に「地蔵堂
 左手に「樹下神社」がある。鳥居は寛文3年(1663)に建立されており、安政3年(1856)や天保7年(1836)の常夜燈や文和5年(1356)の宝篋印塔等数多くの燈籠が立っている。
樹下神社
 すぐ先で307号線から右斜めに分岐して細道を進むと、左手に「正覚寺」があり、旗が何本も立っていた。何かお祭りであるのだろうか。
正覚寺
 16時50分、今日はここで歩き終わることにする。ここから北小松の駅まで出て、今日の宿のある安曇川まで移動する。宿は駅のすぐそばにある「ウエストレイクホテル」だ。

 本日の歩行時間   8時間50分。
 本日の歩数&距離  44458歩、28.8km。
 本日の純距離     26.5km。(途中、寄り道をせず、道を間違えず、街道だけを歩いた場合の距離)
 

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記録

プロフィール

かっちゃん
歩人
かっちゃん