木曽街道(上街道)を歩く

2023年03月14日(火) ~2023年03月15日(水)
総歩数:66244歩 総距離:43km

2023年03月15日(水)

田縣神社前~伏見宿

                      晴れ
昨日歩いた3つの祠がある所から7時42分に出発する。
しばらくは閑静な道を進んで行き、その先で27号線に合流した先左手に「烏・天神社」がある。ここに「楽田城南門旧跡」碑が立っている。楽田城は織田久長が美濃国への防御として永正年間に築城したのが始まりと言われている。
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街道はここから27号線から左へ分離して進む。
左手少し入ったところに「馬頭山観音寺」がある。資料によると、織田信長の家臣平手政秀は、馬頭観世音を護持仏としており、楽田本町出身の妻お錫の方は政秀の死後、仏門に入り、小牧長久手の戦いの折、観音像を楽田村内の七ツ屋の塚に埋めた。30年ほどたった元和元年(1615)のころ、楽田村の弥蔵の枕元に馬頭観音が現れて「塚の下3尺を掘れ」と告げられたので、弥蔵が掘ったところ馬頭観音が出てきたので、村人は観音堂に安置して代々庄屋が護ってきたという。
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街道に戻って進むと、左手に「小西寺」があり、尾張西國三十一番札所の石柱が立っている。
左手に「神明社」があり、伊勢神宮や津島社など5つの祠が祀られている。その横に楠の大木が立っていて、大きい根が石灰岩を巻き込んでいる。
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道を挟んだ右手に「楽田城北門旧跡」と刻まれたまだ新しい石碑が立っており、資料によると三十三観音、文政7年(1824)の行者像、覚明霊神、御嶽講の石碑が並んで立っている。
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左手に「須賀神社」があり、津島社、秋葉社等の4つの祠と御嶽講の石碑2本が立っている。
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すぐ先で27号線を横断、次の角を左折して進むと、道が二股に分かれているところに教会があり、その柵の横に資料によると「右 きそ 左 犬山みち」「右 善光寺 左 三光神社」「尾張冨士道従是二十丁」「黒平山秋葉道」と刻まれた道標が立っている。注意をしないと見落としそうな石碑だが、ここが犬山城へ行く稲置街道と木曽街道の分岐点で楽田追分と呼ばれている。左へ行くのが稲置街道で、木曽街道は右へ進む。8時39分にここを通る。
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すぐ先右手に追分地区の石仏が集められている。寛政、文政、享和、明和といった江戸時代後期の石仏が多い。
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名鉄小牧線の踏切を渡って進むと、左手に旧庄屋だった「田中家」があるが、現在家の改修中だった。田中家と道を挟んだ右手に資料によると「楽田原新田左志のをか」「田中氏繁尚」と刻まれた享和3年(1803)の「馬頭観音」がある。
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すぐ先右手に「五里塚跡」碑が立っている。名古屋の清水御門から五里のところだ。
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左手に「神明社」がある。境内には嘉永5年(1852)や嘉永6年(1853)の常夜燈が立っていて、蕃塀の横には樹齢300年と伝承されている宮浦神明社のクスノキが立っている。
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左手に「観音寺」がある。ここは天平勝宝4年(752)聖武天皇によって建立されたことが始まりと言われている古いお寺だが、その後衰退。明治16年に本堂のみを再建したという。本殿前に宝暦13年(1763)の常夜燈があり、横手に明和や安永といった江戸時代の石仏群が並んでいる。9時22分にここを通る。
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その先右手に土蔵がある所から街道から左へ分岐したところに「入鹿洪水溺死郡霊塔」が立っている。慶応4年(1868)長雨に耐え切れず百間堤が決壊した「入鹿切れ」で被害を被った溺死者の慰霊塔だ。
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左手に羽黒変電所を見ながら進み、新郷瀬川に架かる合戦橋を渡ると、「左 きそみち」「右 やまみち」と刻まれた安永2年(1773)の馬頭観音がある。
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道は二股に分かれているので、左へ進むと、すぐ先右手の金網の中に「三十三観音」がある。
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前原の信号の手前右手に小祠と横に「山神」と刻まれた石碑がある。
右手に「天道宮神明社」があり、入口に安政3年(1856)の常夜燈が立っている。街道から外れて長い参道を進んで行くと、桃山時代の遺風を残しているものの、創建年月は不明という楼門がある。また参道には樹齢200年というシイの木が立っている。
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参道の道を挟んだ前に「福昌寺」があり、前原地区の御嶽山関係の石仏が集められている。
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右手に「聖観音菩薩像」がある。「左 ぜんじの 右 いまい」「○五番 八栗寺」と刻まれている。○の部分は欠落していて読むことができないが、八栗寺といえば四国八十八ケ所の八十五番なので、八という文字が欠落しているのではないかと思った。
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静かな山間の道で車も少なくて歩きやすい。
右手に「清水寺」の社標が立っている。清水寺は延暦24年(805)坂上田村麻呂の開基といわれており、観音堂には聖徳太子作の馬頭観音が安置されているが、これは京都の清水寺の本尊と同木で作られたものと説明されている。ここからかなり距離があるようだったので、立ち寄らずに先に進む。
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左手から186号線が合流するところ左手に「左 なごや 右 いぬ山」と刻まれた道標が立っている。
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名鉄広見線の踏切を渡った左手に常夜燈2基と小祠がある。ここは御番屋という宿場町の出入りをチェックする番人の詰め所があったところで、ここから北が善師野宿だった。ここに木曽街道の説明板が立っていて、それによると、木曽街道は元和9年(1623)に尾張藩が開通させたが、中山道への道は別に下街道があり、こちらは平坦で利便性が高かったため、商人や旅人はもちろん、役人までも利用したため、善師野宿は衰えていったと説明されている。11時6分にここを通る。
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ここで道は二股に分かれているので、右へ直進すると、右手に木曽街道禅寺野宿場概要図(ここでは善師野とは異なる字が使われている)が掲げられていた。
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静かな山間の道を歩いていくと、右手に明治12年の常夜燈がある。
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左手に「禅徳寺」があり、参道に推定樹齢200年というエノキの大木が立っている。また明治2年生まれの教育者・作詞家だった堀沢周安のお墓が本堂裏の墓地にある。
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左手に本陣だった家がある。何も標識がなかったので、気づかずに通り過ぎてしまったが、すぐ先で集落が途絶えてしまったので引き返してくると、ちょうどこの家の奥さんがおられたので、ここが本陣だったということを教えて頂いた。11時32分にここを通る。
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左手に「右 土田宿へ二里 左 犬山及小牧宿へ三里」と刻まれた一里塚碑とその横に馬頭観音がある。
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その先で道は土道になるが、ここに鎖が張られていて「不要不急の無断通行禁止」という看板が立っている。我が街道歩きは不要不急かな?でも北九州からここまで来ているので、勘弁してくださいと思いながら鎖を越えて先へ進んだ。
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右手に大洞池があるすぐ手前左手に「蓑岩」がある。大きな岩だが、古神道における岩に対する信仰である磐座であったと考えられているとのこと。確かに小さな祠が祀られていた。11時45分にここを通る。
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十字路があり、ここに「寂光院 2.7㎞1:45分」と記された道標が立っているので、これを直進する。この道は東海自然歩道になっていて、きれいに整備されているので歩きやすい。善師野から石原へ入るこの峠は石拾峠と呼ばれていて、厳しい峠道を越えるため、無事安全を祈って石を拾い、峠を通過して石を置いたと伝えられているという。膝に不安があるので、どのような峠だろうか?と思っていたのだが、特に問題なく歩くことができた。
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その先でもう一度十字路があり、「東濃コース 可児」「愛知コース 入鹿池」ときざまれているので、可児を目指して直進する。12時4分にここを通る。
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左手に道標があり、一つには「右 つかお」「左 犬山道」と刻まれている。もう一つの方は「左 名?や」と刻まれている。
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左手から舗装された道が合流するところに「石拾峠をへて善師野宿」「左 旧木曽街道(名古屋道)」「石原村をへて土田宿」と刻まれた平成15年の道標が立っている。12時12分にここを通る。
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ここを右へ進むと、すぐ先でガードがある。おそらく車両が通ることを禁止しているのだろうと思ってそのまま先へ進む。
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ゴルフ場に挟まれた道を進んで行くと、その先左手に「建速神社」がある。12時41分にここを通る。
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349号線に突き当たる直前、左手に「右ハかち(徒)道 左ハ馬道 川渡ハに道」と刻まれた文化10年(1813)の「切通しの馬頭観音」がある。13時2分にここを通る。
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右手に文明年間(1469~1487)に土田氏によって築かれたという土田城址がある。ここは織田信長の生母である土田御前が生まれた地とも言われている。
その先に可児川に架かる刎橋がある。ここは大変な難所だったところで、尾張藩が刎橋を初めて架けたのは寛永7年(1630)で、その後何度も架け替えていて軍事上においても大きな役割を果たしていたという。橋の上から川を見ると、かなりの高さがあり、相当な難所だったことがよくわかる。
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その先小さな石仏があるところから右折、突き当りに小祠と報恩寺の社標が立っているところから左折して進む。
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右手に土田宿本陣跡がある。ここは中山道の宿駅としていつ設置されたか不明だが、天正10年(1582)織田信長が武田氏攻略、慶長5年(1600)徳川秀忠が関ヶ原合戦の際ここに宿泊をしている。また初代尾張藩主徳川義直も土田宿本陣に宿泊して、この一館を「止善殿」と名付けたという。今は門のみが残されている。
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14時丁度に中山道伏見宿に合流する。ここには何も標識等はない。

本日の歩行時間  6時間18分。
本日の歩数&距離 31504歩、20.3km。
本日の純距離    18.2km。(途中、道を間違えず、寄り道をしないで街道だけを歩いた距離)   

木曽街道総合計
歩行時間     12時間53分。
歩数&距離    66244歩、43km。
純距離       36.6km。(途中、道を間違えず、寄り道をしないで街道だけを歩いた距離)   

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