日光街道を歩く

2007年10月04日(木) ~2007年10月10日(水)
総歩数:246253歩 総距離:156.2km

2007年10月07日(日)

小山~新田~小金井~石橋~雀宮~宇都宮

                                    晴れ

 朝食が7時からということだったので、いつもより少し遅く7時25分に出発する。
 宿は小山駅のすぐ近く、旧道からも近かったので、すぐに合流することができた。265号線を歩きJR両毛線の踏切を渡ってしばらく行くと左手に「日枝神社」があり、境内に樹齢400年以上といわれる3本の欅の巨木があった。樹高はそれぞれ30m以上あり、枝は東西に20m以上、南北に27~8m以上に広がっている。あまりに見事なのでつい3本それぞれに手を当ててみる。この活力を少しでも与えていただきたいものだ。
欅は成長が早いといわれるが、それにしても見事な木だった。nikko090-1
 信号喜沢東のところから旧道に入る。細い道がまっすぐに続いていて左側は林だ。途中「喜沢一里塚跡」が左手は林の中に、右手は小さいが土が盛り上がって存在した。日本橋から21里目。昔は原生林に近い林に囲まれた中の道だったのだろう。nikko092-1
 旧道に沿って歩くが静かだ。しばらく歩くと菅沼整骨院の看板があり、ここを左斜めに入ると間もなく国道4号線に合流する。新田宿はすぐ近くだ。

 新田本陣跡を通る。ここには本陣門が残っている。
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 8時56分。小山宿から1時間26分(約6.1Km)。

今日は歩数カウントを失敗してしまった。携帯の表示に一日の「総歩数」と「しっかり歩数」が表示されるようになっている。「総歩数」はその日歩いた歩数の合計で「しっかり歩数」は毎分60歩以上のスピードでかつ連続して10分以上歩いたときのみの歩数をカウントしているのだ。したがって途中で道を聞いたり立ち止まって説明を読んだりしていると歩数はカウントされないのだ。これまでの旅では全て「総歩数」を採用しているのだが、今日は携帯での表示がいつの間にか「しっかり歩数」の表示に変わっていた。携帯の画面上での表示は一番下に「総歩数」の場合は「今日」と表示され、「しっかり歩数」の場合は「しっかり」と表示される違いはあるものの、その他の画面レイアウトは全く同じ。表示の切り替えはボタンを押すことによって行うので、ポケットから取り出すときかなにかの拍子につい押してしまって表示が切り替わったのだろう。ただ、いつ「総歩数」から「しっかり歩数」に切り替わったのかわからない。一日の最後に初めて表示が切り替わっていることに気がついた次第。ちなみに今日の「総歩数」は48555歩で「しっかり歩数」は41147歩、7408歩も差がある。ということで今日の歩数把握はできないことになってしまった。「総歩数」と「しっかり歩数」の画面レイアウトがかなり異なるものだったら切り替わった段階ですぐに気がついたと思うのだが。

 新田宿を過ぎてすぐ、銅市金属工業のところから旧道に入るのだが、そこで立ち止まって地図を確認していると、自転車に乗った少年が通りかかり「何か探しているのですか?」と問いかけてきた。地図を見せると案内をしてくれるという。確かに歩いてみると旧道はわかりにくく案内をしてもらってよかったと思った。
 彼は田中君といって中学2年生、今日は先生と話をする約束をしていて、学校へ行ったが先生が来ていなかったのでやむなく家に帰る途中ということだった。もしそれが事実だったら随分いい加減な先生だ。

「学校は面白いか?」
「全然面白くない」
「何がそんなに面白くないんだ」
「全部面白くない」
「何か一つぐらいいいことあるだろう」
「う~ん、ないなぁ・・・」

こんな調子で話をしながら、小金井の慈眼寺まで約2.5kmを一緒に歩く。思いがけない同行者ができて楽しかったし、純真さあふれる田中君はとてもかわいかった。
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 「小金井の一里塚」は両塚を残しており、榎とクヌギの大きな木が二本並んで立っていた。本来の塚木は榎なのだが、いつの間にかクヌギも一緒に生えてきたと説明されていた。ちゃっかり居候しているクヌギになんとなく愛嬌を感じてしまった。
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 その先にあった慈眼寺は将軍御昼休所ということで立派なお寺だ。ここで田中君と別れる。「学校がんばれよ」というと「おじさんもがんばって」と返されてしまった。

 少し先に門のみが残っている本陣跡がある。
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 小金井宿本陣跡を通る。9時53分。
 新田宿から57分(約3.3Km)。

 やがて道はパチンコ屋の手前から国道から分かれ旧道に入っていく。ここの分岐点もわかりにくかったが、歩いてみると一直線の田舎道で気持ちが良かった。しばらく歩いた後、道は突き当たったところから右折して再び国道4号線に合流する。合流してすぐのところに下石橋一里塚跡が最近発見されたと資料に書かれていたが、雑木林があって入っていくこともできないようだったので確認することができなかった。
 国道352号線高架と交わるところで「十体の石仏」が道路に背を向けて並んでいた。道路は後でできたので、背中を向けているのではなく、本来の道は仏像の前を通っていたのだろう。nikko100-1
 石橋宿の少し手前、左手に「愛宕神社」がある。天平宝宇3年(759年)創建というから古い神社だ。ここの社殿の横(写真では左手)にいくつもの石が祭られている。何だろうと思って丁度通りかかった女性に聞いてみると、線路際を掘っている時に出土した女神様だという。確かに単なる石ではないようだったが、女神様には結びつかなかった。
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 石橋宿の本陣は伊沢家という家で遺構は残っていなかったが、お茶屋さんがあり、その家の表札に伊沢と書かれていた。確認しようと思って店を訪ねたが誰もいなかったので一応ここを本陣跡としてカウントする。
 石橋宿本陣跡を通る。11時43分。
 小金井宿から1時間50分(約6.5Km)。

 しばらく歩いていくと右手に地蔵堂がある。これは鞘堂地蔵と呼ばれ、小山、宇都宮合戦の戦死者の鞘を埋めた上に地蔵を安置したものらしいが、なぜか安産のご利益があるとされていた。
国道4号線は一直線に延々と続いていて変化に乏しい。めぼしい史蹟もないようなので黙々と歩く。雀宮本陣跡は大和田内科、胃腸科病院の前に石碑が立っているのみだった。

 雀宮本陣跡を13時57分に通る。
 石橋宿から2時間14分(約6.4Km)。

 一里という信号がある。このあたりに一里塚があった名残かもしれない。更に行くと右手に「蒲生君平の碑」がある。江戸時代後期の儒学者、尊王論者、海防論者。生涯を赤貧ですごし、忠誠義烈の精神を貫いて波乱に満ちた一生を送った人で、高山彦九郎、林子平とともに寛政の三奇人といわれた人だ。
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 時宗の「一向寺」がある。本尊の銅像阿弥陀如来坐像は国の重要文化財。この仏像は応永10年(1405年)に作られたもので、世間に異変が起こると汗をかくという言い伝えがあり、関東大震災のときにも汗をかいたといわれ、「汗かき阿弥陀」の名称で親しまれているそうだ。住職さんに了解をいただいて写真を撮らせてもらった。
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 宇都宮に入ると日光街道と奥州街道の追分がある。
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 このすぐ近くに本陣があったようだがわからない。近くに太鼓を売っているお店があったので入っていって聞くと、ご主人が店から出てきてわざわざ案内をしてくれた。追分の標識のすぐ近くだったが、今は遺構は全く残っていなかった。
 宇都宮宿本陣跡を通る。16時16分。
 雀宮宿から2時間19分(約8.0Km)。
 今回はここから直角に曲がって日光へと進むが、奥州街道はここから直進して歩くことになる。

今日も足の調子が悪い。マメが両足の小指と親指にできていて、歩くたびにズキンズキンと痛む。かなり困った。これで仙台まで歩くことができるのか不安になる。最低限白河までは行く、と思って出てきているので、白河までは何が何でも到達したいものだ。
ホテルは追分からすぐ近くにあった。

本日の歩数     48555歩(約30.7Km)
本日の歩行時間  9時間2分

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