日光街道を歩く

2007年10月04日(木) ~2007年10月10日(水)
総歩数:246253歩 総距離:156.2km

2007年10月09日(火)

今市~鉢石(日光)~JR日光駅~宇都宮

                                曇り時々雨

 7時25分に出発するが、雨が少し降っている。ただ強い降りではないため歩く上で特に支障になることはない。
今日は暦の上では寒露、いよいよ晩秋になる。これからは一雨毎に寒くなってくるのだろうが、今日は丁度いい気温で歩きやすい。予報では終日雨ということだったが、昼ごろまで時折小雨がぱらつく程度でたいしたことはなく助かった。

 さて出発と思って靴を履き一歩踏み出した途端、足がズキン!昨夜、できたマメに針を刺してつぶしておいたのだが回復していないようだ。ゆっくりとしたペースで足を引きずりながら歩くが、一歩踏み出すたびにズキンとくる。今日は距離が短くて本当によかったと思った。歩き始めてすぐに市縁ひろばがあり「明治天皇御小休之跡碑」が立っていた。
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 「瀧尾権現」のところから杉並木道に入っていく。道の両側に大きな杉の並木が続く。道の横に小川が流れているが水が澄んでいてとてもきれいな流れだ。思わず手をつけてみたが冷たくて気持ちが良かった。
朝の冷気に包まれてだれもいない道を歩く。気持ちがいい。
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 杉に名前が書かれた標識が掛けられている。自治体の名前や企業名、個人の名前もある。何だろうなと思いながら歩いていくと説明版があり、そこに「日光杉並木オーナー」のことが書かれていた。並木を一本1000万円で購入する仕組みで、畑土に畜産堆肥などを混ぜた土壌を入れて根元の状況を改良するというポカラ工法や木棚工法による森林保護にこの資金を当てるという制度で平成8年に制定されている。もしやめたいときは栃木県が必ず買い戻すということも明記されていた。
こういった制度でこの杉並木は守られているのだと初めて知った。
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 瀬川一里塚がある。日本橋から34里目で日光街道最後の一里塚だ。
 三つ又杉があったようだが、今では切り株が残るのみだ。
 「七本杉痕」がある。根幹は一つでそこから七本の幹が出ていたようだが、ここも今では切り倒されて切り株が残るのみである。
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 更に行くと砲弾打込杉がある。戊辰の役で日光に拠った幕府軍を官軍が攻撃したとき、官軍の砲弾が当たった跡が杉に残っていると説明されていたが良くわからなかった。当時はこのあたりでも激戦が繰り返されたのだろう。
 しばらく歩くと国道119号線に合流する。途端に車の通行量は多くなり、歩道は狭くてすぐ横を車が走っていく。かなり怖いが、道の両側はぎりぎりまで杉の並木が続いておりこれ以上は道路を広げることはできないようだ。この杉を植えた頃の交通機関は馬や駕籠しかなかったので、この道路幅で十分だったのだろう。
 日光街道随一の名木といわれる杉があり、「並木太郎」と呼ばれている。樹高38m、胴回り5.35m、容積33.5㎥、その姿美しく端正なことより並木太郎と呼ぶにふさわしい名木である、と説明されていた。ただ私の目には他にも立派な杉が多く違いはわからなかった。
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 「銀杏杉」と呼ばれる杉がある。根株が大きく広がっており、銀杏の葉を逆にしたような形なのでこう呼ばれているそうだ。写真を撮ろうとしたが、根株が大きくて正面からは全体を撮る事ができなかったので、少し場所を移動して斜めから写したが、それでも十分に全体を写すことができなかったほど大きな株だ。これだけ多くの杉があると、色々な形をしたものがあるのだということを実感、杉も十人十色なのだ。
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 一旦杉並木を出ると「明治天皇七里御小休所跡碑」がある。説明書があるのだが字が薄れてしまってよく読めない。かろうじて明治9年東北巡幸の際休憩したということを読むことができた。
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 筋違橋を渡ると再び杉並木に入る。ここに「異人石」というものがある。明治の頃、ある外国人がここに座って、毎日杉並木を鑑賞するために座りやすいように石を削って椅子にしたという石が残されている。たしかにきれいに削られて椅子の形になっていた。なんとも悠長な話で、現在では考えられないことだろうがそんな時間、気持ちを持ちたいものだ。
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 やがて右手にJR日光駅が見えてきた。ようやく日光に着いたのだ。痛む足を引きずりながら更に歩いていくと、東武日光駅がある。平日というのに観光客が多い。これでは宿が取れなく当然だと思った。日光本陣跡に遺構は全く残っていない。あるお店に入って、どこが本陣跡なのか聞いたが知らないという。丁度そこに町内の世話役の方でそういったことに詳しいという方が通りかかったので、呼び止めてもらい話を聞くがよく知らないという。ただ本陣が「入江家」だったようだというと、ああ、それならということで教えてくれた。今は入江家は奥のほうに引っ込んでいて本陣のあった場所は「つヾれや」というお店になっていた。
 鉢石本陣跡。10時06分。
 今市から2時間41分、13055歩(約7.5Km)。

 やれやれ、何とか無事に日光にたどり着くことができたとホッとする。当初の予定ではここから東照宮を見、更に中禅寺湖や華厳の瀧、更には戦場ヶ原あたりを今日一日かけて見て廻ることにしていたのだが、足の状態を考えるととても無理。以前来たことがあるということもあって、今回は行くことをあきらめたが、ただ、せっかくここまで来たのでせめて東照宮までは見ておこうと思い自らを叱咤激励して神橋までくる。
 下を流れる大谷川の清流は素晴らしい。伊勢神宮の五十鈴川を思い出した。この朱に塗られた橋は日光二荒山神社の建造物で国の重要文化財であり、平成11年には世界遺産にも登録されている。この橋はアーチ型の木造反り橋でその構造から山口県の錦帯橋、山梨県の猿橋とあわせて日本三奇橋といわれている。
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 この神橋のすぐ近くに「太郎杉」が立っている。樹齢600年といわれる有名な杉だ。
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 ここまできてついに歩くことをギブアップ。東照宮へ登る階段は足が痛くてとてもじゃないが登れそうにない。案内所があったのでタクシーを呼んでもらって東照宮の横の駐車場まで行き、そこから少し歩いて中を見学する。できれば車椅子があれば・・・と思いながらの見学だ。こうして改めてみてみると東照宮は壮大な規模だ。ここは元和3年(1617年)二代将軍秀忠によって造営され、寛永13年(1636年)三代将軍家光によって建てかえられて、現在の絢爛豪華な社殿群になっている。ここには8の国宝、34の重要文化財を含む55棟の建物が存在しており世界遺産に登録されている。
 当時でこれだけの規模のものを造営できる財政力にはただただ感嘆するのみだ。
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 足を引きずりながら一応見て廻って駐車場まで下り、タクシーを呼んでもらいJR日光駅までいく。
JRは本数が少なく約40分ほど待たなければならなかったので、近くにあった食堂で昼食を摂る。
ここから宇都宮を経由して都内に出てインソールの調整をしてもらい、靴の幅を広げてもらったり、足の治療をしてもらって再び宇都宮まで戻る。一昨日宿泊したホテル丸治に投宿。このホテルは江戸時代からこの場所で旅籠を営んできた創業300年のホテルだ。今の状態ではこれ以上歩くことは無理なのでもう一泊余分に宿泊して足の回復を待つことにする。
ただ、一応日光街道を無事踏破できたので気持ちの上では一段落だ。
本日の歩数    18860歩(約10.2Km)
本日の歩行時間 2時間41分(ただし日光までの時間)

日光街道の合計では5泊6日、246753歩、39時間40分、156キロの旅だった。

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