山陰道(京都府)を歩く

2010年10月08日(金) ~2010年10月23日(土)
総歩数:187398歩 総距離:126km

2010年10月08日(金)

茶堂~下夜久野

                      曇

 12時51分に兵庫県から京都府に入る。山陰道も残り僅かだ。ただ大切な情報源である歴史の道調査報告書が京都府では作成されていない。そのため「京街道をゆくー丹波・三和の山陰道」の一部抜粋で夜久野から老ノ坂までの情報を、老ノ坂から京都までは「京から丹波へ 山陰古道」を参考にした。

県境を過ぎて進むが、このあたりにも石仏が沿道に並んでいる。
石仏が沿道
 左手に道の駅「農匠の郷やくの」があったので、ここで昼食にする。

 その先左手に夜久野の本陣跡がある。今は食堂になっているようだった。
夜久野の本陣跡
その横に郷土資料館があったので、山陰道のことを確認しようと思って立ち寄ったが、良く分からないということだった。そのため、ここから右折して9号線に合流する。
 56号線に分岐するところがあり、ここから左折、すぐ先を右折して進み、集落の中を通る。
 その先で再び9号線に合流して進むが、左手に文化9年(1812)の題目石が立っている。
文化9年(1812)の題目石
次の信号の手前から左へ分岐する道があるのでこれを進み、山際を進んでいく。
 突き当たりを右折して進み、その先で9号線に合流する。左手に「中日置地蔵堂」があり、ここから左手へ伸びる旧道を進み、その先で再び9号線に合流する。
中日置地蔵堂

左手に地蔵堂があり、天明5年(1785)の地蔵尊やその他の地蔵尊、更に五輪塔が安置されている。
天明5年
 その先は左手に山が迫っており、右手は線路、その向こうは川が流れているという何もない道をひたすら歩いていく。
この間の1.2kmは通行規制区間になっていて、連続雨量が200ミリを越えた場合や道路が危険なときは通行を規制するようになっているという標識が出ていた。確かに危険を感じる場所だった。
 左手に大きな岩があり、その前に寛政12年(1800)の題目石,その左右に小さな地蔵尊が数多く置かれている。地蔵尊はこのあたりにあったものを集めたのかと思ったが、大きさが比較的揃っており、どうも違うようだ。こんなとき資料があると助かるのだが、それがないのでどのような由来があるのかわからなかった。
寛政12年
 左手に東経135度の「日本中央標準時」の塔が立っている。子午線(東経135度)は明石が有名だが、何気なくネットで調べてみると「日本標準時」と「中央標準時」の二つがあることがわかった。日本標準時は「独立行政法人情報通信研究機構」が決定、通報しており、中央標準時は「国立大学法人法施行規則」により、国立天文台の天文保持室が決定、現示しているとなっていた。
日本中央標準時
 15時27分に下夜久野駅に着く。今日は風邪気味で体調が良くないので、ここで終わることにする。幸い雨はまだ降り出していなかったが、16時発の電車に乗った途端、強い雨が降りだしたので、ここで終わって正解だったと思った。

 本日の歩行時間(京都府分)2時間36分。
 本日の歩数&距離     13667歩、8.7km。

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