出羽街道・浜通り(新潟~鶴岡)を歩く

2012年03月29日(木) ~2012年04月02日(月)
総歩数:224995歩 総距離:168.7km

2012年03月31日(土)

乙~桑川 その後JRで府屋へ移動

3月31日       雨

 7時12分に円福寺を出発する。今日は予報通り朝から雨だ。ただこの段階ではまだそれほどひどい降りではなかった。「円福寺」は天文2年(1533)の創立と伝えられており、古屋敷から移転したという。境内には30基の庚申塔があり、文政3年(1820)の湯殿山碑や道祖神がある。
円福寺
 道を挟んだ反対側に「塩竃神社」がある。承安3年(1173)に円福寺と同じ字古屋敷に創建され、慶長2年(1579)に社殿を再建、享保16年(1731)に現在地に移ったという。現在の社殿は明治11年に再建されたものという。境内には千石船の錨が祀られている。
塩竃神社千石船の錨

 街道に戻って進むと、すぐ先右手に11体の地蔵尊を安置する「地蔵堂」がある。
11体の地蔵尊
左手には「高泉寺」があり、嘉永6年(1853)の庚申塔が立っている。
高泉寺
 その先で道を間違う、というか資料では松林の中を旧道は通っており、地図にも破線で道が描かれている。ただそれらしい道はなかったので、舗装された道を進んでいくと、345号線に出てしまった。これはおかしいと思って元へ戻ってみると、森林公園入り口の標識が立っており、そこから松林の中へ道が伸びているので、これを進んでいくことにした。しかしどうもおかしい。道の方向が地図と一致しないのだ。結局道は単なる遊歩道になっていて、旧道とは全く別物だということに気が付いた。しかたがないので、とにかく林を抜けようと思って進んでいくと、345号線に出てしまった。こんなことなら最初から345号線を進めばよかったと思いながら345号線を進むことにする。結局松林の中の旧道は失われているようだった。
八日市13の信号で345号線から分岐して左へ3号線を進むと、右手に「岩船神社」がある。ここは延喜式神名帳の石船神社に比定されており、社伝によれば大化4年(648)磐舟柵が置かれたときに、石の小祠があったと伝えられ、大同2年(807)北陸道観察使秋篠朝臣安人が京都の貴船明神を勧請され、奉祀されたという。
岩船神社
 鶯の声が聞こえる。今回の旅で2回目だ。なんとも心が和む鳴き声だ。
 岩船神社から3号線を歩き始めたところ、左手に「饅頭岩」がある。この岩は瀬波海岸に分布していて、その形が饅頭に似ていることから饅頭岩と名前がついているという。漂流石ではなく、冬季波浪の浸食作用によって硬い地質部分のみが残ってできたものという。冬の日本海の波の荒さを彷彿とさせるものだ。
饅頭岩
 右手に「牛頭大王」と刻まれた碑と「馬頭観音」が立っている。
牛頭大王
 その先で右へカーブする3号線から分岐して直進するが、このあたりから雨が激しくなってきた。時計を見るとまだ10時少し前だ。ただ、風が弱いので助かるとこの時は思った。
瀬波浜町の集落に入った右手に「猿田彦」があり、その先にちょっとした坂がある。藩主の参勤交代の際、この坂を下って進み、また上方方面へ旅立つ人もこの坂で見送ったので、見送り坂と呼ばれているという。
その先で直角に近い形で道が曲がっており、その先右手に「西奈弥神社」がある。ここは延喜式神名帳に記載されている式内社だ。明治18年に火災で焼失、大正9年に本殿を再建したという。
西奈弥神
 左手に「大龍寺」があり,境内に村上市指定文化財になっている大銀杏が立っている。
大龍寺」
 右手に「瀬波の九品仏」がある。九品仏は上品上生(じょうぼんじょうしょう)、上品中生、上品下生、中品上生、中品中生、中品下生、下品上生、下品中生、下品下生を表し、これをあわせて九品仏(あるいは九品往生)といい、ここの仏像は中品中生仏の形態と資料に記されている。
瀬波の九品仏
瀬波上町の信号で左折するが、その角に「古峯神社」「猿田彦大神」「青面金剛王」「馬頭観音」の4基が並んでいる。
古峯神社」「
ここで出羽街道へ進む道と分岐する。出羽街道は村上城下から葡萄峠などの山中を通って国境を越え、出羽国鶴岡城下へ通じる道で、今回も当初はこの道を歩こうと思って調べていたのだが、今年は雪が多く、山はまだ雪で埋まっていて、6月頃までは歩くことができないだろうといわれたことと、もう一つは宿がない!
「楯山荘」という廃校になった木造づくりの学校を利用した宿が一軒だけあったが、自炊が前提で、食事はないとのこと。周囲は山ばかりでコンビニや店は何もないようなので、これは無理と思ってあきらめた。飢餓状態に極端に弱い私にとって、食事抜きは考えられないのだ。
 このあたりから急に風が強くなる。瀬波橋を渡ると海沿いの道になり、容赦なく横殴りの雨が降りかかってきて、着ているものはたちまちびしょ濡れになってしまった。
右手に「茂助地蔵」がある。旅の坊さんが女に殺され、お金を取られたので、この地蔵にはお金より物を供えなければならないという伝承があるという。横に湯殿山碑が立っている。
茂助地蔵
「岩ケ崎の石造物群」がある。地蔵尊や庚申塔などが集められている感じだ。
岩ケ崎の石造物群
 このあたりから先、ところどころに集落があって、集落の中を歩くときは風は少し弱まるが、海に沿って歩くときは風雨がもろに襲いかかってきて大変だった。
 12時17分にようやく間島駅に来たので、ここで昼食にする。今日は途中に店がないようだったので(実際店はなにもなかった)、宿でおにぎりを作ってもらっていたので、それを食べる。
ここから先もただひたすら海岸線を進むが、風雨益々強く、今日は寒気が襲ってきているということで寒い!
濡れた衣服が体温を奪っていて心底寒い。手をみると真っ赤になっている。
海に沿って
越後早川駅に着く。間島駅からはJRの線路沿いに進むので、気は楽になったが、駅間の距離はかなりあって、なかなか次の駅にたどり着かない。越後早川駅から電車で今夜の宿がある府屋まで行こうかと思ったが、適当な電車がない!本数が少ないのだ。とにかく今日の予定だった桑川の駅まで何としてでも歩こうと思って先を急ぐ。風雨が強いので、傘が飛ばされないように、壊されないように注意をする。店もなにもない、こんなところで傘がなくなってしまったら大変だ。それにしても強烈。やはりここは北国だと痛感する。
馬下の集落の南端に「馬下の地蔵群」があり、8体の地蔵尊が祀られている。
馬下の地蔵群
 ようやく今日の予定地桑川駅に15時25分に到着する。ここには民宿があるので、ここで泊る計画にしていたのだが、明日4月1日にここでマラソン大会があるということで、宿はどこも満員。仕方がないので府屋まで探して、ようやく宿が取れたのだ。桑川駅では次の電車迄約1時間半時間がある。幸い駅の横に道の駅があって、ストーブがたかれていたので、その横に立って、濡れた衣服を乾かし、冷えた身体を温める。これは助かった。なんだか生き返った気持ちがした。

 15時25分に桑川駅に着く。
 本日の歩行時間  8時間13分。
 本日の歩数&距離 47344歩、33.2km。

桑川駅からJRに乗って府屋駅に着き、駅からさほど離れていない長平という宿に入る。やれやれようやく着いたという感じでホッとする。宿ではお女将さんが食事の給仕をしてくれ、色々と話をする。久しぶりにこのように会話のある食事をさせていただき、楽しかった。

 今日はあまりに強い風雨と気温の低さに辟易してしまったので、あと1泊2日を残して、今日で一旦引き上げよう。もう一度天気がいい日に再挑戦しようと思って、翌日の宿をキャンセルした。こんな気持ちにはめったにならないのだが、今日はさすがにもうだめだ!と思ってしまった。

旅の地図

記録

プロフィール

かっちゃん
歩人
かっちゃん