出羽街道・浜通り(新潟~鶴岡)を歩く

2012年03月29日(木) ~2012年04月02日(月)
総歩数:224995歩 総距離:168.7km

2012年04月01日(日)

府屋からJRで移動 桑川~あつみ温泉

                                      曇り後雪

 昨日は悪天候に悩まされ、今日も予報では雪になっていたため、今日で一旦引き上げようと思っていた。ところが朝起きてみると曇り空、それも高曇りだ。これだと少し歩くことができそうだと思って、急遽歩けるところまで歩くことにする。途中で天候が悪くなったときは、その時に歩きをやめて帰ればいい。幸い今日歩く道はJRの線路沿いだ。そう思って7時20分に桑川駅に着き、歩き始める。
ここは今日マラソン大会があるのでスタッフの人々が準備をしている。町を挙げての大会のようだ。今日も345号線を歩き、集落があるところでは集落の中を進む。
「笹川流れ」の説明板がある。それによると、ここから延長11㎞の間の海岸線に岩が点在しており、その間を盛り上がるように流れる潮流を、中心地笹川集落の名にちなんで「笹川流れ」と名付けられたといい、国の名勝天然記念物(県立自然公園)に指定されている。今日は風雨がないので、ゆっくりとこの風景を楽しみながら歩いていく。
笹川流れ1笹川流れ2

右手に今川駅があるところに「三基の板碑と庚申塔、湯殿山、青面金剛像」がある。
三基の板碑と庚
 右手に「宝蔵寺」があり、数多くの地蔵尊を安置した祠がある。
宝蔵寺
 脇川の集落に入ると、右手に「馬頭観音と庚申塔」を安置した祠があり、
馬頭観音と庚申塔
その先右手にも三体の石仏を安置した祠がある。
三体の石仏
 狐崎海水浴場があるところで笹川流れは終わる。
 その先の脇川街道踏切でJRの線路を横断して進むと、越後寒川駅がある。今回のマラソンはこのあたりで折り返すそうだが、桑川を9時に出発するということだったので、まだランナーは折り返し点まで到着していなかった。ランナーの走る姿を見てみたかったので、少し残念だったが、仕方がないので先を急ぐ。
浜道踏切で再びJRの線路を横断して345線に合流する。この辺りまで天気は悪くならないし、極めて順調だったので、よし!こうなったら予定通り最後まで歩こうと決め、昨日キャンセルをした宿に電話を入れて、再度予約を行う。
勝木集落の入り口に「庚申塔」が立っている。
勝木集落
江戸幕府が諸大名に命じて国単位に作らせた正保国絵図にもその名がみえるという「鉾立岩」が立っている。
鉾立岩
 このあたりからみぞれが降り出したが、幸い今日はあまり風がないのでそれほど歩きに影響を及ぼすことはない。やはり今日歩くことにしてよかった、とこの時は思った。
勝木駅のところから7号線に合流するが、ここにコンビニがあったので、とりあえず昼食用として今日はおにぎりではなく、パンを購入する。時には違ったものを食べることにしよう、といっても大した違いではないのだが。。。今朝出発した府屋駅まできたところで昼になったので、府屋駅でパンを食べたが、府屋には食堂があった。昨日は風雪にやられてクタクタになってたどり着いたので、周囲を見る余裕がなかったのだろう。全く気が付かなかった。
その先で昨夜宿泊をした長平の前を通ると、ちょうどお女将さんが車で出かけるところで、頑張ってくださいと声をかけていただいた。
このころから急に風雪が激しくなってきた。これはまずいことになったと思いながら先を急ぐ。道は今日も海沿いの道で風が強い。幸い今日は雪なので傘をささずに歩くことができるのでまだ助かる。
鼠ケ関の集落の入り口まで来たところで、雪はみぞれに変わり、猛烈な強風が吹き荒れてきた。たちまち全身びしょ濡れになる。どこか風雨を避ける場所はないかを思っていると、道路が二本に分かれていて、左側の道路が高くなっている。その法面に身体一つをかろうじて入れることができるコンクリートの隙間を見つけたので、そこに身体を入れて、しばし風雪が弱まるのを待つことにする、というより動くことができないのだ。それにして冬の日本海沿岸は強烈だ。自然の怖さを実感する。
幸いしばらくすると風雪は収まってきたので、再び歩き始める。今日はこれから先も同じような状況に何回も遭遇したが、昨日のように終日降り続けるのではなく、しばらくすると収まったので、助かった。
鼠ケ関の集落に入ると、新潟県と山形県の県境の碑が立っている。ようやく長かった新潟県を抜けたのだ。
県境の碑
 左手に二体の地蔵尊を安置する祠がある。
二体の地蔵尊
 その先右手に「念珠の松庭園」がある。この松は今から約400年前に盆栽の松を地植えし、代々庭師によって手入れされたもので、巨大な枝が這うように20mほど伸びており、山形県の天然記念物に指定されたという。
念珠の松庭園
 「念珠関跡」がある。この関所は古代は鼠ケ関跡と呼ばれており、勿来関、白河関と並んで奥羽三大関所の一つとされており、東北地方の玄関になっていた。大正13年に内務省より「史蹟念珠関址」として指定を受けたため、その後、念珠関と呼ばれるようになったという。この場所が江戸時代、北国街道と羽州浜街道の境となっていたという説もあるようだが、私の場合、この道前述したとおり浜街道としておく。
念珠関跡」1念珠関跡」2

 右手に「孝子慶王生誕の地」の標柱が立っている。正徳2年(1712)にこの地で生まれた慶王は18歳で眼を患って盲目になってしまったが、それでも親に対して大変な孝行を行ったという。
孝子慶王生誕の地
 鼠ケ関の集落を出ると、再び海沿いの道を進むが、とにかく風が強い。ふと見ると、この強風の中でもカモメはスイスイと飛んでいる。時には人間でもよろけるような風なのに、かもめはすごいなぁと感心する。
道の駅あつみがあったので、ここに入って休憩をとる。暖房が入っていて強風にさらされて冷え切った身体には心地よい。
しばらく休んで、再び歩き始めると、右手に安永と刻まれた「庚申塔や題目石、地蔵堂」が並んでいる。
安永と刻まれた
 7号線に合流するところ右手に「住吉神社」がある。ここの境内にはタブノキの社叢があり、鶴岡市指定天然記念物になっている。最も大きな木は幹回り3.25m、樹高25mにもなるという。
住吉神社
 岩川集落の入り口にも湯殿山碑がある。 沢山踏切でJRの線路を横断して進むと、右手に文久3年(1863)の湯殿山碑があり、壽命と刻まれた碑と表面が崩れて読み取ることができない石碑が両隣に立っている。
壽命
道端に時計が置かれており、時間通りに動いている。これはなんなのだろうか?
時計
 釜石坂踏切でJRの線路を横断、今日の宿である三国屋に16時40分に到着する。
 ここはあつみ温泉があり、今回の旅は今日で最後なので、ゆっくり温泉につかりたいと思ったが、街道から2㎞ほど離れているので行くことをあきらめた。無駄な歩きは一歩だってしなくないのだ。

 本日の歩行時間   9時間20分。
 本日の歩数&距離  53322歩、35.8km。

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