出羽街道・浜通り(鶴岡~秋田)を歩く

2012年04月16日(月) ~2012年04月20日(金)
総歩数:212839歩 総距離:150.4km

2012年04月16日(月)

鶴岡~東松並

                                        晴れ

 北九州から鶴岡へ移動し、14時40分に前回歩いた地点に到着、歩き始める。
 このあたりは大山といって、古来から酒造りが盛んで、元禄10年(1697)には15軒、文化3年(1806)には39軒の酒屋があったという。また江戸時代には浜街道の馬継宿場でもあったという。
 左手に「松倉馬頭観音」がある。ここは行基が養老元年(717)に観音堂を建立したのが始まりで、その後変遷を経て、現在の御堂は宝暦4年(1754)に再建されたものという。
松倉馬頭観音
仁王門は円柱八脚の山門で慶応3年(1867)の創建。境内には胴に幾重にも縄が巻かれた「縄巻地蔵尊」がある。六面幢のこの地蔵尊は鎌倉時代中期の作とみられる馬頭観音とともに松倉山に祀られていたが、元和4年(1618)にこの地に遷座されたという。縄巻地蔵尊は人の道に外れた行為を行った罪を私たちの身代わりになって受けられているという。
縄巻地蔵尊
 さらに観音堂の階段の下に石造りの厨子があり、そこに小さな地蔵尊が祀られている。「縁の下の地蔵様」と呼ばれるこの地蔵尊は子供の夜泣きに御利益があるといわれており、人に見られずにお参りをすると御利益があるといわれている。
縁の下の地蔵様
 その先、右手に「道林寺」があり、入り口に享保19年(1734)と読める題目石が立っている。ここは大山城主酒井忠解の菩提寺で、その供養塔なのだろう、墓地の奥に祠があって宝篋印塔が安置されている。
道林寺
すぐ先左手に「皇大神社」があり、その前に苔むした庚申塔がある。
皇大神社
 左手に「大滝家」があるが、ここは幕末の大山村政に重きをなした家で、天保末期以後淡路の国学者鈴木重胤がしばしば滞在し、庄内の国学思想に大きな影響を与えたという。
 左手に嘉永7年(1854)の庚申塔をはじめとする数基の庚申塔があり、その横に湯殿山碑、安産地蔵が並んでいる。
嘉永7年
 左手大分入ったところに「正法寺」がある。ここの創建は元中7年(1390)といわれ、最初は北方の字元寺屋敷にあったが、室町時代に現在地に移転したという。慶応3年(1867)に全焼したが、その後再建をされている。入り口の総門は室町時代の作といわれている。墓地の中を通って裏山を登っていくと道端に数多くの石仏があり、その奥に「尾浦城主武藤義氏400回忌供養塔」が立っている。
正法寺400回忌供養塔

 右手に「天満神社」があり、嘉永3年(1850)の金毘羅大権現碑や庚申塔2基、湯殿山碑が立っている。
天満神社
 左手に「椙尾神社」がある。ここの創建は不明だが、古くは小物忌神社椙尾大明神と称し、武藤氏の守り神だったという。参道入り口にある石鳥居は慶長16年(1611)に建てられたもので、山形県指定有形文化財になっている。
椙尾神社
 左手に「善宝寺」がある。ここは天慶年代(938~947)青龍寺の妙達上人が善宝寺の北、龍華の地に庵を結んだのが始まりで、応永4年(1397)に現在地に移ったという。天明6年(1786)以来有栖川家の祈願所であり、境内には文久2年(1862)の山門や安政3年(1856)の五百羅漢堂などがあり、
善宝寺五百羅漢堂

 宝暦2年(1752)の弥勒堂、明治26年の五重塔もある。
弥勒堂五重塔

 左手にゴルフ場があって旧道は失われているので、ゴルフ場の周囲を回るようにして進む。
右手に雪を被った山並みが見える。

 16時45分に東松並町バス停に着く。時刻表を見ると17時4分の鶴岡駅行きのバスがあったので、これに乗って鶴岡駅へ行く。

 本日の歩行時間   2時間5分。
 本日の歩数&距離 10646歩、7.5km。

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