出羽街道・浜通り(鶴岡~秋田)を歩く

2012年04月16日(月) ~2012年04月20日(金)
総歩数:212839歩 総距離:150.4km

2012年04月19日(木)

象潟~仁賀保~由利本庄

                                        晴れ

 温泉保養センターはまなす前のバス停を7時29分に出発する。
 すぐ先で右へカーブする7号線から分岐して直進、赤石集落に入っていく。集落の中ほどに吉峰神社碑がある。この碑はこのあたりでよく見かける碑で、別の神社の境内にも建てられていたりする。
吉峰神社碑
 右手にTDKの工場があり、その先から左斜めへ分岐して進むと左手に明治9年の筆塚がある。
筆塚
 突当り小高いところに石仏が3体あり、すぐ下に牛頭大王、出羽三山碑、名号石がある。
石仏が3体すぐ下に

 その先を右折して進むと、左手に元文5年(1740)の「青面金剛塔」と湯殿山碑が立っている。
青面金剛塔
 「淨蓮寺」があり、ここには明治45年に行った南極探検隊長だった白瀬大尉の墓がある。
「酒を飲まない」「たばこを吸わない」「茶をのまない」「湯をのまない」「寒中でも火にあたらない」という五ケ条を生涯を通して守ったという。
白瀬大尉の墓がある。
 金浦郵便局が左手にあり、道はここでT字路になっているので右折、すぐ先を左折して進む。
右手に「秋葉神社」があるが、ここは天明年間(1781~1789)に静岡からこの地へ勧請したもので、三角形の自然石が安置されている。
秋葉神社
 右手に浄光寺があり、その先、左手に文政8年(1825)の名号石、文政4年(1821)の南無大慈悲観世音菩薩碑、庚申塔等の石仏群がある。
文政8年(1825
このあたりの道は細い道で地図に出ていない道が多くわかりにくかった。
左手に「金浦山神社」がある。ここは創建年は不詳だが、文化3年(1806)に再建され、現在に至っているという。
金浦山神社
 ここで290号線に合流するが、このあたり道端につくしが一面に生えている。
 竹島潟という地名がある。象潟といいこの辺りは潟という字が付く地名が多い。
その先で7号線に合流し、次の信号で右へ分岐して進んだが、左手に神社が見える。地図の場所からいって「三嶽神社」のようだ。とりあえず行ってみると、神社の前を細道が通っている。これが旧道のようだ。
三嶽神社
 この道は手持ちの地図には記載されていないので気が付かなかったのだ。確認のため神社から戻ってみると7号線に出た。先ほど信号から右折したが、信号を直進してその先にこの旧道が分岐していたようだ。元に戻って先へ進むと「秋葉大権現」「鹿島大明神」の碑が立っており、これを左折して進む。
秋葉大権現
左手に「天松寺」があり、入り口に安永10年(1781)の文殊大菩薩碑が立っている。
天松寺
このあたりもクネクネと曲がりくねった細い道で分かりにくかった。
 その先で7号線を横断するが、そこに文化10年(1813)の「牛頭大王」碑が立っている。
 芦田の信号で7号線を横断して進むが、この辺りまで来ると、道を尋ねても言葉がわかりにくい。かって奥州街道で経験した状態と全く同じになってきた。皆さんとても親切に応対していただけるのだが、とにかくわからない。かといって自分一人では益々わからないので対応に苦慮する。
左手にこんもりとした森があり、そこに諏訪神社がある。芦田の集落の中を進んでいくと、右手に吉峰神社碑が立っている。
 すぐ先左手に「常泉寺」があり、入り口に嘉永5年(1852)の名号石がある。
常泉寺
 そのすぐ横に「稲荷神社」があるが、ここは応仁元年(1467)に創建され、慶応4年(1868)の戊辰の役で焼失したが、明治2年に再建されたという。仁賀保家歴代の御祈願所だったという。
稲荷神社
 右手に鳥海山が見えるが、今日も山頂には雲がかかっている。
 右手に高昌寺を見ながら進むと、左手に仁賀保町指定文化財になっている「波切不動尊」碑があり、その横に文久2年(1862)の庚申塔他の石碑がある。 
波切不動尊
 すぐ先左手に海上安全と刻まれた「船玉神社」碑が立っている。
 右手に「島森神社」があり、境内に出羽三山碑や牛頭大王碑がある。
島森神社
 左手に「平沢八幡神社」がある。ここは創立年代は不詳ではあるが、延文年代(1356~1361)にはすでにこの地にあったという。元和5年(1619)に再建、更に明治21年に現在の社殿を再建したという。
 その先で道は二股に分かれているので、右へ直進すると「安楽寺」がある。寺伝によると鎌倉期諸国行脚に出た鶴岡八幡の別当がこの地に定着して創建したという。ここは仁賀保公祈願所だったところだという。
安楽寺
左手に建武4年(1337)の「丁刃丸」碑がある。「建武重二暦丁丑」と刻まれているが、「重二暦」とは4年のことである。由利海岸では現存する碑の中で最古のもので、仁賀保町指定文化財になっており、丁刃丸の供養塔との伝承があるという。
丁刃丸
 突当りに「仁賀保神社」があるが、これは仁賀保氏の陣屋跡に建立されたものという。
 右手に「妙倉寺」があり、入り口に安政6年(1859)の題目石が立っている。
 その先、浜中踏切でJRの線路を横断し7号線に合流する。
その先で7号線から左へ分岐する道があり、これを進んで出戸集落に入る。右手に西光寺跡の標柱が立っているが遺構は何も残っていない。集落を抜け、人家も何もない海沿いの道を進んで行く。
海沿いの道を
 西目川に架かる中高屋橋を渡り、その先で7号線に合流する。
左手入ったところに台座に元文5年(1740)と刻まれた観音像がある。
観音像
 右手に「大泉寺」がある。ここは長禄3年(1459)に天台宗として開基されたが、寛永18年(1641)に永泉寺の末寺になったという。
大泉寺
 その先でT字路に突き当たるので、右へ進んだが、これは間違いで、左へ進まなければいけなかった。途中で気が付いたので、その場所から左折して本来の道に合流する。
右手に「善応寺」がある。寺伝によると文明4年(1472)に越前国で開基したが、慶長3年(1598)に現在地に移転したという。もと尊重寺と称したが、元和元年(1615)東本願寺の命によって善応寺と改称したという。
善応寺
左手に「大法寺」がある。慶長8年(1603)大阪から松ケ崎に移住した僧日文が創建、六郷氏移封に際し、元和9年(1623)に現在地に移ったという。天保2年(1831)の題目石や五輪塔が境内にある。
大法寺
 一旦今日の宿であるホテルアイリスにチェックインしたが、まだ15時26分なので、荷物を置いて先へ進む。由利橋を渡り、石脇新町の信号を左折したところ右手に「願永寺」がある。
 そのまま進んで行くと7号線に合流するが、左手に鳥海山が初めて山頂まで姿を見せている。真白く雪に覆われていて、なかなかいい山だ。
鳥海山が
 ここから先はひたすら7号線を歩くが、次第に人家がなくなり、左手は海、右手は山という道を進み、16時59分に深沢のバス停に着く。バスの時間は17時3分だったので、ギリギリ間に合った。

 本日の歩行時間   11時間34分。
 本日の歩数&距離  50105歩、33.8km。

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