赤間関街道(北浦道筋)を歩く

2010年02月16日(火) ~2010年02月25日(木)
総歩数:186144歩 総距離:126.9km

2010年02月16日(火)

下関~綾羅木~黒井

                  曇時々小雪

 萩と赤間関(下関)を結ぶ赤間関街道は中道筋、北道筋、北浦道筋の三ルートが設定されていたが、そのうち北浦道筋は長門国の北・西両沿岸部を連ねる最も遠回りのルートだった。海岸線を通ることから舟路とのつながりや海防警固の役割を担っており、近世初期から異国船漂着への対応や北浦海域の北国・山陰廻船や浦方船の船積み、陸揚げ品の交易、流通に各地の商人が往来をしたという。ただ他の二道ほど公定され、定着した往還とはいいがたく、市々や舟路上の浦々を繋ぎながら一筋の往還を形成したとみられている。
  10時40分に永福寺を出発する。このお寺は山陽道を歩いた時の最終地点で、日本縦断の旅がここで終了した場所だ。会社の連中が迎えに来てくれていた約1年ほど前のことを思い出す。
永福寺 
 今日の予定は距離も短く、家からそれほど離れていない場所のため、朝ゆっくしてこの時間にスタートすることになった。
すぐ前は関門海峡、その向こうに九州が見える。眺めのいい場所だ。
関門海峡 
 階段を下って左折して進む。すぐ右手に国道9号線が走っている。
 「馬関越荷方役所跡」の石碑が立っており、その先左手に「名池の井戸水」がある。ここは「空也上人」が天暦の頃(947~56)この地で念仏を広められていたが、山裾までが海に接し、飲料水に不自由していた当時の里人を上人は哀れに思い、持っていた杖を地面に突き立てられた。後に里人がこの杖を抜き取るとその穴からこんこんと泉が湧き出たので、これを「名池の井戸水」といい、関門海峡を通過する船までもがこの地に停泊して、水を求めたということだ。
名池の井戸水
 左手に下関市役所があるところで57号線に合流して左折する。右手には関門渡船の乗り場がある。
 その先すぐ次の信号を右折、左手に教法寺があり、その先の突き当たりを左折する。山陽道はここから右折して進むので、ここで山陽道と赤間関街道は分岐するのである。
山陽道分岐 
 右手,少し入ったところに「末廣稲荷神社」がある。ここは大同4年(809)に祀られた下関最古の稲荷神社で、古来赤間関の繁栄の守護神として信仰されてきたという。社の麓は以前は稲荷町といって日本の廓の発祥地といわれており、井原西鶴、十返舎一九、頼山陽などが訪れ、高杉晋作、伊藤博文、山県有朋、井上馨の夫人は当地の出身であったと説明されている。昭和20年の空襲で全て焼失したため昭和28年に復興、更に昭和61年に新社殿が造営されたという。
末廣稲荷神社 
 その先突き当たりを右折、すぐ先で左折して細い道に入るが、細い道にもかかわらず車が多く歩き難い。くねくねとした道を進んでいくと、右手に山口県下関総合庁舎があり、その下に「赤岸通り」の石碑が立っている。昔はこのあたりまで海が入り込んでおり、赤い色をした岩があったため赤岸という地名が付けられたという。
赤岸通り 
 57号線を地下道で横断、突き当りを左折して進むと、「海門寺上り口」と刻まれた石碑が立っている右折する道があるが、その一つ先の坂道を上る。
海門寺上り口 
 坂を上って行くと突き当たりになり、左右に道が分かれている。ここはちょっと分かりにくくて道を間違えたが、右折してすぐ左折して下る道が旧道だった。
右折してすぐ左折 
 道なりに進んでいくと、右手に感應寺があり、その先で248号線に合流する。
 少し先で248号線から左斜めへ進む道が伸びているのでこれを進む。
少し先で248号線 
 坂を上りきったところで道は二股に分かれているので、左側の道を直進、坂を下り、248号線にでる一つ手前の角を左折して進む。
坂を上りきったところで 
 その先で258号線を横断して直進すると、右手に「生野神社」がある。ここは貞観2年(860)京都の僧行教が宇佐八幡宮に赴き、その帰途この地に御分神を奉祀したのが始りといわれている。往時このあたりは入海で天然の良港であり、神功皇后が三韓の役の際、ここで最初の軍船を揃えて船出されたという。その際、軍船に仕立てた数百流の旗(幡)が一夜にして生まれ出たように見えたので、「幡生(ハタブ)」の地名ができたと伝わっているそうだ。
生野神社 
 また神社の裏には六世紀に築造されたと見られる前方後円墳があり、宮山古墳として下関市指定史跡になっている。
宮山古墳 
 街道に戻って進み、跨線橋でJR山陰線を越える。左手に幡生駅が見える。191号線に合流したところで昼食。今日はスタートが遅かったので、歩き始めて間もなく昼食という感じだ。
 食事が終わって191号線を進んだが、このあたりの191号線には信号がなく、街道はその少し先から左斜めへ進むので車の流れが途切れた時を見計らって道を横断する。
 左手少し入ったところに「垢田八幡宮」がある。ここの創建は不明ということだが、最初は黒崎にあり、俗に黒崎妙見ともいわれていた。海上航行の船から望見される所にあったので、通航の時は帆を三合下げて挨拶をしていたが、このことを怠るとたちまち難破、座礁という椿事に出会うので正徳5年(1715)に堀という土地に遷座、明治39年にこの地へ移したと説明されている。文化6年(1809)の鳥居が立っていた。
垢田八幡宮 
 八幡宮のすぐ先で街道は191号線に合流している。垢田の辻という信号があるが、昔このあたりに垢田の辻があった名残なのだろう。「右いさき 左せき 津森茂兵衛」と刻まれた道標があったが、現在は八幡宮の床下に移されていると資料には書かれている。
 暫く191号線を進み、下関市稗田の歩道橋の先から左へカーブする191号線と分かれて直進する。
 右手に綾羅木駅を見ながら進むと綾羅木川に架かる綾羅木橋があり、その左側の袂に六地蔵が祀られている。
六地蔵 
 その先に小川があるが、そこから旧道は右折、その先で左折するようになっていたようだが、現在は道が失われているので191号線を直進する。その先で左へカーブする191号線と分かれて直進すると右手に梶栗郷台地駅がある。
 ここから街道を離れて右手にある「綾羅木郷遺跡」を見に行く。ここは弥生時代の集落と古墳時代の埋葬跡を主とした遺跡で、弥生時代前期中頃から中期前半のわが国最大級の約1000基にも及ぶ貯蔵穴群が発見されている。これは深さ2m、底面の直径2mほどの大きさで上部には覆屋がかけられ、農耕によって収穫された穀物を蓄えていたと考えられているということだ。ここには「若宮古墳」という前方後円墳が復元されていた。
若宮古墳 
 駅を左手に見ながら梶栗川に架かる弥生橋を渡って進み、その先の梶栗第2踏切を渡って、右折して進む。
 線路沿いに「梶栗浜遺跡」が見えたので行ってみた。これは弥生時代前期から中期にかけての埋葬遺跡で、朝鮮半島製の多紐細文鏡がわが国で最初に出土されたところで、その後の弥生時代の研究に大きな影響を与えたという。
梶栗浜遺跡 
 ここからJRの線路に併行して一直線に街道は伸びているので、これを進んでいくと、右手に安岡駅がある。その先、最初の四つ角を右折して進み、ガード下を通ってJR線路を越えたところから左折して進む。安岡駅のあたりは旧道は失われているようだ。
 247号線を横断し、右手にある安岡小学校へ通じる道を過ぎて次の三叉路を左折して進む。
 左手に安岡中学校を見ながら進み、その先の五叉路の左から二番目の道を進む。その先で244号線に合流し、すぐに左斜めへ分岐するのだが、244号線に合流するところに「役行者像」あると資料に書かれている。
 ところがどこにあるのか分からない。そのすぐ先で街道は244号線から分岐しているので、そこまで行って見たが見つからない。しかたがないので再度戻って探していると、244号線に合流する少し手前に右へ進む道があり、これを進むと像があった。台石に「右せき道」「左長婦」と刻まれている。この像は道標にもなっているのだ。
役行者像 
 右手に善行寺を見ながら進み、その先右手に猿田堤があり、その先で左折して進む。
右手に善行寺 
 集落の中の曲がりくねった道を進んでいくと消防団吉見分団の消防機庫に突き当たるので、ここを左折、すぐ先の二股を右折、更にもう一つ二股を右折すると244号線に合流、これを左折して進むが、244号線は歩道がなく、しかも車の通行量が多いので歩き難い。
 このあたりは山間部で寒い!露出している顔や手が冷たいというより痛い!時折小雪がちらついており、体感温度はかなり低い。道路端をみると凍結防止剤が置かれている。
このあたりは山間部 
 右手に「千石岩」がある。かってはかなり大きいものであったが、道路建設に際しその大部分が破壊されたという。ここに駕籠立場があったということだ。
千石岩 
 山の中の道をひたすら歩いていくとやがて集落に入る。この集落の入口に244号線と分岐して右へ進む道があるのでこれを進む。
この集落の入口 
 集落の中を廻りこむ形で再び244号線に合流するが、合流したところの反対側角に「右うらミち」「左せき道」と刻まれた道標がある。ここから再び244号線を進む。
刻まれた道標 
 右手に吉見温泉センターがある。身体がすっかり冷え切っているので、ゆっくり温泉につかって温まりたいとかなり切実に思う。
 こうした邪念が入ったからなのか、その先で道を間違えた。その先で244号線から分岐して右へ進むようになっているのだが、その道をうっかり見落としてしまいそのまま進んでしまったのだ。その先にも右へ入る道があったのでそれを進んでいくと、行き止まりになっている。おかしいなと思いながら引き返していると、おばあさんが出てこられたので道をお聞きすると、少し前に吉見上八幡宮の鳥居のところから右に入る道があり、それが殿様道と呼ばれる道だと教えていただいた。この場所からも合流できるといわれたが、本来の場所まで戻って歩くことにする。
 道を戻りながら右へ(戻っているので左になる)入る道が数本あったので、その都度入ってみたが、どれも違うようだ。そのうち温泉センターから来ると左手にあたる場所に狛犬と常夜燈が二つづつある場所まで戻ってきた。
狛犬と常夜燈 
 ここに右手へ入る旧道の入口があったのだ。
 最初歩いた時、この狛犬と常夜燈が気になって、そちらばかり見て歩いたため、右手にある道に気がつかなかったのだ。注意散漫だ。
ここから右折
 その少し手前に吉見上八幡宮の鳥居が見える。 
 ここから右折して進んでいく。道は一応舗装されてはいるがかなり痛んでいる。それでもはっきりと分かる道なのでこれを進んでいくと、先ほどのおばあさんが犬を連れて待っていてくれた。「道はわかったかね」、心配してくれたようだ。こういった心遣いはとても嬉しく感じるものだ。お礼を言って分かれる。
道は一応舗装 
 途中に梅が咲いていた。もう満開だ。寒いといっても春はもうすぐそこまできているのだ。
梅 
 しばらく山の中を歩き、244号線に合流する。その先一ノ瀬で直進する244号線から左へ分岐して進むのだが、このあたりに駕籠建場跡や辻堂があるようになっているので探したが見つけることができなかった。もう少し丁寧に探せば見つかったかもしれないが、今日は距離から見て余裕があると思い、また久しぶりに歩いたということあって、かなりゆっくりしたペースで歩いたため、思った以上に時間がかかってしまっている。一時期より日没は遅くなったとはいっても、せいぜい歩くことが出来るのは18時までだ。それまでに駅に着かなければいけないと思い、このあたりではかなり焦り始めていたのだ。
 道が二股に分かれているところがあり、ここは左へ進む。
二股 
 その先で再び二股に分かれているところがあり、ここは直進して山の中へ入っていく。
再び二股 
 右手に池が二つあり、二つ目の池の横を通って進んだのだが、ここで道を間違ってしまったようだ。後で地図をよくみると池の堤に沿って進み、山の中へ進む道があったようだ。それに気がつかず、そのまま直進してしまっていた。その先で道は合流しているので、大きな間違いにはならなかったが、ちょっと残念だった。これも焦って歩いたことによる失敗だ。
 その先で道は再び二股に分かれているがここも直進する。
その先で道は 
 すぐ先右手に注連縄を張った庚申塔らしい石があり、ここに右手から道が合流していたのでこれが旧道だったのかもしれない。
注連縄を張った庚申塔 
 左手に安養寺があり、その先右手に池があり、その横にやはり注連縄を張った石があるところで今日は終わることにする。このあたりはこういった石が多い。
左手に安養寺 
 ここから黒井村駅まで歩いていき、17時28分に到着する。

 本日の歩行時間   6時間48分。
 本日の歩数&距離  41749歩、26.7km。

旅の地図

記録

プロフィール

かっちゃん
歩人
かっちゃん