山陰道(鳥取県)を歩く

2010年05月06日(木) ~2010年05月30日(日)
総歩数:225383歩 総距離:154.2km

2010年05月28日(金)

下北条~橋津~長瀬~青谷~宝木

                      曇

 下北条駅に8時3分に着き、昨日の街道の場所まで戻って歩き始める。今日も曇っていて肌寒い。
 北条放水路に架かる6号橋を渡って進むと、左手に「浜井戸」がある。北条砂丘の開拓は綿作りを目的として、今から250年くらい前から始まったという。砂丘地でも水さえあれば質のよい綿が出来るが、北条砂丘の下部には水を通し難い層があり、そこまで掘り下げると水が溜まることがわかったので、砂地の平で低いところに水をためる穴を堀り、その穴を中心にして畑を開墾していった。この水ための穴を浜井戸といっているが、当初砂畑に綿を主に作ったことから綿井戸とも呼んでいるという。現在は天神川の水をくみ上げて灌漑しているので、浜井戸は不要になり、僅かしか残っていないというが、天保14年(1843)には約1200、明治の初めにも1331あったという。
浜井戸 
 左手に北条文化会館への案内板が立っている先で道は二股に分かれており、これを左へ進む。
 ここから一直線の道を進んでいく。周囲の畑は砂地で、盛んに水をまいている。
周囲の畑は 
 左手に「北野神社」がある。ここは養和元年(1181)創建と伝えられている江北村の産土神社で、天正9年(1581)に鹿野城主となった亀井茲矩は天神信仰が篤く、この地に社殿を建築したという。そのときからこの地を「天神山」、下を流れる川を「天神川」と呼ぶようになったという。現在の社殿は昭和26年に建立されたが、明和4年(1767)の鳥居が立っていた。
北野神社 
 天神川に架かる新天神橋を渡る。北条平野は天文時代、度重なる流路変遷と洪水の被害に悩まされていたので、天文年間に米村所平によって、長瀬浜と天神山の間に横たわる石山の岩盤を打ち崩し、今日の流路を造ったという。
 橋を渡ってすぐに右折、川沿いに進んで下水道公社の敷地の先、二つ目の角を左折して進み、左手に長瀬観音堂があるところで二股を右へ進む。
 右手に勝福寺がある先の突き当たりを左折して進むと、左手階段の上に「長瀬神社」がある。ここは宝徳元年(1449)に伊勢国外宮西の相殿及び近江国水尾社右殿の御分霊を勧請して建立された。このあたりが長瀬宿の中心で、かっては旅籠などがあったという。
長瀬神社 
 その先、突き当たりを左折、すぐ先を右折して進み、179号線を横断、すぐに左折して橋津川に架かる橋津大橋を渡る。
 右手少し入ったところに「橋津の藩倉」がある。寛永9年(1633)に池田光仲が岡山から鳥取へ入国し、32万石鳥取池田家の藩政が始まった。この藩倉は正保2年(1645)に創設されたもので、鳥取藩の藩倉のうち、最も古いということだ。現存している御蔵は三棟だが、文化5年(1808)の橋津御蔵絵図には御蔵14棟が描かれており、約5万俵の米を収納していたという。
橋津の藩倉 
 右手に「橋津古墳群」がある。馬ノ山丘陵には24基の古墳が点在しており、これらを総称して橋津古墳群と呼んでいる。5基の前方後円墳、19基の円墳が確認されており、最大の前方後円墳は全長100mもあるという。古墳時代前期(4世紀代)から後期(6・7世紀)までのものと考えられているということだ。
橋津古墳群 
 すぐ先右手に「湊神社」がある。ここの祭礼行事は湯梨浜町指定無形民族文化財に指定されている。これは湊神社例大祭に奉納されるもので、奴姿の大名行列をはじめ、榊、神輿、花車(だんじり)が集落内を練り歩くという。行列の際の掛け声から「ヨイトマカセ」と通称されている。祭りの起源は明らかではないが、宝永元年(1704)に御廻米安全祈願のため、永代船御幸を執行するように藩から申し渡されたと伝えられているという。宝永4年(1707)の鳥居が立っていた。
湊神社 
 左手に「塩川神社」があり、天保4年(1833)と刻まれた石柱が立っていた。
塩川神社 
 その先で9号線に合流、左手に臨海公園があり、その先から右折して9号線から分岐して進んだが、これは間違いだった。なんとなくおかしいなと思いながら歩いていると人がおられたので道をお聞きすると親切に教えてくれた。また、この先に公民館があって、そこに宇野地域の山陰道に関する地図があり、今日は山陰道に詳しい方がおられるはずだから、そこで聞けばいいと言っていただいた。一旦9号線に戻り、その先の小さな峠を越えると、左手に日本海が広がっており、その先から9号線から分岐して右へ進んで集落の中へ入って行く。すぐに道は二股に分かれており、これを右へ進み、すぐ先で左折する。この道はその方に教えていただいた道だ。その先で公民館があったので、山陰道のことをお聞きすると、分からないという。また先ほどお名前をお聞きした方は今日はおいでになっていないということで、お会いすることができなかった。公民館の庭に「右ハ米子 左ハむら 道」と刻まれた道標が置かれていた。
道標
 その先で「オイワの水」「ガラの水」と呼ばれる名水がある。この右手横に「宇野神社」があるが、そこから集落の中へ戻るようにして歩いていくと、左手に「安楽寺」がある。ここの境内には一里松の切り株が残っている。
オイワの水 
 また道を挟んで前に国指定名勝「尾崎氏庭園」がある。尾崎家は代々河村郡の大庄屋で主屋の屋根形式は伯耆型の寄棟になっている。江戸時代中期の特徴があるという庭園は残念ながら見ることはできなかった。尾崎氏庭園 
 街道に戻って進むと、右手に「地蔵ダキ」があり、その横に元禄2年(1689)の「南無妙法蓮華経」と刻まれた大きな題目石が立っている。女性の方が水を汲みに来られていたので、お話をお聞きすると、ここの水は何年経っても腐らないという。先ほどの「オイワの水」といい、ここの地蔵ダキといい、このあたりではいい清水が湧き出しているようだ。
地蔵ダキ 
 9号線に合流して海岸線を進むが、今日も風が強く、海は波立っている。沖合い50mほどのところに「亀石」がある。昔、女の神様が海から亀に乗ってこの地においでになった。その神様は亀に「ここで待っていなさい」と言って陸に上がられたが、あまりにも眺めがいいので、すっかり気に入って帰るのを忘れてしまい、この地に住み着いてしまわれた。亀はいわれたとおり、そこにじっと待っていたので、とうとう岩になってしまったという。
亀石 
 泊漁港入口の信号から左折、泊園海岸橋を渡って右折、湯梨浜町石脇の標識が出ているところから左折すると、すぐ左手の巨木の下に石仏が置かれている。
巨木の下 
 そのまま進んでいくと海に突き当たるので、海沿いに進んでいく。昔はそのまま海岸線を歩いていたようだが、現在は歩くことができないので、海沿いの道路を進む。このあたりを石脇海岸といい、ここの砂は足をするように歩いたり、手で砂をこするときゅっきゅっと鳴るので、鳴り砂と呼ばれているそうだ。
石脇海岸
 国道の温度表示が14℃を示している。このくらいの気温が歩くには丁度いい。
 JRの線路沿いに進んで行くと、前方にトンネルが見えるところから線路の向こう側に旧道の入口が見える。ここから先は旧青谷町の方に地図を送っていただいていたのだが、この場所はまだ湯梨浜町泊なので、事前に泊支所に電話を入れて、この旧道を歩くことができるか確認をした。ところがよく分からない、歩けないのでは?という返事だった。旧道の入口ははっきりと分かるが、その先でなんとなく藪になっているような感じだ。西坂峠と呼ばれるところだが、もう少し前の時期であれば、かまわず進むのだが、この時期になると大嫌いなマムシが出てきているし、つい最近、島根県の波根を歩いた時、藪に突入して道に迷った経験が頭をよぎったため、迂回して9号線を歩くことにした。
 鳥取市と湯梨浜町の境が昔の因伯国境で、ここに地蔵尊があり、滝の跡が残っている。
因伯国境 
 その先で道は二股に分かれているので、9号線から分岐して右へ長和瀬の方向へ進む。榮松吉助塚すぐ先で右折して長和瀬の集落の中の道を進んでいくと、左手に「榮松吉助塚」と小祠があり、その先に「道路改修記念碑」が立っているので、これを右に見ながら坂を上って行く。
 ここから道は山道になるが、一本道で草もあまり生えてないので歩きやすい。
道は山道 
 山を抜けて9号線に合流する。その先で9号線から分岐して旧道があったようだが、頂いた地図も道がないようになっており、実際歩いてみたが、それらしい場所はなかったので、そのまま9号線を進んでいく。その先で左へカーブする9号線から分岐して274号線へ入り、その先で直角に右折する道を進んで、集落の中の細い道を進む。
細い道を進む
 右手に「興宗寺」がある。ここに「十六羅漢」があり、天保13年(1842)の「万霊等」が立っている。
万霊等
 興宗寺の横から左折する道があり、これを進んで勝部川を渡って左折、すぐに右折、そのすぐ先で左折、日置川に架かる東大橋を渡る。このあたりは旧道は直線だったようだが、現在は失われているようなので、現在の道に従って進む。
 突き当たりを右折して進むと、左手に「専念寺」があり、その入口に嘉永6年(1853)の石仏があった。
専念寺 
 そのすぐ横に「潮津神社」がある。ここには弘化2年(1845)の石柱が立っていた。
潮津神社 
 ここから先、旧道は失われているようだったので、280号線に合流して進み、その先にある「あおや郷土館」へ立ち寄る。今回、事前調査の段階で、ここにおられる学芸員の方に色々とお世話になり、詳細な資料を送っていただいたりした。丁度歩く道に沿っていることと、お立ち寄りくださいといっていただいたこともあって、御礼を兼ねて立ち寄らせていただいた。ここから先、資料にある長尾坂のこともここで確認させていただいたが、現在では倒木等があって歩くのは困難だろうということだった。ここから先の旧道の入口付近まで案内をしていただいた。お世話になりました。
 ここから山の中の道を通っていくが、舗装されていて歩きやすい。途中、地図に載っていない道と交差していたりしたが、基本的に直進すると、峠を越えて魚見台に出る。ここはビューポイントだと学芸員の方に教えていただいていたのだが、確かに前方に日本海が広がっていて眺めがいい。白波が立っているが、これは今日、風が強いからというだけではなく、いつも波が高く、サーファーの人気スポットということだった。
ビューポイント
 9号線で坂を下っていく途中に左手ガードレールの横から下る階段があり、これを降りていき、集落の中の道を進む。
下る階段 
 右手前方に墓地があるところから右折すると左手に「大乗妙典一字一石供養塔」がある。年号は読みにくかったが、慶応3年(1867)と刻まれているようだった。その横に「廻国供養塔」が立っているが、これは年号は読み取ることはできなかった。
大乗妙典一字一石供養塔 
 その先9号線下のトンネルを通って進むと、左手に「姫路神社」がある。由緒によると神社明細帳に「勧請年月詳かならずと言えども、宝亀2年(771)と古書に記載あり」と記されているということだ。明治元年に境内にあった稲生大明神と合祀して姫路神社と改称したという。
姫路神社 
 ここには嘉永2年(1849)と刻まれた子持ちの狛犬があるが、これは江戸末期の青谷町の名石工「川六」の作で他に類を見ないものだという。確かに子持ちの狛犬は見た記憶がない。文政8年(1825)の鳥居が立っていた。
子持ちの狛犬 
 9号線下のトンネルを通り、鶴木坂を越えて下ったところを左折、突き当たりを右折、道なりに進んでいくが、道がよく分からず、早めに9号線に合流してしまったようだ。暫く9号線を進み、浜村の信号から右折する。この時点で16時41分だ。今日の宿は昨日に続いて浜村なので、このまま宿まで行けばいいのだが、まだ時間が早いので次のJRの駅である宝木駅まで行くことにする。事前に浜村駅と宝木駅の距離を調べておいたのだが、この段階では非常に近くて1.9kmしかないと思っていた。宝木駅から浜地駅へ向かう電車の時間は17時19分があるので、十分に間に合いそうだと思って先へ進むようにした。32号線に入って最初の角を左折して進むが、暫く歩いたところで何気なくメモを見ると距離が1.9kmではなくて2.9kmと書かれているではないか!なぜか間違って記憶していたのだ。JRの駅間の距離より、歩く場合は当然距離は伸びるはずで3kmを越えるだろう。(実際は3.6kmあった。)この距離を、知らない土地を地図を見ながら、メモを取りながら残された30分ちょっとで歩くのはかなり急がなければ間に合わない。さぁ、それから急いだ、とにかく急いだ。というのも17時19分の次は18時26分までないのだ。
 浜和川に架かる新砂丘橋を渡り、突き当たりを左折、気高中学の裏を通って、日光の信号で9号線に合流する。宝木橋を渡り、その先で9号線から分岐して、右斜めへ進み、街道から外れて駅へ向かう182号線を歩く、というより走る。もう少しだ。時計を頻繁に見ながら走る。こうなると1分、2分の勝負だ。最後の曲がり角を曲がると駅が見えた。もう猛ダッシュだ。駅が段々大きくなり、電車が止まっているのが見える。急げ!
しかし駅まで10mほどというところまで来た時、無常にも電車は出発してしまった。
あ~あ、行ってしまった。
さて、困った。駅ですることもなく1時間以上待つのはいやだし、かといって次の駅まで進むにはかなり距離があって1時間では行けそうにない。駅の前にタクシーの姿はなく、ただ「ときめき号」と書かれた気高町福祉バスが一台停まっているだけだ。
さて、どうするか。
このとき、ン?バス!ヒョットシテ!!と「ときめいた」。運転手さんに浜村駅まで行きたいのですが、そちらのほうへ行きますか?と聞いてみると、何と終点が浜村駅だという。ただ町内をぐるぐる回るので時間がかかって、到着は17時58分になるとのこと。それでもJRより早く着くし、何よりバスに乗っていればいいので、これで帰ることにした。汗でびっしょり濡れたシャツを着替える暇もなくバスに乗り込む。乗客は私以外に3名。皆さん顔見知りらしく、今日は病院に行ったのだけど、患者が多くて今まで時間がかかってしまったなどと運転手さんを交えて盛んに話をしながら進んでいく。途中から乗っていくるお客はおらず、一人また一人と降りて最後は私一人になり、ピッタリ17時58分に浜村駅に到着。ここから今日の宿はすぐ近くだ。運転手さんは親切に宿の場所まで教えてくれた。

 本日の歩行時間   9時間17分。
 本日の歩数&距離  54561歩、36.7km。

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記録

プロフィール

かっちゃん
歩人
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