山陰道(鳥取県)を歩く

2010年05月06日(木) ~2010年05月30日(日)
総歩数:225383歩 総距離:154.2km

2010年05月30日(日)

福部岩戸~岩井温泉~蒲生峠 

                      曇

 7時35分に出発する。塩見川に架かる細川橋を渡って進むと、左手少し入ったところに「子持御前の五輪塔」がある。
この五輪塔は道竹城(岩美町新井)の城主だった三上兵庫頭室女の墓と伝えられている。永禄7年(1564)道竹城の城主だった三上兵庫頭豊範は布勢城主山名豊数との戦いに敗れて死んだが、奥方は落城後細川まで落ちのびてきた。しかし夫が討ち死したことを聞き、この地で自害して果てたという。このとき彼女は妊娠中だったため、以来この墓は子持御前と呼ばれて安産の守り神になっているという。
子持御前の五輪塔 
 9号線に合流し、駟馳山峠(シチヤマ)を越える。ここは昔は「七夜山」「比知山」などと書かれていて、大変な難所だったという。峠の頂上近く、左手に「題目石」が立っている。年号を読み取ろうとしたが、分からなかった。
駟馳山峠 
 その先9号線と178号線が分岐する300mほど手前に左折する土道があるのでこれを進むと、「駟馳山峠の石畳」が残っている。文化8年(1811)に備前国(岡山県)の多十郎という六部(僧の形をした遍路さんでお経や念仏を奉唱して諸国を回った人のこと)がこの地方へやってきた。当時の駟馳山峠は急な坂道でしかも赤土のため、大変な難所だった。そのため多十郎は石畳の道を作ろうと鳥取藩に相談して許可をとり、藩や庄屋等から援助を受けることによって一年がかりで完成させた。この道を往来する人々は感謝の念に思わず念仏を高らかに唱えつつ上り下りしたといわれ、「六部さん道」と呼ばれるようになったという。
駟馳山峠の石畳 
 石畳道から178号線に合流する手前左手に「六地蔵」がある。
左手に「六地蔵 
 178号線を進んでいくと、右手に「源頼朝の愛馬 生月誕生の地」の標柱が立っており、その横に「天保15年(1844)下り松良兵衛」と刻まれた石碑が立っている。
生月誕生の地 
 そのすぐ先、右手に「穴観音」がある。万治元年(1658)に鳥取藩御蔵が岩本に設置されて以降、この地(現大谷)では田んぼの水利、干拓事業が積極的に行われるようになったが、安政年間(1772~1781)のころ、この事業達成大願成就の記念として石造観音33体が有志によって寄贈されたという。穴観音 
 その横に大谷池干拓の指揮監督に当たった「和田得中」の碑がある。和田得中は越後国の大名だった堀氏の家臣だったが、享保2年(1717)に鳥取藩に召抱えられ、干拓事業を担当したという。
和田得中 
 その横に「小畑3号墳」が復元されている。このあたりには8基の古墳が発掘されており、小畑古墳群と呼ばれている。これらは古墳時代後期後半(6世紀半ば~7世紀頃)に築造されたということだ。
小畑3号墳 
 その先で178号線が右へカーブするところを直進し、大谷集落の中を歩く。
 左手かなり入ったところに「日野神社」がある。ここは延喜式神名帳に載る神社で創建は不詳ということだが、900年ごろとされている。天保15年(1844)の常夜燈が立っており、長い参道には両側に石灯籠がずらりと並んでいる。
日野神社 
 日比野橋を渡って左折、蒲生川に架かる岩本橋を渡り、岩本の信号から右折する。岩本橋は昔は現在の橋から100mほど上流に架けられていたということだ。鳥取はらっきょの産地で、あちこちでこの時期らっきょの収穫が行われていたが、ここも同様で歩いていると、らっきょの匂いが漂っている。らっきょを毎日食べているらっきょ大好き人間にとって、この少し刺激のある匂いはなんともいえずいいものだ。その先で178号線に合流する。
 右手に「相撲塚」があり、小櫻安五郎、小櫻金八、小湊常八と刻まれた3基の墓が立っている。
相撲塚 
 すぐ先で右折して178号線から分岐して進む。JRの線路に接するところの左側に明治2年「勇駒平八」と刻まれた石碑が立っており、その横に石仏がある。
勇駒平八 
 更にその先、左手にある家の庭に「道標」が立っている。
家の庭に「道標 
 左手に「永明寺」がある。ここには徳川家康の娘である良正院殿督姫(池田輝政公室)の母の実家で、鳥取藩家老だった鵜殿家ゆかりの位牌が安置されている。入口に天保9年(1838)の石仏が立っている。
永明寺 
 新井県道踏切を渡ってすぐに左折、すぐ先を右折して小川に沿って進み、更に蒲生川沿いに進んで、恩志橋を渡って9号線に合流する。右手に「恩志呂神社」があり、天保2年(1831)の石灯籠が立っている。
恩志呂神社 
 蒲生川沿いに進み、岩井温泉入口の看板が立っているところから右折して進むと、里久の里という軽費老人ホームがある。ここは以前は簡易保険保養センターだったところということだ。ここの入口のところに「善人治助」の墓がある。昔、岩井温泉往来で、毎日ワラジを作っているおじいさんがいた。このおじいさんは治助といって身寄りのない人だったが、一千足のワラジ供養を思い立ち、温泉の湯治客や岩井寺に参拝する人たちが通ると、どうぞこのワラジをはいて元気に旅を続けてくださいといって旅人の姿が見えなくなるまで手を合わせていたという。そして一千足のワラジを編み終わると間もなく亡くなったということだ。
その横に三界万霊塔、廻国供養塔、地蔵尊が並んで立っていた。
善人治助
 岩井温泉の町並みの中を歩いていき、温泉街が終わるところから左折して蒲生川に架かる岩井大橋を渡って右折、蒲生川に沿って進み、その先で9号線に合流、その先から9号線の左手にある道へ入る。
 蒲生川に架かる長谷橋を渡ると左手に大小六体の「石地蔵」と「相撲塚」「五輪塔」がある。一番大きい地蔵には天保7年(1836)と刻まれている。旅人の守護や村の厄払いの意味があるのだろう。
長谷橋 
9号線を進み、最初の橋を渡る手前から左斜めへ分岐して白地川沿いに進む。その先で右折して白地川に架かる白地橋を渡り、集落の中を歩いて9号線に合流する。
 更にその先で「唱歌と彫刻の道」という標柱と田村虎蔵記念碑、山本兼文入口という案内板が立っているところから左へ分岐する道があるのでこれを進む。このあたりは9号線に沿って旧国道が残っているところが何箇所もあり、その都度9号線から分岐して旧国道を歩く。
 左手に「田村虎蔵記念碑」が立っている。田村虎蔵は明治時代、「まさかり担いだ金太郎♪」という「金太郎」や「大きな袋を肩にかけ」という「大黒様」といった唱歌を作るなど唱歌の父と言われた人で、この地の出身ということだ。
田村虎蔵記念碑 
 またその先には彫刻家「山本兼文」の顕彰碑が立っている。
 その先で9号線に合流するが、国道にあった温度計は15℃を示していた。歩きやすい温度だ。この表示板から再び左手の旧国道に入る。左手に永泉寺があったので、ここの境内で昼食にする。今日は宿で作ってもらったおにぎり3個が昼食だ。
 右手、向こうのほうに旧蒲生小学校が見える。道端におられた男性が、先ほど岩井の町中で車の中から私が歩いているのを見かけたが何をしているのかと話しかけてこられた。街道を歩いているというと、それはご苦労なことだね、と言われてしまった。人通りが少ないので、見慣れない人間がこうして歩いていると目立つのだろう。
 右手に岩美蒲生郵便局を見ながら直進して再び9号線に合流、すぐ先から9号線を横断する地下道があるので、これを歩くと、いよいよ蒲生峠への入口にくる。
地下道 
 地下道を抜けると蒲生峠の標柱と案内板が立っている。それによると標高356mの蒲生峠は新温泉町千谷から岩美町塩谷へ越すルートとして古くから利用されており、峠には茶屋もあって賑わっていたという。平成8年に「歴史の道百選」に選ばれたため、荒れ果てていたこの道を平成10年度に整備し、平成17年に国史跡な指定されたという。
蒲生峠の標柱 
 山道はきれいに整備されていて歩きやすい。先日歩いた萩往還と同じような感じだ。途中に石畳道が残っている。明治時代に山陰道が一級国道に選定され、国による整備が進んだ。その第1~2回の改良工事がこの峠道(塩谷~蒲生峠線)で、それまでは主として人が歩いて往来する道だったが、改良されてからは人力車、荷馬車なども通行するようになったという。この場所は水はけが悪く、道の状態が悪かったため石畳を敷いたようだが、それでも貨車がすべって動かなくなるほど通行が困難な場所だったという。
途中に石畳道 
 途中、分岐するところがあるが、しっかり標識が立っている。この標識は色、形まで萩往還のものと同じだ。
標識 
 山は新緑がきれいだ。静かで気持がいい道を上って行く。
山は新緑 
 やがて山道を抜けて119号線に合流するが、その手前左側に「延命地蔵」が立っている。これには二代目と刻まれているが、明治25年に往来人の安全を祈願した「延命寺像大菩薩」と台座に記された地蔵が建てられたが、地蔵は心ない人に持ち去られて今はなく、台座だけが残っている。それにしてもお地蔵さんを盗む人とはどんな人なのだろう。盗んだ後のその人の人生はどのようになったのだろうと思う。
延命地蔵 
 119号線を左折して少し行くと、蒲生峠の頂上でここから「兵庫県」に入る。鳥取県を越えたのだ。思わずやった!と声が出る。暑くなる前に最低限、鳥取県を越えたかったので、無事達成できてホッとする。
蒲生峠の頂上 

 ここで一旦記録をとる。

 13時10分 蒲生峠を越えて兵庫県に入る。

 本日の歩行時間   5時間35分。
 本日の歩数&距離 32177歩、21.8km。

 今日はこの後、峠を下り、湯村温泉まで歩いたが、その部分は兵庫県として後日記載いたします。


 山陰道〈鳥取県)総合計
 総歩行時間  39時間41分。
 総歩数    225383歩。
 総歩行距離  154.2km。
 山陰道(島根県)純距離 136.7km。(途中、寄り道をせず、道を間違えず、街道だけを歩いた場合の距離)

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