熊野古道・小辺路を歩く

2011年04月12日(火) ~2011年04月29日(金)
総歩数:93423歩 総距離:69km

2011年04月29日(金)

十津川温泉~果無峠~熊野本宮大社 

                      晴れ

 前回腰痛のため断念した果無峠を再挑戦することにした。前回断念した時は腰も痛かったし、帰り着くまでに10時間もかかってしまったので、もう果無峠を歩くことはやめようかと思っていたのだが、腰痛が次第に回復してくるに従って、折角なので何とか最後まで歩き通したいという気持が強くなってきた。更にGWに会社の人間と竹内街道を歩くことを決めていたので、どうせ関西まで行くのであれば、再度挑戦をしようと思い立った。
 28日に小倉から十津川温泉へ移動、翌日29日朝から歩いて、歩き終えた後に堺へ移動、30日から竹内街道を歩くというスケジュールにした。
 今回は前日移動なので乗り継ぎの待ち時間を最小限にとどめたため、前回よりも短時間ですんだが、それでも移動だけで約8時間かかってしまった。大和八木駅からバスに乗るが、ここから十津川まで4時間かかる。バスは約6時間半かけて新宮まで走っており、日本最長の路線バスということだ。乗客は少なく、一番前の席に座った私に運転手さんが話かけてくれた。運転手さんはこの辺りのことにとても詳しくて、街道のこと、沿道のこと等々色々なことを教えていただいた。

 バスに乗っている時間が長いため、途中で二回トイレ休憩があり、その二回目の休憩場所が「谷瀬のつり橋」のところだった。これは昭和29年に800余万円を投じて架設されたもので、長さ297.7m、水面からの高さ54mで生活用(村道)のつり橋としては日本一といわれているということだ。谷瀬の人々はこの橋が出来るまで、川に丸木橋を架けて往来していたが、洪水の度に流されるので、一戸辺り20万円という当時としては大変な出費に耐え、村の協力を得て完成させたという。「危険ですから一度に20人以上は渡れません」という標識が出ていた。歩いてみるとかなりの高さがあってしかも揺れるので、高所恐怖症の傾向がある私にとっては余り気持のいいものではない。対岸の小学生もこの橋を渡って通学しているということだ。
谷瀬つり橋1谷瀬つり橋2

 今日の宿は前回と同じ平谷荘。宿に一旦入った後、近辺を散策する。前回はこの宿に入るため、昴の郷を右手に見ながら直進してトンネルを通ってきたが、本来の小辺路は昴の郷から右へ分岐して、もう一つのトンネルを抜けて柳本橋というつり橋を渡って果無峠の登山道へ進むので、その道を進んでみた。この柳本橋は長さ90m、水面からの高さは10mあるという。このあたりはこのようにつり橋が多い。
柳本橋
 更に街道を外れて柳本橋から右へ川沿いに進んで暫く行くと、「野猿のつり橋」がある。これはワイヤーロープに一人用の屋形を取り付けたもので、乗った人間が自ら綱を引っ張りながら川を渡って行く、正に人力ロープウエイだ。この屋形は釣り橋が架けられるまでは村内各地で利用されていたという。猿が綱渡りをしているように見えることから、野猿という名前がついたそうで、私もやってみたかったが、先客がおられて交互に乗って楽しんでおり、かなり時間がかかりそうだったので、乗ることはあきらめて引き返した。女将さんに後で聞くと、川の真ん中辺りまで行くと、ロープが下がってくるので、引っ張る力をかなり必要とするそうだ。ここで遊んでいたグループは岸にいる方々がロープを引っ張ってサポートしていた。
野猿1野猿2

 宿の泊り客は今回も私一人だったが、翌日からGW中は満室ということだった。また一昨日は台風並の荒れた天気だったそうだが、今日は天気も良くてちょうどいいタイミングだった。

 28日、6時20分に平谷荘を出発、果無峠登山口に6時30分に到着する。 天気はいいが、かなり冷え込んでいて肌寒い。今朝の最低気温は4℃ということだった。ここから最初は階段になっている道を登り、その先で道は石畳になっている。ここには道作りの勧進所が二ヶ所設けられていて、通行人から通行税を募って石畳の整備にあてたという。
果無峠登山口果無峠登山口2

 九十九折の急坂を登っていくと左手の視界が開けて眼下に十津川温泉の集落が見える。
十津川温泉の集落
 その先に果無集落があり、世界遺産の石碑が立っていた。ここは「天空の郷」と呼ばれている昔ながらの日本の生活風景が残っていて、にほんの里100選に選ばれている。
果無集落果無集落2

 果無の集落を抜けて坂を登っていくと石仏が立っている。これは西国三十三観音の三十番「近江国竹生島、宝厳寺」の石仏で、ここから先、八木尾までの間に西国三十三観音のお寺の名前を刻んだ石仏が並んでいる。この石仏は大正11年に設置されており、設置するときには夫々のお寺の土をその石仏が設置されるところに持ってきて埋め、その上に石仏を安置したということを昨日のバスの運転手さんから教えていただいた。
三十番
 その先右手に「漆山道輝禅定門」と刻まれた文政4年(1821)の墓石が立っている。
漆山道輝禅定門
 一旦舗装された道に合流するが、すぐに左へ登る。ここにも「小辺路 (果無峠)登山口」の大きな標識が立っている。
(果無峠)登山口
 登り道が続くので、歩き始めたころの肌寒さは吹っ飛んでしまって、汗びっしょりになりながら坂を登っていくと平坦になっているところがある。これが「天水田跡」というところで、この先にあった「山口茶屋」の住人が雨水だけを頼りにして稲作を行っていたという水田の跡で数枚の田んぼがあり、水は極めて効率的に使われていたという。
天水田跡
 鶯のかわいい鳴き声を聞きながら、更に坂を登っていくと「山口茶屋跡」がある。ここの東西には石垣が残っており、東側には屋敷林の杉の巨木が数本あり、これは防風林だったと考えられているという。
山口茶屋跡
 「果無観音堂」がある。堂内には中央に石造丸彫聖観世音菩薩坐像、左に舟形光背石造半肉彫り十一面千手観世音菩薩坐像、右が火焔光背を持つ石造肉厚彫不動明王坐像が祀られている。この付近には通行の安全を祈願したものか、古くから観世音菩薩が祀られていたという。
果無観音堂1果無観音堂2

 十九番観音のところで一気に眺望が開ける。眼下に十津川温泉が見える。十津川の岸に沿って集落があるが、そこ以外は山また山の世界だ。
19番観音
 8時37分に果無峠の頂上に着く。ただ頂上といっても、山頂ではなく、、標高1114メートルの果無山脈の尾根を古道が横切る小平坦地になっており、ここに十七番観音と、その横に破損した宝篋印塔が立っている。
果無峠
 ここから道は下り坂になるが、急坂ではなくて比較的下りやすい道だ。暫く下っていくと平坦なところに出る。ここが「花折茶屋跡」のようだ。熊野古道はどの場所も丁寧な案内板が立っているのだが、ここには珍しく案内板がないが、すぐ先に十五番観音があり、これが目印だ。
花折茶屋跡
 「二十丁石」が道端に転がっている。正に転がっているという感じなので、危うく見落としそうだった。
二十丁石
 左手に大きな岩があり、その前に「誕生石」の看板が立っている。どれが誕生石なのかなと思ってみていると、岩の前に小さな地蔵尊が安置されているのに気がついた。ただ誕生石が何を意味しているのか、そしてこの地蔵尊との関係はなんなのかはわからなかった。
誕生石
 坂を下っていくと眺望が開けて本宮町を眼下に望むことができる。小辺路踏破ももう少しだ。
本宮町
 9時43分に「七色分岐」に着く。ここは奈良県と和歌山県の県境で資料をみると案内板が立っているようになっている。周囲を見ながら歩いていったが、案内板が見当たらない。見落としたかな?と思ってもう一度分岐するところまでもどってみると、古びて文字が読めなくなった看板のようなものが置かれていたので、あれが案内板だったのかもしれない。ここで道は二股に分かれているので、右へ進む。
七色分岐
 すぐ先左手に幹がグニャと曲がった木が立っている。このような幹の木はあまり見たことがない。
幹がグニャ
 新緑がきれいな坂道を下っていく。歩くにはいい季節だ。
新緑がきれいな
 右手、ちょっと分かり難いが、道の上に六番の観音が立っており、そのすぐ先に「七色領」とのみ刻まれた境界石柱が立っている。
七色領
 このあたりは猪が多いようで、いたるところで地面を掘り返している。
 二人連れの若者が坂を登ってきた。山を登り始めて初めて会う人だ。これから果無峠を越えると言っていた。山を下ったところに八木尾まで0.3kmの標識が立っており、ここから民家の横を通って山道を下っていく。
八木尾まで0.3km
 10時30分に八木尾のバス停に到着する。果無峠の登山口から丁度4時間が経過している。
 ここから熊野川に沿った168号線を進んでいく。後ろを振り返ると今越えてきた果無峠が見える。
八木尾のバス停
 国道はきれいに舗装されているので歩きやすいが、面白味はないので、黙々と歩いていく。
 「道の駅奥熊野古道ほんぐう」がある。前回は腰痛のため十津川からここまでバスで来て、ここで乗り換えて熊野本宮大社までいったのだ。今日は腰痛はまだ完全ではないものの、無事にここまで歩いてくることが出来た。
 平岩口のバス停から道は二股に分かれているので、168号線から分岐して右へ進んでいく。この分岐点の右手に「庚申堂」がある。
庚申堂
 そのまま舗装道を進んで行き、標識が立っているので、それに従って左へ分岐して山道を少し上ると「三軒茶屋跡」に出る。ここに11時13分に到着する。前回中辺路を歩いたときにはなかったが、オバサンが商品を並べて販売をしていた。GWなので観光客を目当てにしてのことなのだろう。
三軒茶屋跡
 ここから先は既に中辺路を歩いた際に通っていたのだが、最終の美を飾るべく、熊野本宮大社までもう一度歩いていくことにする。
 11時46分に熊野本宮大社へ到着する。これで無事小辺路を歩き終えた。
熊野本宮大社
 思いがけない腰痛で一度は果無峠を越えることをあきらめようかと思ったが、幸い腰痛もひどいものではなくて大分回復をしたので、何とか無事に歩き終えることが出来た。この達成感は踏破したからこそ味わえるものなので、歩き終えることができてよかった。

 本日の歩行時間   5時間16分。
 本日の歩数&距離 24545歩、15.7km。

熊野古道・小辺路総合計
 総歩行時間  24時間47分。
 総歩数    93423歩。
 総歩行距離  69km。

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