伊勢本街道を歩く

2020年01月13日(月) ~2020年01月16日(木)
総歩数:139301歩 総距離:87.2km

2020年01月13日(月)

榛原~高井

                 晴れ

 大和から伊勢神宮に至る道は、伊賀の青越を経由する「初瀬街道・上街道」と、南大和から高見越する「伊勢南街道・下街道」があり、更に今回歩いた赤羽根を越える「伊勢本街道・中街道」の三本があった。伊勢本街道は飛鳥・藤原時代には大和と伊勢神宮を結ぶ重要な道であったが、奈良時代には初瀬街道が利用されて一時衰退した。しかし南北朝以後、伊勢国司北畠氏が現在の多気に館を構えて多くの武士団が居住し、初期城下町を形成すると、その城下を通る伊勢本街道が再び重要視されるようになり、伊勢参宮者の増大にともなって多くの人々が行き交う、三街道の中では最も利用された街道になったという。この街道は大和から伊勢への最短コースにあたるが、一方でけわしい山道が多く、旅人に恐れられた道だっという。

 参考資料は奈良県「歴史の道調査報告書Ⅰ」、三重県「歴史の道調査報告書」、玉造稲荷神社の「伊勢参宮本街道行程図」「みえの歴史街道ウォーキングマップ」を参考にした。

 榛原の初瀬街道との分岐点に「右 いせ本かい道」「左 あをこえみち」と刻まれた文政11年(1828)の道標が立っており、その横に榛原町道路元標、更に右手に「あぶらや」がある。初瀬街道はここから左折するのだが、伊勢本街道はここを直進する。
13時59分にここを出発する。
波瀬分岐
 すぐ先左手に文政11年(1828)の常夜燈が立っている。
文政11年
 近鉄大阪線のガード下を通るが、ここの壁に昭和20年7月の榛原空襲の際の弾痕跡が残っている。県内では最大の死傷者を出す空襲だったという。
空襲跡
 その先左手に「登録古民家 池田家住宅」があり、「伊勢本街道保存会事務局」の看板がかかっている。
池田家
 宇陀川に突き当たるので、右折、その先の橋を渡ると、正面に「墨坂神社」がある。ここは現在の神社は文安6年(1449)に遷座されたもので、本殿は元治元年(1864)に造営されたという。ここから左折して川沿いに進む。
墨染神社
 右手に「不動堂寺」がある。ここには室町時代の作といわれる木彫りの不動明王と宝暦12年(1762)の石像不動明王があり、その両脇には木彫りの千体仏が祀られており、小さな仏像が左右にびっしり並んでいる。
不動堂寺
 右手に「弘法大師の岩清水」があり、数人の人が水を汲んでいた。
石清水1石清水2

 その先で右へ分岐するが、すぐ先で369号線に合流する。
 檜牧バス停のところで道は二又に分かれているので、右へ進むと、すぐ先左手に資料によると「右 いせみち」「左 やまみち」「奉供養巡礼同行十二人」と刻まれた寛文4年(1664)の道標が立っている。これは県下では最も古い道標という。
県下最古道標
 右手に大木に挟まれるような形で「山神」がある。 その横から真光寺の白い塀が続いている。
真光寺
 右手に「御井神社」があり、入り口に弘化3年(1846)の常夜燈が立っている。ここの裏山にツルマンリョウが自生しており、我が国の北限地として知られていて、天然記念物に指定されているということで、神社の裏山に入ってみた。
 標識があって、左手に自生していたが、想像していたよりも少なかったし、上へ道が続いていたので、更に山を登ってみたが、結局最初に見た所しかなかった。
御井神社1御井神社2

 今日は九州を始発で出ても、山粕峠を越えるのは日没時間が早いこの時期ではギリギリになるかもしれないと思い、大事をとってとりあえずアクセスがある高井まで歩くことにした。高井のバスの時間まで余裕があるので、かなりゆっくりしたスケジュールで歩いた。高井を過ぎると山粕峠を下ってくるまでアクセスがないのだ。 
 369号線を進むと、右手に資料によると「新四国十二番はしゅうじ道」「榊原周鉄造正之」と刻まれた文政6年(1823)の道標が立っている。新四国とは宇陀郡下の観音像を本尊とする真言系寺院で行われていた観音巡礼三十三か所を示している。
文政6年新四国
 右手に「不動摩崖仏」がある。巨岩に刻んだ摩崖仏で空海の「大師爪書の不動尊」と伝えられているそうだが、表面は摩耗していてよくわからない。その横に不動尊を祀る不動堂がある。
摩崖仏2摩崖仏1

 そのすぐ先で369号線から右へ分岐して進むが、その入口に「右 いせ本街道」と刻まれたまだ新しい道標がある。
分岐1分岐2

 民家の庭先のようなところを進んでいくと、山道に入っていく。「おいせまいり」と赤字で書かれた伊勢本街道保存会の札が下がっている。この札はこれから先も随所に掛かっていて貴重な道しるべになった。
庭先おいせまいり

 山道を抜けて369号線に合流して進むと、道は二又に分かれていて、左手に進み、高井の集落に入っていく。
高井集落
 左手に3体の地蔵尊を安置する地蔵堂がある。
3体の地蔵尊
 15時41分に高井のバス停に着く。ここに資料によると「大和茶発祥伝承地」「摩尼山仏隆寺 従是二粁」という昭和51年の道標と「左 室生山道」と刻まれた大正4年の道標、更に「右 いせみち 左 室生山女人高野 是ヨリ・・」と刻まれた寛政12年(1800)の3基の道標が立っている。この「右 いせみち」は方向が全く逆を示していて、街道はここから左折して進むため、他の場所にあったものをここに移設したと思われるということだ。
高井道標
 今日はここから榛原へ引き返し、宿のある大和八木まで引き返した。翌日お世話になった宿の方にお聞きすると榛原にも宿はあったそうだが、わからなかったので、大和八木まで戻った次第。ちなみに平日の高井から榛原駅行のバスは一日に3本しかない。この街道はこれから先もそうだったが、とにかくアクセスが悪いところだった。

 本日の歩行時間   1時間42分。
 本日の歩数&距離 8866歩、5.2km。
 本日の純距離    4.5km。(途中、道を間違えず、寄り道をしないで街道だけを歩いた距離)

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