伊勢本街道を歩く

2020年01月13日(月) ~2020年01月16日(木)
総歩数:139301歩 総距離:87.2km

2020年01月14日(火)

高井~御杖

                      曇一時雪

 高井のバス停に着き、8時10分に歩き始める。榛原駅からここまで乗客は私一人だけだった。
 道標が立っているので、ここを左折して進むと、道は二又に分かれており、右へ直進して赤埴川に架かる頭矢橋を渡るが、橋の左手横に「右 室生山道」と刻まれた指差し道標があり、橋の手前、右手には慶応2年(1866)の常夜燈が立っている。
頭矢橋慶応2年常夜燈

 その先右手に「右 いせ本街道」「左 仏隆寺」と刻まれたまだ新しい道標があり、そのすぐ先で道は二又に分かれているので、右へ坂道を上っていく。
新しい道標1二又道1

 「おいせまいり」と赤字で書かれた伊勢本街道保存会の標識がここにも下がっている。
おいせまいり1
 左手に資料によると「右 伊勢道」「左 室生山 弘法大師 是ヨリ五十丁余」と刻まれた天明元年(1781)の道標がある。半分に折れていて、修復されている。
天明元年道標
 坂道と平坦な道を交互に繰り返しながら進んでいくと、二又に分かれているところがあるので、右へ階段を下っていく。
階段下る1
 左手に「千本杉」がある。これは十六本の杉が成長過程で融合癒着したもので、根回りは35mを越えるといい、天然記念物に指定されている。8時27分にここを通る。
千年杉
 その横に井戸があるが、このような高所にある井戸ということから、高井という地名のゆかりともなったものという。かってはこの道を通る参宮客の喉を潤したのだろう。傍の岩をたたくとカンカンと音がしたことから「カンカン石」と呼ばれているということなのでたたいてみたが、???
井戸1
 すぐ先で車道に合流し左折、その先で十字路があるが、ここを直進して進むと、右手に赤埴甲区集会所があり、その先に「右 いせみち」と刻まれた享保7年(1722)の自然石の道標が立っているので、ここを右折して進む。ここが津越辻と呼ばれているところだ。
津越辻
 すぐ先右手に地蔵堂があり、石仏が3体祀られている。
石仏3体1
 その先のT字路を右折して進んで行く。木漏れ日の中、気持ちのいい道だ。
 途中、右へ分岐する道があるが、直進すると、左手廃屋の横に資料によると「はせよりこれへ三里 回国供養 菅野村行悦 是ゟ宮川江十八里」と刻まれた道標が立っている。徳川吉宗の時代、菅野村(現御杖村)出身の行脚僧行悦が各地を供養して回り、多くの「廻国供養碑」を残したといわれ、この碑もその一基という。行悦の碑はこれから先も見かけた。
宮川江十八里
 その先で道は二又に分かれているが、標識に従って右へ進む。気持ちのいい道が続いている。
気持ちのいい道
 左手に「諸木野関所跡」碑が立っている。伊勢本街道は数多くの関所が設けられており、諸木野関は室町時代の長禄2年(1458)に興福寺大乗院によって設けられ、この関所の代官は興福寺の僧侶が務めていたという。室町時代後半には廃止されたと説明されている。9時4分にここを通る。
諸木野関所跡
 集落に入ると道は二又に分かれているので、標識に従って左へ進む。
左へ分岐1
 北海道の名付け親 松浦武四郎がここを通ったという標識が立っている。江戸末期から明治にかけての探検家で現在の三重県松阪市に生まれたという。
 その先、集落の中で道を間違ったようで、しばらくウロウロしてしまったが、愛宕神社の前に出ることによって、ようやく街道に戻ることができた。街道はこれまで歩いてきた道を直進すればよかったのだが、標識を見て、左折し集落の中に入り込んだことが原因だった。
愛宕神社
 神社のところから道は二又に分かれているので、左へ進むと、左手に石仏と山神がある。
愛宕神社分岐石仏と山神1

 その先でも道は二又に分かれているので、左へ進んで行くと、左手に「不動明」と刻まれたまだ新しい碑が立っている。
不動明分岐不動明

 右手に資料によると「右 伊せみち 南無阿弥陀仏 左 うたみち」と刻まれた貞享3年(1686)の道標が立っている。大和ではかなり古い道標に属するという。
貞享3年
 その先で二又を左へ進み、更にその先で三郎岳への登山口が左へ分岐しているが、直進する。
石割峠分岐1石割峠分岐2

 ここから石割峠を登る。石割峠は伊勢本街道の最初の難所と言われたところで、峠の名前は三郎岳と南の通称石割岳との鞍部の石を割って開いたとも、冬季の冷えこみで岩にしみ込んだ水が凍って岩を割ったことからきたともいわれているという。標高は695mで街道中一番の高所なのだが、眺望は全くない。10時5分に峠に着く。
石割峠1石割峠2

 ここから道は下り坂になる。道が二又に分かれているところのすぐ手前右手に「右 いせ 左 原山 道」と刻まれた宝暦3年(1753)の道標が立っている。ここは右へ坂を下る。
宝暦3年1宝暦3年2

 山を抜けると舗装道に出るので、ここを右折して進む。10時21分にここを通る。
山を抜ける
 右手に「姫隠岩」がある。これは仁徳天皇の5人目の妻になるように求婚された女鳥王(雌鳥王女)が、求婚の使者としてやってきた速総別王(隼別皇子)と恋に落ちてしまった。そのため天皇の求婚を断ったうえに、速総別王に謀反をけしかけるような歌を詠んだことで、天皇の怒りを買い追われる身になってしまった。二人は桜井の音羽山を越えて宇陀に入り伊勢へと抜けようとしたが、曽爾で追いつかれて殺されてしまった。この逃避行の際、速総別王が女鳥王をこの岩陰に隠して追手から逃れたという伝説が残る岩という。
姫隠岩
 上田口の集落に入っていくが、ここは興福寺大乗院の荘園だったという。右手に「オトバヤの滝」があり、きれいな水が流れている。三重県の川は清流が多い。
オトバヤの滝 
 左手に「廻国供養碑」がある。これも先ほどあった行悦が残した碑の一つだ。
廻国供養塔1
 その先で右折すると専明寺に突き当たる。街道はこのお寺の境内を通っている。
専明寺
 左手に「北海道の名付け親 松浦武四郎 嘉永6年10月26日宿泊 布袋屋跡」の標識が立っている。
 その先で28号線に合流して進み、二又に分かれているところを左へ進む。右の道は工事中で通行止めになっていたが、左の道は進むことができたのでよかった。
二間ら工事中
 右手に「右 いせ道」と刻まれた道標が立っている。
右手 右いせ道
 道は二又に分かれているので、右へ直進して山粕峠へ向かう。11時35分にここを通る。
二又山粕峠
 山粕峠には11時58分に到着する。ここは標高650mだ。
山粕峠
 ここから先で「路肩が崩落しているので、仮橋を設置しています。ロープを使って慎重に渡ってください」という注意書きが立っており、確かに崩落している箇所もあったが、それなりに補修されていてさほど危険を感じることはなかった。
砂防ダムがあり、これを下るとT字路に出るので左折、すぐ先で二又に分かれているので、右へ階段を下っていく。
二又階段下る1
 左手に「細田神社」の看板が立っており、奥に大岩がある。その横に「佐田神氏跡」の説明板が立っていて、「しめ縄がかけられた岩の奥に空海が修行中に刻んだとされる不動明王の梵字が祀られており、このことからこの付近を「不動坂」「不動峠」と呼んでいる」と書かれている。
細田神社
 山粕峠を抜けて12時18分に369号線に一旦合流し、すぐに左へ分岐する。高井から4時間8分かかっている。更に橋を渡って369号線に合流すると、「めだか街道」の看板が立っている。山粕宿では1軒1種類のメダカ飼育が始まり、今では街道として10軒まで広がって来たことから「めだか街道」と呼ばれているという。平成21年「NHK鶴瓶の家族に乾杯」で取り上げられ一躍脚光を浴び有名になったという。
めだか街道
 道は二又に分かれているので左へ進むが、ここに「元伊勢街道 旧宿問屋敷之跡」碑が立っている。
旧宿問屋敷
 「めだか街道入口」の看板が立っている橋を渡ると、「山粕宿」の案内板が立っており、ここに標識があって、「←伊勢本街道 →」と矢印があったため、ここを右折して川沿いを進んでいく。
山粕宿説明版
 左手に「登録古民家 西田家住宅」があり、その前に山粕郵便局があって、「室生村道路元標」が立っている。
西田家郵便局

 ただ、事前調査では、街道はこの郵便局の前の道ではなくて、もう一筋奥の道のはずだが、と思って後もどって先ほどの標識のところまで来た。標識は確かに今歩いてきた道を示しているようだが、標識に向かって左手に道があり、その道が私が調べた道のようなので、そちらを進んで行くと、春日神社の前に出た。これが私が調べた道だったので、そのまま進むことにする。春日神社は山粕の氏神で開基は不明だが、明和7年(1770)の山粕の集落の火災で類焼したという。境内には樹齢300年という夫婦イチョウがある。ここで出発時に榛原駅で買ったおにぎりの昼食にする。12時58分にここを通る。
春日神社1
 その先で369号線に合流した先、右手に公衆トイレがあり、その裏に鞍取峠に向かう旧道がある。
公衆トイレ鞍取峠1

 「鞍取峠」の由来は垂仁天皇の時代に倭姫命が八咫鏡を奉じて伊勢に向かう途中、この峠で馬の鞍が強風に飛ばされたことから「鞍取坂」から変化したという。またあまりに急坂なので、馬の鞍が取れたからとも、蘇我馬子が馬の鞍を外して一休みしたことから名づけられたともいわれているという。13時30分に峠の頂上に着く。標高590mだ。
鞍取峠頂上
 少し下っていくと、T字路があり、「ようこそ みつえ 伊勢本街道」と書かれた道標が立っている。御杖村はこのように手書きの道しるべが数多く立っていて、歩くうえでとても助かった。頑丈で立派な道標もいいが、このような手作り感満載の道しるべもとてもいいものだ。
ようこそみつえ
 この先急坂を下ったり、平坦になったりを繰り返しながら下っていく。急坂のところは舗装されており、平坦なところは土道になっているが、道はわかりやすく迷うことはなかった。ただ鞍取峠はアップダウンがかなり激しい道だった。
 左手に「浄空欣了法師」と刻まれた宝永8年(1711)の石塔が立っている。
浄空欣了法師
 左手に「白鬚稲荷神社」がある。
白鬚稲荷
 桃俣町屋のバス停があるところから橋を渡ってT字路を左折すると、道は二又に分かれているので右へ進む。
 一旦369号線に合流、その先で道は二又に分かれているので、369号線から左へ分岐して青蓮寺川を渡る。
 右手にまつや旅館があるが、現在は営業はやっていないようだ。
 左手に桃俣の鎮守「春日神社」がある。ここの開基は不明だが、永禄年間(1558~70)に兵火を被ったという。境内に大イチョウが立っている。この木は普通の葉に混ざって筒状になった葉がついている珍しいイチョウで「ラッパイチョウ」と呼ばれているという。14時23分にここを通る。
春日神社2
 「ようこそ 御杖土屋原宿へ」という案内板が立っている。
 左手に「白藤稲荷神社」の鳥居が立っているのを見ながら進むと、道は二又に分かれており、その右手に資料によると「南かばた 世話人藤助」「左 いせ」「右 はせ」と刻まれた道標がある。
南かばた 道標
 369号線に合流して進むと、左手木立の中に小祠がある。これが資料にある大山祇命を祀る祠かな?と思った。
大山祇命
 その先で369号線から左へ分岐して桜峠へ向かう。右手に牛舎があり牛が二頭いて、こちらの方を見ている。手を振り、口笛を吹くとじっと見つめてきて、一頭は牛舎からのそりと出て近づいてきた。かなり大きい牛だ。街道はこの牛舎のすぐ先を右折して桜峠を登る。
 牛舎を通り過ぎて振り返ると、牛がまだこちらを見ていたので、再度口笛を吹いて、手を振ると、「何奴だ?」という感じでじっとこちらを見続けていた。
牛舎
 桜峠は標高565mということだが、もともと標高の高い地域を歩いているので、すぐに越えることができて楽だった。ここにも「伊勢本街道 みつえ」と書かれた手作りの道しるべがあった。
桜峠
 峠を越えると右手にドーム型をした御杖小学校があり、その校庭の周囲をぐるっと回るようにして369号線に合流する。
 その先で一旦369号線から左へ分岐するが、すぐに合流、更にその先で左へ再び分岐して進む。
 その先でT字路に出るので右折して進むと、駒繋橋に出る。かってこの橋の袂にあった杉に倭姫命が伊勢への途中、馬をつないだことから駒繋橋と呼ばれるようになったという伝承があるそうだ。この橋の袂に「左 いせみち」「右 はせみち」と刻まれた道標とその横に天保3年(1832)の太神宮と刻まれた常夜燈が立っている。
駒繋橋
 ここを左折して進むが、この辺りは菅野宿で、多くの家には行灯のようなものが置かれていたり、軒先に下がっていた。
行灯
 左手に平田家がある。資料によると、このお宅の庭に「宮川へ十五里」「右 いせ」「左 はせ」と刻まれた道標ともう一つ伊勢湾台風の際、流れ着いたという「左 いが道」という道標の二つが保存されているとなっていたが、わからなかった。
平田家
 ここから右折して進むと右手に宝暦3年(1753)に村内の各社を合祀したという「四社神社」がある。ここは天神大神をはじめとする四柱が祀られており、かつて伊勢街道を通る旅人は必ずここにお参りしたという。境内には資料によると「弘治2年(1556)丙辰十月六日 長行」と刻まれた石柱と立石があり、その隣には倭姫命が伊勢に向かう途中でこの井戸で手を洗い、スガスガしい気分になられたことから菅野の地名起源になったという「手洗い井戸」がある。
四柱神社
 更に菊の花に似た模様が三つ浮かび出ている「菊花石」が右手にあり、天然記念物と表示されている。その横に「ボケ封じをするため、石の頭を三度撫でて拝むとよい」と書かれた岩があるので、ボケたくないという思いが強い私はしっかり頭を三度撫でて、どうかボケませんようにと一生懸命お祈りをした。ご利益があればいいのだが。。。。
菊花石
 今日の宿である「古民家民宿 おもや」はすぐ先にあった。ここは築200年という古い歴史のあるお宅で、大きな梁が目につく立派な建物だ。「おもや」という名前は「主屋・母屋」からとったということだった。
おもや
 ご主人が私が四社神社を参っている姿を偶然ご覧になって、玄関まで出迎えていただいた。15時55分に到着する。
 到着して翌日のスケジュールの話になり、出来れば櫃坂峠迄行きたいのだが、宿をとっている美杉まで戻ってくるアクセスがないと言うと、ご主人が迎えに行ってあげようということになった。とてもありがたいことなのだが、その次の朝はご主人に予定が入っているので、美杉から櫃坂峠までは送ることができないとのことだったので、翌日美杉の宿に一旦入って、そこの方に翌朝櫃坂峠まで送っていただくことができるかどうか確認をして、明日おもやのご主人に櫃坂峠まで迎えに来ていただくかどうかを判断させていただくことにした。
 ご主人は司馬遼太郎のフアンとのこと。私も司馬遼太郎のことは大好きで、色々な著作を読んだことをお話する。
 宿帳に名前を記入していると奥さんが「アラ!」と大きな声を出された。どうしたのかと思っていると、奥さんの旧姓と私の名前が同じだといわれる。私の名前の文字は確かに少なくて、これまでの人生で同級生が一人いただけなので、私も驚いてしまい、一気に親近感が涌いてしまった。
 夜はご主人が車で「お亀の湯」という温泉に連れていってくれ、そこでついでに夕食まで済ましてしまった。後で思ったのだが、とても感じのいいお二人だったので、食事はこのお宅でお話をしながら食べたかったと強く思った次第。
 汚れた服やシャツは奥さんが洗濯までしてくれた。
 さて、寝ようと思って布団に入ると、何とそこには湯たんぽが! 何とも懐かしい!本当に久しぶりの湯たんぽを使わせていただき、熟睡することができた。この宿は本当にいい宿だったと心から思った。

 本日の歩行時間   7時間45分。
 本日の歩数&距離 37744歩、23.2km。
 本日の純距離    22.3km。(途中、道を間違えず、寄り道をしないで街道だけを歩いた距離)

旅の地図

記録

プロフィール

かっちゃん
歩人
かっちゃん