阿波街道(志度道)を歩く

2021年12月21日(火) ~2021年12月25日(土)
総歩数:119190歩 総距離:78.3km

2021年12月23日(木)

板野~丹生

                               晴れ
板野から7時20分に歩き始める。
JRの線路に接するところに明治8年の大坂越開通記念碑が立っており、資料によると「右 大坂越 大坂越石標碑陰記」と刻まれた石碑と「三番金泉寺五丁」と刻まれた石碑、更に「左さぬき古とひら奥院はし久ら道」「すぐちかみち箸蔵山ヨリ琴平山マデ四里 大日寺エ一里」と刻まれた明治22年の石碑が並んでいる。
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街道は線路を渡らずに進むと、左手に大坂関柱老人憩いの家があり、その前に「萬霊」と刻まれた宝暦5年(1755)、「地蔵御宝前」と刻まれた宝暦8年(1758)の常夜燈、その横に「界開柱中」と刻まれた宝暦7年(1757)の庚申塔が並んで立っている。この場所は行き倒れた遍路を祀ったところで遍路ヤブと呼ばれたという。
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1号線に合流してしばらく進んでいくと、道は二股に分かれており、ここに「左 へんろみちちかみち」「ちかみちと清水便りや旅の人」と刻まれた大正5年の道標が立っているので、これに従って左へ進む。
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右手に地蔵尊と弘法大師像を安置する祠があり、資料によると、ともに元文3年(1738)と刻まれている。
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このあたり猿が出没している。遠くから見ていると猫かなと思ったが、近づいてみると猿で、それもかなりの数が群れていた。写真に撮りたかったが、動きが早くて撮ることができなかった。
右手に資料によると元禄3年(1690)の庚申塔と「三更照」と刻まれた明治8年の常夜燈が並んで立っている。
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右手に資料によると「左 讃〇 右山〇是ゟ〇へ十三丁 坂元〇十九丁 施主 東谷講中」と刻まれた地蔵道標がある。
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すぐ先でJR西淵踏切を8時55分に渡って進むと、左手に地蔵堂があり、「南無地蔵尊」と刻まれている。
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その先で道はちょっとした十字路になっており、左手少し奥に資料によると明治14年の地神塔とその横に常夜燈と手洗石がある。今回歩いた街道沿いに地神塔を各所で見かけるが、ほかの地ではあまり見かけなかったので調べてみると、東日本では神奈川県に、西日本では岡山県と香川県に多く分布しているという。その他の県と北海道にも存在するが、地神講・社日講が広く分布しているのに対して地神塔の分布は限定的とのこと。「地神」や「堅牢地神」などと刻まれた文字塔と、地神像または地天像の刻まれた刻像塔があり、元禄年間に造立が始まり、文化文政期(1804年-1830年)に広まって明治時代までは多く造立されたが、大正以降は少なくなったという。
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街道はここから右折して進むが、すぐ先左手に讃岐街道の説明板が立っている。それによると、大宝元年(701)までに行われた律令の制度により、五畿七道が設置され、讃岐街道は南海道の一部で、都から淡路を経て、大坂峠を越えて讃岐の国府に通じる官道で、政治街道であった。また源義経が阿波から大坂峠を越えて屋島の平家を攻めたり、四国征伐のため、蜂須賀氏などが讃岐から阿波へ大坂峠を越えた軍事街道でもあった。近世において藩政時代は商人街道や遍路街道でもあったと説明されている。ここから左手山道があったのでこれが古道かと思って登ってみたが、間違ったようで、街道はこれまでの延長線上の舗装された道を進む。大坂峠への道だ。
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右手に常夜燈と「四国のみち」と刻まれた新しい道標が立っている。この辺りが清水庵跡のようだ。資料に清水庵跡とあったので、何らかの標識でもあるのかな?と思っていたのだが、何もそれらしきものはなかった。この道は四国の道と遍路道ともなっていて、標識が随所に立っているのでそれに従って進んでいく。
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右手に「諸人水のみば」と刻まれた手洗石がある。
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県道に出たところに「右 へんろちかみち」と刻まれた大正5年の道標が立っていて、道は二股に分かれているので、右へ分岐する。
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その先で階段を登る。かなり長い階段だ。
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「大坂峠休憩所まで0.2KM」という案内板が立っているところから道は二股に分かれおり、これを右へ下って行くと県境の碑が立っている。徳島県から香川県に入るのだ。10時27分にここを通る。
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左手に明治8年の「不動尊」がある。
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10時55分に大坂峠を抜ける。四国のみちや遍路道の標識が随所にあったので道を確認出来て歩きやすかった。
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右手に「三番 釈迦如来」と刻まれた石仏がある。
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右手に文化14年(1817)の常夜燈が立っている。
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右手に世話人の名前が数多く刻まれた石仏があり、そのすぐ先右手に「右 へん路みち」と刻まれた上部が一部欠けている大正10年の道標がある。
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右手に資料によると「右 〇大坂ごへ 一だん四り半 三たんより うたつこへ一だんへ三り半大麻宮をへて」と刻まれた昭和8年の道標がある。
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11号線に合流して進むと、右手に資料によると「世わ人 松本屋 笠下」と刻まれた文政3年(1820)の常夜燈が立っている。
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馬宿の信号で11号線を横断したところ右手に地蔵堂があり、そのすぐ先、右手に「山王宮」があって、境内に天保13年(1843)の常夜燈が立っている。山王宮は藤原不比等がこの地で真光珠を祀る宝殿を設け、その後不比等の家来だった佐藤氏が宝殿を譲り受け、京都の山王宮を勧請して山王宮としたことが始まりと説明されている。
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左手に地神塔がある。
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左手に江戸時代後期から廻船業を行っていて、明治中期には醤油を製造していたという長崎屋があり、すぐ先右手には同じく醤油を製造していたという山本家がある。
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左手角に「引田町道路元標」が立っているところから左折して進む。
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左手に江戸時代に造られたという仁王様が寺門にある「積善坊」があり、その先右手に石仏がある。
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すぐ先、川に突き当たるところに「大窪寺 金毘羅」「壱百六十五度目為供養願主仲司茂兵衛義教」と刻まれた明治31年の道標が立っている。
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今日の宿はこの近くにある民宿潮風というところだったので、連絡をして立ち寄り、荷物を置いて再度歩き始めることにしたのだが、道を間違えてしまい、大分時間を無駄にしてしまった。
 再度出発して進むと、右手に「六地蔵」と刻まれた天明元年(1781)の石仏1体とその横にもう一体の石仏、さらに石碑が立っている。
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11号線に合流した右手池の端に、資料によると蔓延元年(1860)と刻まれた石仏と不動明王他2体の石仏がある。
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中山踏切でJRの線路を横断して進むと、左手に「森権平愛馬の墓」がある。
天正12年(1584)土佐の長宗我部元親と仙石秀久が戦った時、仙石の武将だった森権平は馬とともに打ち取られたので、人々は愛馬を悼んで墓を立てたという。
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すぐ先右手に「森權平庵」があり、左手に「森権平の墓」がある。権平の墓に祈願すると足や腰に関する病気に対して霊験あらたかといい、權平庵には草鞋が奉納されている。
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左手に池があるところ、右手に「天下泰平 国家安全」と刻まれた安政3年(1857)の鳥居と「右 白登利道」と刻まれた天保11年(1840)の道標が並んで立っている。
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中川に架かる大原橋のところに「金剛能化」と刻まれた文政12年(1829)の地蔵尊がある。
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田高田西の信号で道路を横断して進み、川に突き当たるところ右手に資料によると「引田徳島道 三本松高松道 福栄鵜 多尾道 白鳥神社」と刻まれた昭和4年の道標とその横に藤本捨助衆議院議員碑が立っている。
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左手に「北向き地蔵」がある。病人がお願いをすると願いが叶うといわれている。
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右手に白鳥大神宮の額がかかった鳥居があり、「天下泰平 国家安全」と刻まれている。またその前には「右 あしう道」「左 白鳥みち」と刻まれた天保10年(1840)の道標と安政3年(1857)の常夜燈が立っている。
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左手に5体の仏像を安置する祠がある。資料によると「薬師如来・文政12年(1829)の地蔵菩薩・地蔵菩薩・馬頭観音2体」が安置されている。
またその祠の前に「是ヨリ南 風呂迄三十五丁 是ヨリ西金毘羅道 十三里」と刻まれた元禄14年(1701)の道標が立っている。
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川土手の右側に地蔵尊を祀る地蔵堂がある。
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祠とその横に常夜燈が立っていて、「右 こんぴら」文久2年(1862)と刻まれている。道が二股に分かれているので、右へ進む。
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右手民家の庭に「二十六番 釋王寺  北へ八十丁」と刻まれた道標が立っている。
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十字路右手にまだ新しい祠があり、その中に資料によると「右 やくりや志ま道 左 こんひら道」と刻まれた延享5年(1747)の地蔵立像ともう1体地蔵立像が安置されている。またその横に資料によると「左こんひら道十二り 是より白鳥へ一り半 引田へ三り 津田へ二り 志度へ四り 右やく里道 志度たづらへ十二半 長尾へ三り」と刻まれた嘉永2年(1849)の道標が立っている。祠の中を覗き込んでいると、ご近所の方が来られて、金毘羅参詣道を歩かれているのか?と言われ、この祠は最近車がぶつかって破損したため作り替えたと言われていた。
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この角を右折して進み、JRの踏切まで来たところで、15時53分に歩き終わることにする。
本日の歩行時間   8時間33分。
本日の歩数&距離 43218歩、28.1km。
本日の純距離    25.7km。(途中、道を間違えず、寄り道をしないで街道だけを歩いた距離)

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