阿波街道(志度道)を歩く

2021年12月21日(火) ~2021年12月25日(土)
総歩数:119190歩 総距離:78.3km

2021年12月25日(土)

屋島~高松

                           晴れ
 7時36分に歩き始めると、すぐ先右手少し入ったところに「鞍かけ地蔵尊」を祀る地蔵堂と、その横に寿永4年(1185)阿波の勝浦から大坂峠を越えて、屋島を望むこの地で陣を整えた源義経が鞍をかけて休息したという「鞍かけ松」が立っている。
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新川に架かる新川橋の手前右手に資料によると「やし満 高松四十七才男」「東 徳嶋 西 高松」「右 一之宮」「北 やし満」と刻まれた道標が立っている。
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更にその先春日川に架かる春日川橋の右手にも「右 やしま寺」、資料によると享保3年(1718)と明治31年と刻まれて道標があり、その上にまだ新しい地蔵尊が乗っている。
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橋を渡った右手に祠があり、手前の祠には「ぽっくり地蔵」と書かれた看板が立っているが、その前の石碑には「延命地蔵」と「春日庵(遍明庵)跡」と刻まれている。その横に「流れ灌頂地蔵」がある。流れ灌頂は水の浄化力を借りて、死者の霊を供養するための儀礼で、春日川では六本の卒塔婆を流れる川に立て、水の事故などで亡くなった先亡たちの成仏を祈る法要を執り行ったという。
8時16分にここを通る。
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右手に「浜神社」がある。神社の創建は不明とのことだが、海上交通の安全と集落の発展を祈願して勧請されたものという。鳥居の額には「濱神社 弁財天」と刻まれている。そのすぐ先右手に「子守り地蔵」を祀る地蔵堂がある。
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詰田川に架かる詰田川橋の手前右手に資料によると蔓延元年(1860)の「荒削り地蔵」とその奥に文化11年(1814)の常夜燈が立っている。
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左手に「洲端神社」があり、その横に地神塔が立っている。
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左手に「右 やしま道」と刻まれた道標がある。
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御坊川に架かる千代橋を渡ると、左手に「松島神社」があり、文政6年(1823)の常夜燈が立っている。江戸時代初期寛永年間に創建された神社で「松島の三宝荒神さん」の名で親しまれているという。境内には高松市の名木になっているクスノキの巨木が立っている。
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右手に釈迦堂があり、その先右手に「向良神社」がある。二百年ほど前に向山周慶と関良介の二人が立派な白砂糖を造って高松藩はもちろん讃岐の人々に大変貢献したことから、向山周慶の「向」と関良介の「良」を合わせて、「砂糖の神様 向良神」として御祭したことが最初という。戦災で焼失したが昭和32年に本殿、昭和35年に拝殿が完成したという。
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琴電の今橋踏切の手前左手に「高野山出張所」「右角ヨリ左へ半丁」「左 やしま志と道」と刻まれた文化6年(1809)の道標が立っている。
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その先で右折、さらにその先で左折してアーケード街に入っていくが、左手に「蕐下天満宮」がある。菅原道真が仁和2年(886)に讃岐の国主として赴任した時、この近く上陸し、その後国府丁(現坂出市)に赴いたという。その4年後の寛平2年(890)任を終え京都へ帰る際もこの地を訪れたことから、公の行き先の安泰を願って小祠を建てたのが始まりという。
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その先「やくもはし」の橋げたが残っているところで終点とする。9時38分に到着する。
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本日の歩行時間   2時間2分。
本日の歩数&距離 10655歩、7.1km。
本日の純距離     7.1km。(途中、道を間違えず、寄り道をしないで街道だけを歩いた距離)

讃岐街道総計
 総歩行時間     20時間56分。
 総歩数&総距離  119196歩、78.3km
 純距離        73.6km。(途中、道を間違えず、寄り道をしないで街道だけを歩いた距離)

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