篠栗八十八ヶ所霊場を歩く

2022年01月04日(火) ~2024年03月10日(日)
総歩数:91282歩 総距離:56.2km

2023年12月27日(水)

48番中ノ河内観音堂~2番松ケ瀬地蔵堂

                         晴れ
11時48分に「48番札所 中ノ河内観音堂」を出発すると、すぐ先左手に猿田彦と石碑、昭和25年のへんろ道道標が並んで立っている。
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右手階段を下ったところに「14番札所 二ノ滝寺」がある。本尊は弥勒菩薩。11時57分に着く。ここは二ノ滝があることから名づけられた名前で、篠栗八十八ケ所で唯一本尊に弥勒菩薩を安置している。本堂はミャンマー産のチーク材を使っていて、これは京都の黄檗宗・萬福寺に次いで日本では二つ目のお寺という。
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緩やかな坂道を上っていくと、左手に「24番札所 中ノ河内虚空蔵堂」がある。本尊は虚空蔵菩薩。12時6分に着く。その横に「篠栗四国霊場開祖 藤木藤助翁誕生の地」と刻まれた石碑が立っている。篠栗八十八ケ所は天保6年(1836年)、四国巡拝の帰りに篠栗に立ち寄った尼僧慈忍の呼びかけで、篠栗八十八ヶ所が発願され、慈忍の後を受けた藤木藤助たちによって開創されている。
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その先で橋を渡って進むと、右手に「42番←へんろ道→24番」と記された標識が立っている。この標識は随所に立っていて歩くうえでとても助かった。その左手に階段があるので、これを上っていく。
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山道を登っていくと「42番札所 中ノ河内仏木寺」に12時20分に着く。本尊は大日如来。ここは本四国仏木寺の由来にちなみ、牛馬安全、家畜守護に関する祈願証が納められている。昭和31年に現在地に移ったという。
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眺望が開けていて気持ちがいいし、ちょうど昼になったこともあって、持参した昼食のパンを食べる。
お寺の前の車道を右へ進むと、すぐ先で左へ下る草道があるので、これを下って行く。途中谷川を渡ったり、竹林の中の急坂を上ったり下ったりして進むが、基本的に一本道で、かつ標識が随所にあるので道に迷うことはない。
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12時55分に「30番札所 田ノ浦斐玉堂」に着く。本尊は阿弥陀如来。ここは昭和59年に再建されたが、境内には樹齢百数十年の大銀杏があり「大師ギンナン」と呼ばれている。
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門を出てすぐ左へ行き、民家の間の階段を登っていくと「57番 田ノ浦栄福堂」がある。13時3分に着く。本尊は阿弥陀如来で、祠は守堂者宅の裏山にあるが、栄福堂の守堂者は元々へんろ宿を営んでおられたが、現在は廃業されているという。
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一旦30番札所の入口まで戻って、田ノ浦橋を渡って進むと、右手に「80番札所 田ノ浦観音堂」がある。13時9分に着く。本堂はお堂の奥の岩をくり抜いた岩窟の中に祭祀されていて、本尊の千手観音、左右に地蔵菩薩と大日如来が祭祀され、資料によると台座の大岩には「般若心経・観音経・法華経・仁王経・不動経・錫杖経、馬八頭分、享保寅七年(1722)、平井氏納ム」と刻まれており、この台座は諸経が納められた納経塚であった。その昔、本尊は八頭の馬に引かれ、経典類と一緒に岩窟の台座の下に納められたことから「穴観音」と言われているという。この穴観音は篠栗霊場開創以前の今から三百年近くも昔に創られたものになる。境内には 二本の大杉が立っているが、向かって左が雄杉、右が雌杉で経塚建立の時に植えられたものという。
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すぐ横に「59番札所 田ノ浦薬師堂」がある。本尊は薬師如来。ここに篠栗八十八ケ所創始者・藤木藤助の石像が立っている。この像は当初銅で作られていたが、戦時中に「鋼鉄供出」軍命令で没収されることになったが、田ノ浦の住民が「せめて首だけは・・・」と首から上を密かに保存したという。戦後再建されたが、2005年の福岡県西方沖地震で倒壊したため、2006年に再建されたという。首から上の部分は篠栗町歴史民俗資料室に展示されているという。
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門前の車道を右へ進むと、道は二股に分かれているので、これを右へ進むと、その先右手に切り立った崖があり、「蜜蜂供養塔」と刻まれたまだ新しい石碑とその横に数多くの石仏が並んでいる場所がある。資料に風化が進んでいるが、摩崖仏があると記されていたが、これがそうなのかな?と思ったが、よくわからなかった。
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「53番札所 桐ノ木谷阿弥陀堂」に13時49分に着く。本尊は阿弥陀如来。守堂者は高齢の為引退し、今は1番南蔵院が管理しているという。
22番札所に行くには本堂の右横にある細いへんろ道を進んで行く。
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山道を進んで行くと車道に出るので、右へ行くとすぐ先で左へカーブしていて、その先に赤い階段が見える。この階段を登っていくと、途中に子安観音がある。
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更に登っていくと「55番札所 桐ノ木谷大日堂」がある。14時7分に着く。本尊は篠栗で一体だけの大通智勝如来。大通智勝如来は法華経の中に出てくる仏様で、釈迦に仏法の神髄を教授した師匠に当る如来であり、「偉大な神通力と知識をもつ最高の如来」ともいわれるという。
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55番札所を出て左へ進むと「22番札所 桐ノ木谷薬師堂」に14時14分に着く。本尊は薬師如来。昔、生れながらの盲目の女性が14歳の時に家族に連れられてお参りに来たところ、目が見えるようになったので、霊験に感激した女性はその後も亡くなるまでお礼参りを欠かさなかったという。そして高齢で亡くなる時には自分の位牌を本堂に置いてほしいと遺言したので、今はその子孫がお参りを引き継ぎ、毎年4月と11月に供養の品を持って訪れているという。
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ここから右へ下って行くとT字路があり、その右手に文政10年(1827)に建立された猿田彦がある。この碑は平成の改元の際、この地に移転されたという。ここを左へ下って行く。左手に民家があり、その先で竹林の中のへんろ道を下って行く。
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一旦車道に出て右へ下って行くと、すぐ先で車道から左へ分岐するへんろ道があるので、これを下って行く。ここも竹林の中だ。
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八木山バイバスのガードをくぐって、側溝沿いに階段を下って行くと、「2番札所  松ヶ瀬阿弥陀堂」がある。本尊は阿弥陀如来で、14時48分に着く。ここは平成4年に新築・移転しているが、旧本尊の石仏阿弥陀像は霊場発願者の慈忍尼建立の一つという。
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すぐ横に「56番札所 松ヶ瀬地藏堂」がある。ここも平成23年に移転している。
本尊は金箔塗の延命地蔵菩薩で、旧八幡市の千人詣りの人たちが参拝に訪れて木の足形を預かって帰り、足の立たてない老婆の足に当て拝んだら快癒したので、そのお礼に旧八幡市春野町の植村正一氏が発起人となり、昭和17年に寄進したという。また、耳にも霊験があり、長さ20㎝径3㎝ほどの節に小さな穴のある細竹を預かって帰り、耳元でフッと息を吹きかけたら難聴が治るという。治った人はお礼に同じような竹を作って寄進する。これを繰り返しているという。本尊横に祀られる細長い大石は「山伏塚」といって、昔、山賊に斬り殺された山伏たちを供養する塚で、明治時代の篠栗の札所絵図を見ると国道沿いに建てられたものが56番に安置され祀られている。
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へんろ道はアップダウンがかなり厳しく、膝に爆弾を抱えている身としては厳しかったので今日はここで歩き終わるとする。

本日の歩行時間 3時間
本日の歩数&距離 10120歩、6.1km.

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