篠栗八十八ヶ所霊場を歩く

2022年01月04日(火) ~2024年03月10日(日)
総歩数:91282歩 総距離:56.2km

2024年02月12日(月)

81番二瀬川観音堂~72番田ノ浦拝師堂

                           晴れ
10時33分にJR城戸南蔵院前駅を出発する。
東南アジアからの観光客と思しき人たちも数多く降りてきていた。こんなところまで観光に来ているのだと少し驚いた。南蔵院観光が目的のようだった。
国道201号線に出て右折し、南蔵院を左手に見ながら進むと、県道435号線との三叉路に「81番札所 二瀬川観音堂」がある。10時45分に着く。
資料によると本尊の千手観世音は二度のボヤでお顔が少し黒くなっているとなっていたので、注意をしてみたが、よくわからなかった。お堂は平成11年に再建されたという。
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その先で道は二又に分かれており、へんろ道の案内板があるので、これに従って右へ進む。くねくねとした道を進むが、道はしっかりとしているので、歩きやすい。
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随所にある案内板に従って進んで行き、桜の名所といわれる新吉野公園の中を抜けて行く。右手に大きな石仏があるので、階段を登っていくと、宝山寺があった。
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あとで気が付いたのだが、階段を上る前にそのまま直進したところに「75番札所 紅葉ケ滝薬師堂」がある。私の場合、75番に気が付かず先に宝山寺へ参拝してしまい、もう一度後戻る形で75番を参拝してしまったので、ここでは先に「75番札所 紅葉ケ滝薬師堂」から記載させていただきます。
本尊は薬師如来で薬師堂の横に紅葉ヶ滝がある。郷ノ原川に懸るこの滝は篠栗霊場創設以来の古い滝場で、通夜堂に籠って滝に打たれる信者もおられるという。この札所は、荒田にあったが平成9年に現在地に移遷されたという。
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階段の所に戻って進むが、ここに数多くの地蔵尊が祀られている。
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この階段は「厄落坂」と呼ばれ、右側が男性で四十二段あり、左側は女性で三十三段あると説明されている。
「34番札所 宝山寺」の本尊は薬師如来で、本堂前には山伏修行の場であった「黄金まき岩(かねまきいわ)」があり、毎年10月の第三日曜日には紫燈護摩大祭が厳修されるという。この岩は昔、英彦山への多大な献上金を預かった山伏が盗賊に襲われたときに、この岩の上に乗って「尊き献上金をなんで汝らに奪われてなるものか。南無英彦山大権現、この黄金を受け取り給え」と言って、持っていたお金をばらまいたところ、お金が木の葉の様に英彦山に飛んで行ったことから「黄金まき岩」と呼ばれるようになったという。
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奥にある「瑠璃光殿」を右に見ながら進んで舗装道を横断、階段を上って、もう一度舗装道を横断、左手に聖徳寺を見ながら急坂を道なりに上っていくと、右手に「5番札所 郷ノ原地蔵堂」がある。本尊は地蔵菩薩、11時41分に着く。
郷ノ原地蔵像は平成元年にお堂の火災でご本尊の頭部半分を残して焼失したので、再建の時に新本尊の胎内に旧本尊の頭部を納めたという。
郷ノ原は宝満山・英彦山の修験コースにあたり、禊をする行場でもあったので行の原と言われていたが転じて郷ノ原となった。天保年間(1716~1736)からの過去帳があるという。
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その先左手に「50番札所 郷ノ原薬師堂」がある。本尊は薬師如来。11時46分に着く。お堂の右手に薬師如来の尊影が掲げられており、その膝のところに毛筆で小さい文字がびっしり書き込まれていた。
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すぐ横に「85番札所 祖聖大寺」がある。本尊は聖観世音。縁結びの寺、幸せ開運の願掛け寺として広く知られているという。ここに来る少し手前右手に平成24年に建立されたハートのマークをふんだんに使った愛染堂があって、これが若者に人気のスポットというが、八十八ケ所の雰囲気とは少し異なるように思えたが・・・
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85番を出て左へ進むと、T字路になっており、ここを右へ進むが、山の中の道で、木漏れ日が気持ちがいい。
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「12番札所 千鶴寺」は智恵と福徳を授けてくれる虚空蔵菩薩を本尊としている。12時丁度に着く。本堂の前にはふくろうの置物が置かれているが、ふくろうは本尊と同じように智恵と福徳を授けてくれると言われていることから、置かれているそうだ。
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ここから今上ってきた道を戻って進み、先ほどのT字路を右へ進む。きれいに舗装されているが、人も車も全く通らない静かな道を歩いていくと、人家があり、右手に階段があるのでこれを上ると「88番札所 大久保薬師堂」がある。本尊は薬師如来。12時29分に着く。守堂者は桐生家といい、先祖は奥州の武将伊達(西木戸ともいう)七郎左衛門で、七郎左衛門は京に出て禁裏の守護役人となり、西下する安徳帝を守護して九州に来たが、平家滅亡後は源氏の追補を逃れて篠栗の谷に隠れ住み、伊達姓を変えて母方の桐生姓を名乗ったという。
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ここには薬師如来の元気水という湧水があり、この水で沸かしたお湯とお茶、そしてお菓子がお接待として置かれている。四国を歩いた際、色々なお接待を受けたことを思い出した。
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階段を下りて右へ進むと、すぐ先左手に「58番札所 大久保観音堂」がある。12時32分に着く。本尊は木彫り金箔の千手観音で大正15年仏師小川静雲作の作という。開創時は、58番、88番、12番と合祀されていたという。そのすぐ先左手に下る坂道があるが、この道は6番を打った後、ここまで戻ってきて下った道だ。
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平坦な舗装道を進んで行くが、ここも人家もなければ車も全く通らない道だった。右手に「6番札所 小浦薬師堂」がある。本尊は薬師如来で昭和62年に金箔修理されたという。12時44分に着く。参道の大樹は樹齢180年以上のキンモクセイで町の天然記念物に指定されている。守堂する松尾家は城戸一番の旧家で平家落人の末裔という。
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ここから先に13番札所へ向かうへんろ道があるようだったが、一旦58番札所の少し手前まで戻って山を下ることにする。先ほど下り口を確認した場所だ。
ここからかなり急な坂道を下って行く。道はそれなりに整備されていて、所々に階段が作られていたりして、迷うことはなかった。
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前方に南蔵院が見えるところまで下ってくると、左手に大きな不動明王があり、そこから坂道を上っていくと、不動の滝があって、その横に「45番札所 城戸ノ滝不動堂」がある。本尊は不動明王。13時13分に着く。
篠栗霊場発願者慈忍尼は、四国霊場を参拝後篠栗に立ち寄った際、流行病で苦しんでいるのをみて、この不動の滝に打たれ、疫病退散と村民息災の大願を立てて祈った。村は平和を取り戻し、慈忍尼の誓願に大師が応えてくれたと信じ、八十八ヶ所の創設を発願したという。また滝を囲むようにある大岩群は「平家岩」といい、源氏の追補を逃れてきた平家の落人が潜んでいたところと伝えられている。
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坂を下って戻ってくると13時18分に「1番札所 南蔵院」に着く。本尊は釈迦如来。南蔵院は篠栗四国霊場の総本寺で、高野山真言宗の別格本山でもある。
明治19年、廃仏毀釈のあおりを受け、県令によって霊場廃棄命令が出されたが、地元の人々の嘆願の結果、明治32年9月に高野山より南蔵院を招致することで霊場の存続が認められたという。今日も数多くの海外からの観光客で賑わっていた。
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ここから七福神トンネルを抜けて行くと、「涅槃像」がある。南蔵院では長年にわたりミャンマーやネパールの子供たちに医薬品、ミルク、文房具などを贈り続けてきたため、その返礼として、ミャンマー国仏教会議からお釈迦様、阿難様、目連様の三尊者の仏舎利の贈呈を受けた。この仏舎利をおまつりするために平成7年に釈迦涅槃像が建立されたが、これは全長41m、高さ11m、重さ300トン、ブロンズ製の涅槃像としては世界最大という。また、インド初期仏教では仏像を作ることを恐れ多いとして、お釈迦様の足の裏の相を石に刻み、仏足として礼拝の対象にしていたそうで、この像の仏足にも文様が刻まれていた。
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涅槃像の前に「60番札所 神変寺」がある。本尊は大日如来。もともとは八木山峠の中腹にあって、奥の院に次ぐ難所でもあったが、のち郷ノ原の川沿いに移転、昭和59年(1984)に南蔵院の別院・神変寺として現地に移転したという。寺名の由来は役行者の諡「神変大菩薩」に由来するという。ここは最初気が付かずにトンネルを抜けて戻ってしまったが、その後気が付いて後戻って参拝をした。
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道を下って行くと左手に文殊橋という小さな橋が架かっており、その先に「31番札所 城戸文殊堂」がある。13時43分に着く。本尊は篠栗霊場では唯一の文殊菩薩で、文殊菩薩は釈迦如来の脇侍の菩薩で獅子に乗って現れ、知慧を司り、完全な知恵を備えた菩薩という。
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すぐ先、国道の手前右手に「3番札所 城戸釈迦堂」がある。13時45分に着く。本尊は釈迦如来で、座像で説法をしている姿で、迷いの世界から導く仏である。入口に小さな池があり、亀が並んでいた。ここで一休みして持参したパンを昼食として食べる。
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国道201号線に出て右折して進むと、右手に「13番札所 城戸大日堂」がある。本尊は十一面観世音で天保年間の当初の石仏という。13時59分に着く。
すぐ横に6番札所から下ってきたへんろ道があった。
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13番札所前の201号線を挟んだ反対側に「71番札所 城戸千手観音堂」がある。本尊は千手観音。堂内に白木の手形や足型が積まれ、それに住所・氏名・年齢を記入し、悪い所や痛い所に印を付けその平癒を祈願して奉納する。観音様は手や足のトラブルに霊験があるされており、手足観音と言われるようになったという。
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その先大師橋の手前から右へ入ると「74番札所 城戸薬師堂」がある。本尊は薬師如来。14時11分に着く。薬師堂は、昔から諸病の平癒に霊験あらたかとされ、周辺集落の人は病気になったら医者より先にお薬師様に祈願してご利益を得たという。いつの頃からか「病を奪い取るお薬師様」の意味で「病奪り薬師」とよばれたという。
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大師橋を渡ったすぐ左手に「72番札所 田ノ浦拝師堂」がある。本堂前には「得忍堂」があり、篠栗霊場開祖「藤木藤助翁」の座像が祀られている。藤木藤助は当時、慈忍尼が中断したままの八十八ケ所創設の引き継ぎを決意し、四国各札所の霊砂を持ち帰って、八十八体の本尊石仏を刻んで篠栗新四国霊場の礎を築いた人物だ。
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14時13分に歩き終わる。

本日の歩行時間  3時間40分。
本日の歩数&距離 16000歩、9.3km。
 

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