熊野古道・大辺路を歩く

2010年12月01日(水) ~2011年02月12日(土)
総歩数:168240歩 総距離:123.2km

2010年12月01日(水)

北新町道標~蟻通神社~大潟神社~朝来駅

                     晴れ  
紀伊路を歩き終えたが、まだ時間が早いので次回歩く予定にしている大辺路を少し歩きたいと思った。ただ大辺路の資料をこの段階で入手できていなかったので、とりあえず市役所に行って尋ねてみると、幸い入手することができたので北新町道標まで戻って10時41分に出発する。
北新町道標 
頂いた資料は国交省の「大辺路を歩く」だ。それによると上皇や貴族が平安時代後期から鎌倉時代にかけて盛んに熊野参詣を重ねたのは中辺路を往復してのものであり、大辺路を通ったことを示す記録は見当たらないという。熊野九十九王子といわれるほど多くの王子社がある紀伊路、中辺路に比べて、大辺路にその数が極めて少ないのも、大辺路が当時熊野参道としてよりも生活道としての要素が強かったと思われているという。
道標を正面に見て、左へ進み、二股に分かれているところを右へ進むと、右手に「蟻通神社」がある。昔、外国の使者がやってきて、ほら貝に一本の糸を通すように命じた。これは大変な難問と皆頭を悩ませたが、一人の若い神様が貝の出口に蜜を塗り、腰に糸を結びつけた蟻を放つと、蟻は蜜を求めて穴を通り抜けたので、糸を通すことが出来たという。このことからこの神様を蟻通しの神様といって知恵の神として崇めるようになったという。境内にはイチョウと楠の巨木が立っている。
蟻通神社
 この神社のすぐ先から道は二股に分かれており、街道は左へ進むようだが、まちがって直進してしまった。国交省の地図は詳細な道が描かれていないため間違ってしまったのだ。本来の街道は左斜めへ進み、駅前通りを過ぎた先の右手に若宮神社があって、そこから右折、直進して「闘鶏神社」に至る道のようだ。
私は直進してしまい、若宮神社から来る道と合流した道を歩いた。ただ、地図では分かりやすいように本来の街道を示しています。

 「闘鶏神社」がある。ここは允恭天皇8年(419)に熊野坐神社より勧請し、田辺の宮と称して祀ったのが起源と云われる。武蔵坊弁慶の父といわれる熊野別当湛増が源平の戦いに際し、紅白の鶏を戦わせたところ、白鶏が勝ったので源氏方についたことからこの名前が付いたという。境内には樹齢1200年といわれる大楠が立っている。
闘鶏神社
 神社を出て進むと道は二股に分かれており、これを左へ進み、その先で424号線に合流する。このあたりをつぶり坂と呼ぶようだ。橋谷の信号の手前から左へ分岐し、その先で424号線を横断、さらにその先の名喜里交差点で424号線を再度横断し、名喜里川に沿って進む。右手にある二つ目の橋を渡り、その先で道は二股に分かれているのでこれを右へ進むと左手に「大潟神社」がある。ここは毎年7月14日にお祭りがあり、その前日の「ぎおんさんの夜見世」で有名ということだ。
大潟神社
 ここから先で道をまちがってしまった。神社から下りてきてこれまで歩いてきた道に合流して進んでしまったのだ。田鶴の信号まできて手持ちの資料と道が違っていることに気がついた。それから色々な人に道をお聞きして、一旦42号線を戻り、コンビニがあるところの後ろに道があることが分かった。どうもこの道のようだと思ってそこから引き返して大潟神社まで戻ってみることにすると先ほど歩いた橋のところに出てしまった。この間何人もの人に道を聞いたが、紀伊路では皆さん街道をよくご存知で的確に教えていただくことが出来たのだが、大辺路は誰も知らない。しかも道標が全くないので困ってしまった。とりあえずもう一度大潟神社のところまで戻ってみると、神社の鳥居の前にもう一本道があることに気がついたので、これを進んでいくと、42号線を跨ぐ跨道橋があり、これを渡ると、先ほどのコンビニから上ってきたと思われる道に合流したので、この坂道を上って行く。右手に2体の地蔵尊を安置する小祠がある。これは道分地蔵で「右ハ大へち」「左ハ熊野道」と刻まれているということだが、読み取ることは出来なかった。
道分地蔵
 その先で道は二股に分かれているので、ここは右へ進み、更にその先で再び二股に分かれているので、右へ坂を下る。このあたり地図も良く分からず、案内板もないのでとりあえず42号線に合流することを目指して進んで、その先で合流、左折して進む。あとで詳細な地図をみると、この場所だけが間違っていたようで、「峠の高地蔵」をみることができなかった。とにかく分かり難い場所だった。

 42号線を進んでいくと右手に「糠塚」がある。ここから熊野に向かってぬかづいたとも、このあたりがぬかるんでいたからともいわれているということだ。
糠塚
 そのすぐ横に「庚申さん」と呼ばれる峠毘沙門神社が立っている。
庚申さん
 その先で42号線から左へ分岐して跨線橋を渡り、42号線に併行して進み、13時36分に朝来駅に到着する。本当は紀伊富田駅まで行きたかったのだが、途中で道に迷ってしまったため予想外の時間がかかってしまい、帰りのアクセスの時間を考えるとこれ以上は厳しいと判断してここで帰宅することにする。
紀伊田辺駅まで出て、新大阪まで出る特急まで時間があったので、観光案内所にいってみると、「みんなで歩こう熊野古道 大辺路・小辺路」という手書きのイラスト地図があることを教えていただいたのでこれを購入した。手書きだけに分かりやすいので、今回歩いた道もこれで検証した次第です。次回からはこの資料を使って歩いてみたいと思う。

 本日の歩行時間   2時間55分。
 本日の歩数&距離 15083歩、10.3km。