熊野古道・大辺路を歩く

2010年12月01日(水) ~2011年02月12日(土)
総歩数:168240歩 総距離:123.2km

2011年02月11日(金)

田並~串本~古座~清水峠~紀伊浦神

                       雨

 朝、串本駅から田並まで戻らなければいけないため、電車に乗った。3番ホームの電車だ。すると1番ホームにも電車が入ったので、「この駅ですれ違うのだ」とぼんやり考えながらそのまま電車に乗っていた。やがて電車は出発し、最初の駅に着いた。ここでもまだなんとなくぼんやりして、次で下りなくてはなどと考えていた。ところがホームの駅名を見ると「紀伊姫」となっている。おや、確か次の駅は「紀伊有田」だったよな?
ここでハッと気がついた。なんと反対側の電車に乗ってしまったのだ。次の瞬間ドアは無常にも閉まってしまった。「あらまぁ」と思ったがもうどうすることもできないので、そのまま次の駅まで乗っていった。ところが次の駅までかなりの距離がある。焦っているので余計長く感じるのかもしれないが、とにかくなかなか着かない。ようやく8時10分に古座駅についたので、戻る電車を時刻表で見ると、なんと10時16分までない。この駅は基本的には無人駅のようだが、この時間帯には駅員の方がおられたので、戻る交通機関がないかお聞きすると、なにもないとのこと。これは困った。一瞬このまま先へ進むかとも思ったが、折角ここまで歩いてきて、わずかの期間でも途中を抜かすと画龍点晴を欠くことになるので、とにかく戻ることにした。タクシーもないのかとお聞きすると、タクシーだったら間もなくここに来るだろうという返事だったので、それが帰ってくるまで待つことにする。やがてタクシーが戻ってきたので、田並駅まで戻っていただくようにお願いする。この運転手さんは親切な方で、料金を気にされたのか、串本駅まで行くと田並駅方面へのバスがあるかもしれないと言って、バス停までまず行ってくれた。そこで時刻表を見ると、これも一時間以上ない。仕方がないので、そのままタクシーを乗り継いで田並駅まで行って、8時50分にようやく出発することにした。今日は朝から大失敗だ。

 田並川に架かる新田並橋まで戻り、そこから少し駅よりにある古道の入口の細道を曲がる。橋から来ると右手に理髪店があって、そのすぐ先を右折することになる。集落を抜けるとすぐに山の中になる。ただ道は一応舗装されているので歩きやすい。一旦車道に出て、すぐ先を案内板に従って坂を下る。ここからは土道になるのだが今日は雨が降っていてすべる。石畳もあるが、これも苔が濡れていて滑りやすいので注意をしながら進んでいく。
苔が濡れていて
 この道は田並小学校の生徒さんが手入れをしているのだろうか、自分の名前を書いた板切れが各所に下げられている。これはいい試みだと思う。子供達に熊野古道を伝えるということも文化の継承という面からするととても重要な要素だと思う。四国を歩いたとき、遍路姿の私を見て、子供達が「お疲れ様です」「ご苦労様です」といった言葉を掛けてくれた。彼らも四国遍路ということを理解しているからこそ、こういった言葉が出るのだと思ったことを思い出す。
子供達が
 「境界標柱」が立っており、これには「東 有田浦」「西 田並浦 境」と刻まれている。説明文によるとこのあたりは旧田並村と旧有田村の境界にあたり、境界をめぐって争いが絶えなかったという。そのため境界の標柱は争いの都度、場所が変更されたという。
境界標柱
 木の階段を下っていくと、一旦舗装された道に出て左へ進むと、左手に岩をくりぬいて祠とした「立江地蔵尊」がある。ここから山道を上って行く。
立江地蔵尊
 一旦舗装された林道に出た後、すぐ先を左へ再び山道に入る。山道を抜けるとコンクリートで出来た階段を下り、42号線を横断、左手に赤い社がある前を進み、有田川に架かる有田橋を渡る。その先で再び42号線に合流、その先左手に文政8年(1825)の「徳本上人の六字名号碑」が立っている。この辺りも案内板が立っているのでそれに従って進む。
徳本上人の六字名号
 すぐ先から42号線から分岐して左手へ一旦下り、その先で坂を上るが、そこに「右やまみち」「左 いせみち」と刻まれた「貝岡の道標」が立っている。ここから逢坂峠を越える。
貝岡の道標
 右手に三体の地蔵尊を安置した「北向き地蔵」がある。その先で42号線に合流する。
北向き地蔵
 高濱トンネルの右横に旧道が残っており、「通り穴」がある。弘法大師が杖で一突きしてこの穴を開けたという伝説もあると資料に記されている。
通り穴
 42号線を暫く進み、高富川の手前で左へ少しの間迂回、更にその先、コンビニのあるところから左斜めへ伸びる旧道へ進む。二色川に架かる本郷橋を渡り、その先で42号線に合流するが、その左手に二体の「地蔵尊」があり、
二体の「地蔵尊」があり、
 その先に「ナザール・ボンジュック」と呼ばれる大きな目玉がある。この目玉のお守りは毛髪は毒蛇、見たものを石にするというギリシャ神話にでてくるメドーサの目といわれている。この目は他人の邪な目、悪意をはねつけ、身につけている人を災難から守るといわれており、トルコでは結婚式をはじめ、多くの生活の場面で使われ、愛されていると説明されている。それが何故この場所にあるのかはちょっと不明。
ナザール・ボンジュック
 この先、向袋のバス停の先から道は二つに分かれており、一つは串本の中心街を進み、一方はくじの川に沿ったコースがあるが、私は後者の道を進んだ。バス停の先から左へ進み、JRの高架下を通る。くじの川に架かる汐入橋を渡るが、この道は山間の静かな道で車もほとんど通らない気持のいい道だ。案内板はほとんど立っていないが、ほとんど一本道で間違うような道ではない。
一本道
 くじの川に架かる滝畑橋、硲ノ元橋を渡って進むと、「辻地蔵」がある。二体安置されていて、一体のほうに「右 在所道」「左 若山道」と刻まれている。
辻地蔵
 ここから道は二股に分かれており、左へ進むと姫川道となるが、ここから右へ直進することにする。いずれにしても先で合流するようになっているようだ。道なりに進んでいくと、右手後方に橋杭岩が見える。向袋から右へ進むとこの道をくることになるのだが、橋杭岩は以前来たことがあるので今回は省略して、そのまま前進する。
橋杭岩
地蔵踏切でJRの線路を越えるとすぐ右手に享保12年(1727)の「澤信坊の道標地蔵」がある。「右ハくじの川・・・」「左ハ橋杭岩・・・」と刻まれている。
澤信坊の道標地蔵
ここで一旦42号線に合流するが、すぐ先で42号線から分岐して左へ進む。左手に「紀伊姫」駅を見ながら進むが、ここは全くの無人駅で、もしここで降りていてもタクシーはなかっただろうと思うと、古座まで行ってよかったと思った。その先で左手から合流する道があり、これが辻地蔵から分岐した道が合流するところのようだ。
伊串川に架かる伊串橋を渡り、その先で42号線に合流するが、そのすぐ先の「ホテル・レストラン」と書かれた建物のところから左へ分岐する。右手に町営住宅があり、その横に地蔵尊を安置する小祠がある。
その横に地蔵尊
 左手に「原町の小堂」があって三体の石碑が安置されており、その一つには文政13年(1830)と刻まれていた。
原町の小堂
 そのまま直進して古座川に突き当たるが、そこに「古座川渡し場跡」の碑が立っている。ここから左折して古座川沿いに進むが、左手に串本町役場古座分庁舎があり、今日は祭日でお役所はお休みだったので、その玄関先の雨がかからないところに座って昼食のおにぎりを食べる。今朝串本のホテルの近くにあったコンビニで購入したものだ。一休み後古座川に架かる古座橋を渡る。ここから道は二股に分かれており、右へ進むと海側の平坦な道を進むが、国道歩きが暫く続くようだ。一方左へ進むと地蔵峠を越える道となる。こちらは交通量は少ないが、山道が多いとなっている。どの程度の山道なのか分からないが、今日は雨が降っているので海側の道を進むことにする。古座橋を渡ってすぐ先を右折、細道を進んでいくが、四つ角があったので、ここを間違って左折してしまった。途中で間違いに気がついて四つ角まで戻り、これまで来た道を直進する形ですぐ先の突き当たりを右折して進む。左手に「善照寺」があるが白壁が立派なお寺だ。
善照寺
 細い昔ながらの雰囲気の残る集落の中を進んでいくと、左手に「古座神社」がある。ここは白木屋根造り・春日造りの社殿で、室町時代の作といわれている。
古座神社
 すぐ先、階段の上に元禄4年(1691)の「古座一里塚跡」の石仏が立っている。
古座一里塚跡」の石仏
 すぐ先の二股を左へ進み、病院に突き当たるので、右折、一旦42号線に合流、すぐ先で再び左へ分岐して進む。病院が旧道の上に建っている感じだ。その先で42号線に合流する。その先で更に左へ分岐して津荷川に架かる沖出橋を渡って進み、その先で42号線に合流し、海沿いの変化の少ない道を進む。「古座ビィラロ」のバス停のところに安永10年(1781)の地蔵尊を含む四体の地蔵尊が安置されている地蔵堂がある。
安永10年
 このあたりは海霧がでるそうで、海霧の撮影が良く行われるそうだ。
田原駐在所の信号から左折、集落の中を進み、最初に右折する道があるところから、右折する。このあたり細い道が続いていて分かり難い。右折して進み、田原川に架かる新田橋を渡る。渡ってすぐに左折、川沿いの道を進み、右手に堂島橋があるところを右折するが、ここに「堂島の道標地蔵」がある。「右ハくまのみち」は読み取ることが出来たが左は読むことができなかった。資料を見ると「左ハざいごみち」と刻まれているようだ。
堂島の道標地蔵
  すぐ横に下る道があるが、ここに久しぶりの案内板が立っていた。ここから42号線の反対側に出て、42号線に併行して舗装された道を進むが、舗装された道が42号線に合流する先で直進する草道に入る。ここはあまり人が歩かない道のようでかなり荒れている。現在は草が枯れているので歩くことが出来たが、夏場ここを歩くのは厳しいかもしれない。
草が枯れているので
 その先で42号線に合流するが歩道がないので、歩き難い。その先左手に清水峠の入口があるので、これに従って山道に入って行く。ここに看板が下がっていて、「10月21日に熊が目撃されているので、山へ入られる際は注意してください」と書かれている。
清水峠の入口
 入口を通るとすぐに道は二股に分かれており、案内板に従って右へ進む。ここに「石の道標」があり、「右 上田原」「左 大へち」と刻まれている。
ここに「石の道標
 峠の頂上にはベンチが置かれていた。ここから下っていくが、茅がかなり繁っている。草は刈られているし、この時期枯れているので大丈夫だが、夏場もし草が刈られていないと歩くの大変だろうと思う。
茅がかなり
 右手に紀伊浦神の駅を見ながら進んで行き、突き当たり左手に「塩窯神社」がある。

 古道はここから左折して山を上って行くのだが、今日はここまでとして、右折して42号線に沿ったところにある民宿に宿泊する。

 16時57分に民宿に入る。

 本日の歩行時間   8時間7分。
 本日の歩数&距離 40671歩、28.5km。