熊野古道・大辺路を歩く

2010年12月01日(水) ~2011年02月12日(土)
総歩数:168240歩 総距離:123.2km

2011年02月10日(木)

周参見~馬転坂~タオの峠~長井坂~田並

                      晴れ

 宿の朝食は7時30分からということだったが、無理をお願いして少し早めていただき、7時30分に出発する。目の前に海が広がっており、気持がいいところだ。すぐ近くに釣り客を相手にするお店が朝5時から開いており、そこで昼食用のおにぎりを買う。今日もお店があるかどうか分からないため、あらかじめ準備をしておく。42号線を進んで行くと左手に生コンの工場がある。この工場の敷地内を通って進むと左手に階段があり、これを上って行く。
工場の敷地
 坂道を登っていると今日もどこかで「パーン」という銃声が聞こえる。狩猟がかなり盛んに行われているようだ。
大串峠という坂を登り終えると造成地に出、一気に眺望が開ける。なぜか観音様が立っている。このあたりは造成しているものの、その後なにも利用されていないようだ。バブルの後遺症なのかな?
観音様
 左へ進み、突き当りを右へ上る。その先で今度は下るが、ここはかなりの急坂で馬も転ぶということから「馬転坂」と呼ばれているそうだ。いずれにも案内板が立っているので、それに従って進む。山を下ると前方に海が広がっており、その前に金網が張っているので、これに沿って左へ進み、その先で42号線に合流する。すぐ先で左折すると「西の庚申さん」と呼ばれる庚申塔がある。
西の庚申さん
 緩やかな坂を上って行くと右手に「お地蔵様」がある。
右手に「お地蔵
 杉林の中を通って進むが、道はきれいに舗装されているので歩きやすい。その先左手に「タオの峠」の案内板が立っているので、ここから山道へ入って行く。
タオの峠
 左手に明治43年の「境目石」が立っている。
境目石」
 更にその先左手に「一里塚松跡」があるが、説明板が立っているだけで遺構はなにも残っていない。峠を下ったところに明治6年と刻まれた「二体のお地蔵様」を安置した小祠がある。
二体のお地蔵
 山間の集落の中を歩いていくと、右手にイルカの格好のようなちょっと変わった形の家がある。この家が目印になっていたので当初この家の手前から左折する細道があり、それを行ってみたが行き止まりだった。その先へ少し進んでみると、左手に細い土道があり、案内板が立っていたので、これを上って行く。
イルカ
 この先この細い道は右手は崖になっていて、とても歩き難い道だったので注意をしながら歩いていく。ここを抜けると左手に「和深川王子神社」がある。大辺路二つ目の王子社だ。ここは寛永2年(1625)に松本四郎大夫広正によって創建されたもので、王子神社と春日神社を併せて祀られている。宮の森にはナギやムクといった古木、大木が立っている。
和深川王子神社
 その少し先右手に跨線橋があり、そこを渡ると「丸山の掘割」がある。昔の道はここを通っていたそうだが、鉄道が敷設されて分断されたということだ。
丸山の掘割
資料によるとこの先に徳本上人の碑があるとなっていたので探したが、わからなかった。街道に戻って進むと右手、和深川の向こうに「長井坂」の西登り口がある。私と同じ名前の坂なのでなんとなく親しみを感じる。この坂は別名長柄坂とも呼ばれ、見老津長井谷の谷口までの全長4.9kmの峠道だ。
長井坂
 途中に「版築」がある。これは稜線を版築(段築)によって土手状に固めて整形して歩きやすくしたもので、古道の構築、維持管理上からみて極めて重要な事例といわれている。
版築
 だれもいない静かな山道を暫く歩いていくと、「石の道標」が立っており、「みぎハやまみ」「ひだてハくまの」と読むことが出来る。下の文字は土に埋まっていて読むことが出来ない。
石の道標
 右手に鉄塔が立っており、その前に金網が道に沿って張られているが、その金網が切れたところから右折する。ここにも案内板が立っている。ここから急な下り道になる。
金網
 山を下り、見老津第二踏切を渡って42号線に合流する。見老津駅が左手に見える。右手には海が広がっており、天気がいいので気持がいい眺めだ。左手に安政6年(1859)の「六十六部廻国碑」と二体の地蔵尊が安置されている地蔵堂がある。
六十六部廻国碑
 この先少しの間、左手に42号線と併行した道を進み、見老瀬川に架かる見老津橋を渡る。その先で42号線に合流するのだが、その左手、坂を少し上ったところに天保5年(1834)の地蔵尊をはじめ数体の地蔵尊が安置された祠がある。
天保5年(1834)の地蔵尊
 42号線に合流し、すぐ先で左へ細道を上るが、すぐ先で再び42号線に合流する。その先右手に喫茶「海」があるところから42号線から分岐して急坂を降りていくと海岸に出る。ここから海沿いの浜辺を歩いていくが、当然道などなく岩がゴロゴロしていて歩き難い。
海沿いの浜辺
 歩きながらどこから上に上がるのか、上がる道を探しながら暫く行くと、なんとなくそれらしいところがあったので、ここから急坂を上って行くと「エビとカニの水族館」の前に出た。
エビとカニ
 ここから道は三本に分かれているので、真ん中の道を進んだが、ここは道を間違ったようで、真ん中の道の脇から民家の裏に細い道が分岐していたようだが、気がつかなくてそのまま進んでしまった。途中で左手から合流する細い道があったことから気がついたのだが、そのまま進むことにする。海岸に突き当たったところの右手に「地蔵尊」を安置した小祠がある。
地蔵尊」を安置
ここから左折して海岸に沿って進むと、その先階段を上ったところに「松の内地蔵堂」がある。お堂が白く塗られているのが特徴だ。
松の内地蔵堂
 42号線のガード下を抜けてすぐ先で右折し、42号線に合流する。その先に階段があり、これを上る。ここにも案内板が立っている。その先で42号線に接するところに「みちびき地蔵尊」がある。
「みちびき地蔵尊」
 42号線に合流せず左斜めへ伸びる脇の道を進んで行くが、42号線に沿ったところに食堂があった。丁度昼になったのでここで食事をしてもよかったのだが、おにぎりを買ってきているので、そのまま先へ進む。その先で42号線に合流するが、その先で右手に少しだけ迂回する古道が残っているのでこれを歩くと、右手に「庚申塔」とその前に「見ざる、言わざる、聞かざる」の三猿を彫った石像が置いてある。
三猿
 その先で42号線を横断したところに「無縁法界塔」と刻まれた天保13年(1842)の地蔵尊がある。
無縁法界
 左手に江住駅があったので、ここで昼食のおにぎりを食べる。いつものように4個だ。
 ここで一息入れて再び歩き始め、江住川に架かる江住橋を渡ってすぐ先で右折、細道に入る。公民館を右に見ながら進み、突き当りを右折、その先に小さな小川があるので、ここを左折する。ここにも案内板が立っているので、それに従って進む。
坂を上り、ガード下を通ってJRの線路を横断、その先で42号線に合流する。すぐ先で42号線から分岐して階段を下る迂回路があるのでこれを通っていくが、ここもすぐ先で42号線に合流する。更にすぐ先でもう一度42号線から左へ分岐する道があるので、ここを通って、ここもすぐ先で42号線に合流する。42号線のその先左手に「宇の平見の地蔵尊」を祀る小祠がある。
宇の平見の地蔵尊
 ここで今度は右へ分岐する古道があるので、ここを進むと踏切はないものの、JRの線路を横断できるようになっているので、これを横断して、その先で42号線に合流する。このあたり42号線の左右に古道があるが、夫々に案内板が立っているので、それに従って進む。
 その先で42号線から分岐して左へ坂を上って行くと、左手に「大平見の地蔵尊」を安置する小祠がある。
大平見の地蔵尊
 右手に学校跡地があるところから左へカーブする42号線と分岐して土道が伸びているので、これを下っていくと海岸に出る。ここは岩場だ。途中に海水浴客用のトイレがあり、その先へ進む。小さな岬をグルッと回って進むが、このあたり、満潮の時も歩くことが出来るのかな?と思うような場所だ。ここから上へ上る入口は資料をみると石垣があると書かれているので、左手を注意しながら進んでいくと、あった。石垣の横に「大辺路」と書かれた案内板も立っているので、それに従って坂道を上る。
石垣
 この道にも石畳が残っており、そこに杉の根が伸びていて、気持のいい道だ。
気持のいい
 42号線に合流して進むと「ようこそ串本へ」という大きな看板が立っている。串本までやってきたのだという思いが湧く。そのすぐ先から左へ坂を上っていくと、右手の木立の中に「木の本神社」がある。ここには由来を書いたものが何もなかったので、縁起は分からなかった。
木の本神社
ここから道を下っていって42号線に合流する。その先でJRと国道の高架下を通って進むが、ここに石で造られた祠に安置された明治7年の「地蔵尊」とその横に石仏が安置されている。
明治7年の「地蔵尊
 すぐ先で左へ分岐、道なりに進む。その先で道は二股に分かれているところを直進し、その先で階段を下っていく。42号線の下を抜けると前に和深駅があるので、ここから左折、突き当たりを左折、その先の二股を右へ坂を上る。このあたりにも案内板が立っているので、それに従って進む。跨線橋でJRの線路を越え、坂を上って行く。道路の高架下を通って直進し、坂を下って四つ角を直進、坂を下る。下る途中に地蔵尊の小祠があるが、これは大漁の感謝の意味で祀られたものという。
大漁の感謝
 坂を下って突き当たりを左折、JRと42号線の高架下を通って突き当たりを右へ進む。更に再び42号線の高架下を通って山道へ入って行く。突き当たりを左へ進むと林の中へ入って行くが、ここにもきれいな石の階段が残っている。
石の階段
 林を抜けたところの左手に地蔵尊を安置した小祠がある。
左手に地蔵尊
42号線に合流し左折して進むと右手に「やすいモーターズ」があり、そこから42号線と分岐して左斜めへ進む。
 左手に「安指平見の大師堂」がある。資料に「天井の組み方がきれい」と書かれており、扉が閉まっていたが鍵がかかっていなかったので開けて写真を撮らせていただいた。
安指平見の大師堂
 ここから右折して次の二股を右へ、更にすぐ先を左へ、案内板に従って進むと左手に地蔵尊がある。資料によるとこれが「一里塚跡」にある地蔵尊のようだ。
一里塚跡
 その先で階段を下って進み、安指橋を渡って右折、JRの線路の下をくぐり、突き当たりを左折してその先で42号線に合流する。ここに年不詳の「六字名号碑」が立っている。
六字名号
 42号線を進み、その先で道は二股に分かれているので、これを左へ進み、更にその先で左へ細道を進む。JRの下の小さなトンネルを通ってすぐに右折すると、ここにも古い石の階段が残っている。
 ここの道はかなり荒れていたが、ここを通り抜けると右手に「六地蔵」が安置されており、ここを左折して墓地の中の道を進む。
六地蔵
 集落の中を進んでいき、その先で階段を下るが、ここにも案内板が立っているので、それに従って進む。
右手に田子駅があり、その先で右折、JRのガード下を通って42号線に合流、田子川に差し掛かるところから42号線から迂回する形で田子橋を渡る。すぐ先で42号線に合流、その先にあるバス停「平見下」から左へ進み、そのすぐ先の二股を右へ進んで田子川沿いに進む。JRの線路の下のトンネルを通ってすぐ左折、小橋を渡って進むと石畳や掘割が残っている道になる。
石畳や掘割掘割

 JRの線路に突き当たり、そこから急坂を下って線路下にあるトンネルを通って線路の反対側に出て42号線に合流する。ここから暫く海岸沿いの42号線を歩いていく。右手に歌碑と文政13年(1830)の徳本上人の名号碑が立っている。
歌碑文政13年


 左手に「徳大明神社」があるが、ここも縁起はわからなかった。
徳大明神社
 のう凪のバス停のすぐ先から旧道があるので、これを進み、その先で山へ入る旧道らしき道があったが、資料では42号線を進むようになっており、また時間も遅くなっていて日暮れ近くになっているので、そのまま42号線を進むことにする。新田並橋を渡って田並駅に着く。今日はここからJRに乗って串本まで引き返して宿に入る。
ここは18時の電車の次は20時6分までないので、18時前に着いてよかった。

 17時22分に田並駅に着く。今日は42号線を中心にその左右に残っている旧道を進んだが、ほとんどの場所に案内板が立っていたので、道に迷うことはなかった。

 本日の歩行時間   9時間52分。
 本日の歩数&距離  42141歩、32.1km。