熊野古道・中辺路を歩く

2011年02月12日(土) ~2011年03月19日(土)
総歩数:163714歩 総距離:128.8km

2011年03月18日(金)

熊野本宮~小口 (小雲取越)

                      晴れ

 7時40分に出発する。今日は距離が短いためかなり早い時間に着きそうだ。宿にその旨の連絡を入れると早く着いてもかまわないということだったので、この時間に出発する。本当はもう少し先まで行きたいのだが、小口を過ぎると那智まで宿泊するところがないのだ。
 請川までは168号線を歩くので、人によっては請川まではバスで移動する方もおられると宿の方が言われていたが、折角なので歩くことにする。今日はいい天気だ。右手に1800年ほど前、熊野本宮を目指して玉置山から下りてきた一行が道を間違えて行き過ぎたという言い伝えから祀られているという「行過地蔵」を安置する小祠とその横に一体の地蔵尊がある。
行過地蔵
 請川橋を渡り、その先の松畑谷川に架かる下地橋を渡った先に下地橋というバス停があり、その横にある階段を上っていく。
下地橋
 集落の中を進んでいくが、道は整備されており、標識も立っているのでそれに従って進んでいく。下を見ると熊野川がきれいに見える。
熊野川
 上り坂を登って行く。木漏れ日の中、道に積もった落葉が歩く時にカサカサと音を立てる以外に何の音もしない。静かで気持がいい。
木漏れ日
 かなり登ったところに「松畑茶屋跡」がある。ここは広い平坦地に石垣を積んだ屋敷跡やお墓が残っている。元文4年(1739)の「熊野めぐり」には「松畑茶屋とて四、五軒もあり」と記載されているという。
松畑茶屋跡屋敷跡やお墓

 宿に早く着いてもかまわないといっていただいたが、あまり早く着くのもご迷惑だろうと思って、ここで休憩を入れる。日ごろは昼食のときおにぎりを食べながら15分ほど休憩するだけで、基本的には歩き続けるというやりかたをやっているのだが、今日は例外だ。ベンチがあるのでそれに腰掛けて暫く休憩したが、じっとしていると寒いので、歩き始める。
 万才峠の分岐点に来る。ここには伊勢路の道標も立っている。この辺りまで来ると鶯の鳴き声がしきりに聞こえてくる。かわいい鳴き声で気持が和む。
伊勢路の道標
 道は更に登り坂が続いている。やがて「百間ぐら」という所に来る。ここで一気に視界が開ける。思わず「うわぁ~」と声を出したぐらい気持のいい場所だ。ここは小雲取の絶景ポイントだと説明されており、紀南地方の最高峰大塔山(1121m)を中心に西には野竹法師(970m)を望むことが出来る。
百間ぐら
 ここで景色を眺めていると二人連れの男性が登ってこられた。お二人はこれから私が向かう小口自然の家に昨夜泊まられたそうで、私とは逆に那智から熊野本宮を目指しておられるということだった。お二人とお別れして少し行くと歌声が聞こえてきた。一人の若者が大きな声で歌を歌いながら坂を登ってきていた。私も歩く際、良く歌を歌うのでこの方の気持が良く分かった。この方も昨夜自然の家に宿泊されたということだった。
その先で更にもう一人、遍路衣装に身を包んだ方が登ってこられるのに出会った。この方は西国三十三箇所を回られるということで、かなりご高齢のようだったがまだ矍鑠とされておられた。この方も自然の家の泊まられたということで、自然の家には昨夜はこの4名の方が泊まられたようだった。
 木漏れ日の差す中を一人黙々と歩いていく。とにかく静かだ。
差す中
 「賽の河原地蔵」がある。賽の河原とは死んだ子供が行くところといわれる三途の川の河原。ここで子供は親の供養のために石を積み上げて塔を作り、作っては絶えず鬼に壊される。そこへ地蔵菩薩が現れて、子供を救うという。この話に因んだのだろうか、石が積み上げられている。地蔵は熊野詣で亡くなった人々の供養のために作られたものと思われると説明されている。
賽の河原地蔵
「石堂茶屋跡」がある。元文4年(1739)の「熊野めぐり」にはここに茶屋が二軒あり、旅客を泊めていたと記されているそうだ。敷地の北側には水場、西方には茶店の人々のお墓も残っている。休憩所が設けられているので、ここでも休憩する。
石堂茶屋跡
 暫く進むと「三界万霊」がある。他の街道には数多く存在するのだが、熊野古道では珍しい。建立年を見たが分からなかった。
三界万霊
 桜峠(466m)を過ぎると下り坂になり、その先に「桜茶屋跡」がある。ここは茶屋の庭先に桜の大木があったことから「桜茶屋」とよばれたということだ。ここから小和瀬の町が一望できる。ここから南に見える楠ノ久保の辺りを通る白衣の参詣者の一団を見かけると、茶屋の主人は大急ぎで湯を沸かし、餅をついたと説明されている。ここから小和瀬はもうすぐだ。ここにも休憩所ができているので、ここで昼食のおにぎりを食べる。いい眺めだ。
桜茶屋跡楠ノ久保

 一旦登るが、その後一気に道を下っていく。文化7年(1810)の「尾切地蔵尊」を安置する小祠がある。その昔、半島状にある集落は栄えないという言い伝えがあり、村人はその付け根にあたる所に、その尾を切ると言う意味の尾切地蔵を祀り村の繁栄を願ったとされているそうだ。 
尾切地蔵尊
 山を下ったところに小和瀬橋がある。ここに13時20分に着く。
 ここから自然の家へ電話を入れると車で迎えに来てくれた。今日は泊り客が私ともう一人だけなので、自然の家ではなくて、管理をされておられるその方の家に泊めていただくことになっている。この方はこの家のほかにもう一軒ご自宅を持っておられて、ご自分達はそちらのほうに住んでおられ、自然の家の宿泊客が満員になったり、少ない時にこの家に泊められているということだった。この方は町から自然の家の運営を任されているということだ。
もう一人の宿泊客は那智からこられた方で七十代の札幌の男性。これから20日間に渡って西国三十三箇所を歩かれるということで、まだまだお元気な方だった。西国三十三番の最初が青岸渡寺になっているという。

 本日の歩行時間  5時間40分。
 本日の歩数&距離 18231歩、15.6km。

旅の地図

記録

プロフィール

かっちゃん
歩人
かっちゃん