伊勢南街道(和歌山街道)を歩く

2019年10月30日(水) ~2019年11月23日(土)
総歩数:279550歩 総距離:180.1km

2019年11月20日(水)

幸の神神社~高見山荘

                         晴れ

 今朝は大和上市駅からのアクセスがないので、タクシーで昨日歩いたところまで来て、8時19分に「幸の神神社」を出発する。ここには弘化3年(1846)や天保12年(1841)の常夜燈が立っている。
幸の神神社
 緩やかな坂道を上っていくと、左手に「吉野山口神社」がある。入口の鳥居の前、右手に「式台 高鉾神社 吉野山口神社」と刻まれた社標が立っている。吉野山口神社も高鉾神社もともに式台社で二社並立の神社となっている。
山口神社
 参道左手に延宝7年(1679)の手水鉢がある。
手水鉢
 拝殿の前に正徳6年(1716)の二基の常夜燈が立っていて「天満宮御宝前」「高鉾社御宝前」と刻まれている。この常夜燈は紀州藩主だった徳川吉宗が参勤交代の無事を祈って寄進したもので、代々の紀州藩主は参勤交代のときは必ずこの宮に参詣したという。
 その裏には極彩色の春日造りの吉野山口神社の本殿があり、その奥に同じような造りの高鉾神社の本殿が立っている。共に創建時期は不明という。
拝殿本殿

 吉野山口神社を出て進むと、左手に石仏1体を安置する小祠がある。
石仏1体
 左手に「牛滝神社 祭神 保食神」と書かれた社標が立っており、この奥に小祠が立っている。保食神は農耕家畜の神で、昭和の初め頃、この地で放牧場を作って農耕家畜の育成に努めたことを記念して建てられたという。
牛滝神社
 右手に五輪塔と石仏を祀る小祠がある。
五輪塔と石仏
 中竜門トンネルの手前から28号線から右へ分岐して進み、その先で28号線を横断、集落の中の細道を進む。
 民家の庭の前のような細道を進むが、右手にわかばこども園が見える辺りは一応舗装されてはいるものの、人があまり通らないようで、道は荒れていた。
荒れた道
 T字路に出るので右折、すぐ先を左折して進み、左手に石仏2体を安置する小祠があるところで右折する。
石仏2体
 28号線に合流、緩やかなつるや坂と呼ばれる坂を上っていき、三茶屋の信号の手前にあるガソリンスタンドの手前横から28号線から左へ分岐して旧道に入る。
 左手に資料によると「南 右 いせ道」「東 右 うだ 者せ 左 大峯道」「北 右 よしの かうやミち」と刻まれた慶応3年(1867)の道標と「右 いせ道 みや川へ二十二り」と刻まれた道標が二つ並んで立っている。
慶應3年
 このあたりには昔、上茶屋、中茶屋、なかやと呼ばれる三軒のお茶屋があり、紀州藩主が参勤交代の際はこの場所で中食をとるところと定められていたことから、三茶屋と呼ばれるようになったという。

 その先に「久須斯神社」があり、文政13年(1830)の常夜燈が立っている。ここを10時4分に通る。旧道は鳥居の前から右へ進む。
久須斯神社
 道はすぐ山の中へ入っていくが、道はしっかりとした道が続いている。歩いているとすぐ上を鹿が二頭駆け抜けていった。
鹿2棟
 10時30分に峠を抜けて、28号線のトンネルの横に出て、28号線に合流する。
 しばらく28号線を進んでいくと、クデノ谷川が流れており、そこに地蔵橋が架かっている。その横に地蔵堂があるので、これから橋の名前を付けたのだろうと思った。
地蔵橋
 その先で道は二股に分かれており、これを右に進む。右手の家は橋本家という表札がかかっていた。
 10時49分にここを通る。小名峠はここから入っていく。
小名峠入口
 道はすぐに山道になる。所々倒木等があるものの、しっかりとした一本道なのでわかりやすい。
小名峠道
 「天誅組さきがけの道 森下幾馬戦死の地」「徒歩10分」と書かれた看板が立っている。これまで案内板は全くなかったので、この看板を見たときは道を間違っていないということがわかって安心する。11時33分にここを通る。
天誅組さきがけの道
 徒歩10分と書かれていたので、時間を計りながら進んでいくが、一向に「戦死の地」の看板がない。見落としたのかな?それとも途中で道を間違えたのかな?それとも別の場所にあるのかな?と思いながら進んでいったが、結局わからなかった。
 更に山の中の道を進んでいくと、石垣が残っているところがあり、その横に「天誅組遺跡」と書かれた看板が立っている。それによると、この場所から千メートル程上方で森下幾馬が戦死したと書かれていた。このすぐ先が小名峠の出口だ。
天誅組遺跡
 ようやく小名峠を越えて12時8分に鷲家に着く。峠を越えるのに1時間19分ほどかかっている。鷲家は幕末の天誅組の終焉の地として有名で、また紀州藩主の参勤交代の際、本陣が置かれた宿場であったという。左手に「鷲家八幡宮」がある。社殿はほぼ20年に一度修理をしているそうで、境内には大木が立っている。ここで出発時に買ってきたパンを昼食として食べる。 
鷲家八幡
 伊勢街道の道標があり、資料によると「西 右 小川谷 河上 左 いせくまの道」「南 右 いせ 江戸」「左 者せ大坂道」「東 右 紀州 加うや」「左 大峯山 た可はら道」と刻まれた文政11年(1828)の道標と、その横に「右 小川 四郷 川上 左 高見 伊勢 道」「右 高見 伊勢 左 古市場 宇陀 榛原道」「右 古市場 宇陀 榛原 左 小川 四郷 川上 道」と刻まれた大正2年の道標が並んで立っている。
文政11年
 この道標に向かって左へ進むと、左手に「天誅組遺跡 紀州藩軍役方頭取 金沢弥右衛門 陣所跡」の碑が立っており、「文久3年旧9月25日午後天誅組総裁藤本鉄石は福浦元吉を伴い、この家に乱入 紀州藩と大激戦 見事な最期を遂げた」という説明板が立っている。
天誅組陣所跡
 左手に「子安地蔵尊」を安置する地蔵堂がある。
子安地蔵
 右手に「龍泉寺」がある。ここには県指定重要文化財の木造如来坐像や首から上の病にご加護を授けてくださる野見観音などがある。野見観音は戦国時代蒲生氏郷が城主だった松坂城に安置されていたが、蒲生氏郷が会津若松城九十二万石の藩主となる出世をしたため、出世観音ともいわれていたという。紀州藩主は参勤交代の際、この地に宿泊をしていたが、参勤交代の安全を祈願して、松坂城にあったこの観音をこの地に移したという。
龍泉寺
 すぐ先から166号線から左へ分岐して細道を進むと、右手藪の中に「山の神」が祀られている。
山の神
 すぐ先で再び166号線に合流、そのすぐ先で今度は166号線から右へ分岐するが、ここもすぐに166号線に合流する。
 右手に天誅組史跡公園があり、この谷の頂上に天誅組総裁の一人松本杢堂とその従者村上万吉の戦死の地碑があると説明されている。
天誅組公園1天誅組公園2

 その先で道は二股に分かれており、ここに「伊豆尾 木津峠」と書かれた近畿自然歩道の標識が立っているので、それに従って右へ進む。ここは旧国道できれいに舗装された道だったのだが、歩いていくうちこの旧国道の更に上に旧道があることに気がつき、これを進んだ。
木津峠旧道
 ところが次第に道は荒れてきて、旧木津隧道が左手に見えるところまで来ると、道は崩落していて完全に失われている。仕方がないので崩落している場所を迂回して道なき道を進んでいくと、旧木津隧道の上を通って、その先に出た。この辺りは道は全く失われているので、やむなく遮二無二崖を下って旧国道に合流する。「東吉野の旧街道」の本に掲載されている地図によると、この先旧道は旧国道の少し上を通っているようになっているのだが、道は全くないので、そのまま旧国道を下っていく。ヘアピンカーブがあり、ここで旧道は旧国道に合流するようになっているので、何か痕跡はないものかと思って山の中を見ていると、パトカーが通りかかって、何か探し物をされているのですか?を言われてしまった。不審者と思われたのかな?
 更にこのカーブのところから旧道は下へ下っているようだが、この道もわからないので、そのまま道を下っていくと、右手から旧道と思える道が合流しているので、この道をさかのぼってみた。最初は数軒の民家があって舗装された道だったが、すぐ先で山の中へ入っていて、なんとなく道の痕跡があったので、それをたどってみると、先ほどの旧国道の下にきた。ただここは道を作るためにコンクリートで固められた崖になっているので、旧国道に登ることはできなかった。

 その先で一旦166号線に合流するが、すぐ先で左へ分岐して集落の中を進む。
 「東吉野の旧街道」ではその先で一旦川を渡って166号線に合流、その先でもう一度川を渡って、こちら側に戻って来るようになっているのだが、いずれも現在では渡る橋がないので、これまで歩いてきた道を進むことにする。後で宿の方にお聞きすると、昔は両方ともに小さな橋があったそうだが、現在ではなくなっているということだった。
 右手に郵便局があり、その先左手の崖に「山の神」と「石仏」がある。
山の神と石仏
 左手に「八坂神社」がある。ここの創建は定かではないが、天正10年(1582)以降の棟札が残っているという。最近では平成24年に社殿の造替が行われたということで社殿はまだ新しい。境内にある説明板によると、樹齢450~500年という杉の巨木があると書かれていたが、現在はそのすべてが根本から切り倒されていて、切株のみが残っていた。ちょうどご近所の方と思われる女性の方がおられたので、木をすべて切られたのですか?と聞くと、本当にもったいないことをしたものだ、と言われていた。
八坂神社
 166号線に合流、地図では166号線を横断して進み、松本大橋の先で166号線に合流するようになっていたので、これを進んで行くと、行き止まりになっていた。そのため166号線に戻って松本大橋、その先の杉谷大橋を渡って進む。「東吉野の旧街道」では昔の街道が点線で描かれているのだが、現在では歩くことができなくなっているところが多いようだ。宿の方が言われていたが、旧道は現在の166号線の右手、山の中を通っていたようだし、現在でも一部道の痕跡が残っているところがあるが、かなりの部分の道が失われているので、歩くことはできないようだ。

 15時13分に今日の宿、高見山荘に到着する。

 本日の歩行時間   6時間54分。
 本日の歩数&距離 32810歩、20.4km。
 本日の純距離    18.5km. (途中、道を間違えず、寄り道をしないで街道だけを歩いた距離)

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