伊勢南街道(和歌山街道)を歩く

2019年10月30日(水) ~2019年11月23日(土)
総歩数:279550歩 総距離:180.1km

2019年11月21日(木)

高見山荘~粟野

                             晴れ

 7時25分に出発する。冷気が身を包み、吐く息が白い。かなり気温は低いようだ。

 今日は旧国道を通って進んでいくが、出度地橋のところで166号線と合流する。右手に「高見山登山口」と書かれた標識が立っており、左手には「旧高見越へ伊勢街道」「高見登山口」と書かれた標識が立っているので、ここから坂道を登っていく。7時55分にここを通る。
登山口1登山口2

 右手に2体の石仏を安置する小祠とその横に山の神があり、すぐ先に左手に「伊勢南街道」と書かれた看板が立っている。
2体石仏看板1

 左手に「撞木松」がある。形が撞木に似ていることから、このように呼ばれるようになったという。
撞木松
 古市を通る。ここは大和・紀州・伊勢の人々が集まり、塩、魚、その他の市が立ったと説明されている。8時21分にここを通る。
古市
 「虱とり」と書かれた看板が立っている。ここは日当たりがいいため、旅人が着物についた虱をとったという。
 「雲母曲」と書かれた看板があり、「この左百米下に天狗岩あり」と書かれているが、見に行かなかった。
 その先で道路が崩落しているところがあって、一部う回路を通って進む。
う回路
 「小峠」に8時55分に到着する。ここまでは極めて順調に来たのだが、ここで大失敗をしてしまった。

 ここから「大峠」へ向かうのだが、小峠では正面に鳥居があって、そこから急坂を登る階段があり、一方で旧国道が左右に走っていて、この道は右へ向かうと少し下り坂になっている。大峠は小峠から更に山を登っていくものだという先入観が私の中にあったので、何も考えず鳥居から急坂を登る道を進んでしまったのだ。道の入口右手には題目石と地蔵尊が祀られている。
小峠1小峠2

 9時17分に案内板が立っているところに来る。
峠案内板
 私はここがてっきり大峠だと思っていたのだが、大峠という言葉はどこにもなく、表示されている地図をみると高見山の山頂に行って、その先に大峠があるようになっている。後で考えると、なぜこの段階で道を間違えていることに気が付かなかったのだろうと我ながら不思議なのだが、とにかくまだ登って行かなければいけないと思って、ひたすら山を登り続けた。途中から何かおかしいという気持ちが沸き起こってきたのだが、ここまで来て引き返すと、もし間違っていなければ大変な無駄足になると思いつつ、山道を更に登っていった。9時35分に高見岩まで来たところで、これはおかしいとようやく確信したので、ここから急遽引き返すことにした。登り道が急坂だったので、下りも急坂だ。昨年二回目の半月板手術をしていて、膝に爆弾を抱えている身にとって、これは堪えた。
 先ほどの地図があるところまできて改めて見てみると、大峠へ行く道は小峠から右へ行くように書かれていることにこの時初めて気が付いた。何たることか!10時5分に小峠に戻って、ここから鳥居を前にして右手に向かう旧国道を進んでいく。
 ここまでに1時間10分の無駄な時間を費やしてしまった。今日は松坂駅の近くのホテルに泊まる予定にしており、松坂駅行のバスはここからかなり離れた森というバス停まで行かなければないし、しかも最終は17時19分だ。これを過ぎると松阪駅行のアクセスは全くなくなるので、絶対間に合わせなければいけないと焦る。
 旧国道を歩いていくと、すぐ先で左手に「高見峠へ1.4km」と書かれた看板があるので、ここから山道に入っていく。
高見峠1.4
 約300m上に山賊が住んでいて「盗人岩」と呼ばれる岩があると書かれた看板が置かれている。
 見晴らしが開けたところに来るが、かなり高いところに来ているということがよくわかる。
見晴らし
 10時35分に「大峠」に着く。小峠から30分の道のりで、この間の道は登り道ではあったが、比較的緩やかな道だった。
大峠1
 大峠は駐車場になっていて、車が数台止まっていた。また本居宣長の歌碑が立っている。
本居宣長
 ここには一の鳥居が立っており、高見山頂へ向かう階段がある。この鳥居に向かって右手に進んでいく。
大峠2
 すぐ先で左へ分岐する旧道があり、「和歌山街道 散策コース」の看板が立っている。
下り看板下り道

 山道を下っていくが、道はしっかりしているし、分岐する場所に的確に標識が立っていて道を間違うことはない。
下り山道下り標識

 「大二木茶屋跡」の看板が立っていて「伊勢の高見は高いようで低い。低い大二木の餅や高い」と歌われはやされた。現在も「かまど跡」や「かわや跡」が当時の形をとどめている。」と書かれている。
 左手に「寺院跡 能化庵」の看板が立っている。「蘇我入鹿の妻と姫君が入鹿の首塚を祀るために住んでいた」と説明されている。
 左手に「五輪塔」がある。これは蘇我入鹿を祀ったものと言われており、資料によると鎌倉期のものと思われるという。松坂市指定文化財になっている。
五輪塔
 左手に「腰折れ地蔵」があり、二体の像が半肉彫されている。その横に石仏が一体ある。
腰折れ地蔵横に石仏

 集落があり、ここの左手に墓地があって、ここに双体地蔵や板五輪、行き倒れ供養の墓石等があるようだが、入り口が閉まっていて、中に入ることができなかった。
 舟戸公民館の前に祠があり、庚申塔と猿田彦が祀られている。
公民館前
 舟戸川に沿って進んでいき、舟戸川を渡ったT字路の右手に地蔵尊がある。資料によると、この地蔵尊の下の石が道標になっていて、「右 よしの かうや道 大峯 左 いせ」と刻まれているものとその道標の下に土に半分埋もれている「右 かうや 左 いせ」と刻まれている道標のようだが、いずれも苔に包まれていて読み取ることができなかった。
舟戸川地蔵
 ここを歩いていると一人の男性が立っておられて、「街道を歩いているのか?}と話かけてこられた。この方とはその後で再会することになった。
 166号線の高架下を通って進み、166号線に一旦合流、その先で166号線から右へ分岐、更にすぐ先で道は二股に分かれているのでこれを右へ直進すると、左手に「庚申碑と地蔵尊」を祀る祠がある。資料によると自然石の正面に「庚申青面金剛明王」と刻まれているようだ。
庚申青面金剛
 太良木川に架かる渡月橋を渡って進むと、左手に石仏2体を安置する祠がある。
渡月橋石仏
 この辺りは店はもちろん自販機も全くない、水がなくなってしまって困ったなと思っていると民家の前で二人の方がおられたので、水をいただけないかとお願いすると、男性の方が水道水でよければと快く引き受けてくれた。その方を見ると、先ほど街道を歩いているのかと話しかけてきた男性だった。思わぬ再会だった。
 波瀬本陣がある。ここは元和元年(1662)のころから使われており、現在の建物は慶應3年(1867)に波瀬組庄屋の中村甚之進が建てたものという。
波瀬本陣
 その横に脇本陣だった田中家がある。ここは登録有形文化財に指定されている。
波瀬脇本陣
 左手に「波瀬神社」がある。ここは菅原天神、天照皇大神、大山祇命などが祀られており、20年に一度本遷宮が行われるそうで、前回は2009年11月に行われたという。13時3分にここを通る。
波瀬神社
 「泰運寺まで1.7km」と書かれた標識が立っているすぐ先左手に「庚申堂」がある。
泰運寺
 その先で道は二股に分かれているので166号線から左へ分岐し、大きく迂回して進むと、左手に「庚申堂」がある。
庚申堂1
 橋を渡るが、その手前右手に「右 いせ道」と刻まれた道標がある。 資料によると「右 すがの 左かうや道よしの」とも刻まれているようだ。
右伊勢道
 166号線に合流すると、食堂が一軒あったので、ようやく昼食にすることができた。時間は14時。さすがに空腹だったので助かった。どうにも空腹に弱いのだ。
 食堂を出て166号線を進んでいくと、左手崖に組み込まれるようにして石仏を安置する祠がある。
石仏小祠
 その先で166号線から左へ分岐、その先で166号線に合流、次の二股を166号線から分岐して右へ進み、すぐに再び166号線に合流する。
 その先で166号線から左へ分岐して進んでいき、大定峠へと向かう。峠の入り口には床屋さんがあることで、すぐに分かった。床屋さんのすぐ先の坂道を上って峠に入っていくのだ。
床や
 14時57分に峠の入り口から山の中へ入っていったのだが、いきなり道がない状態になっていた。資料では最初のところは歩くことができるようになっているはずなのだが。。
大定峠
 それでも何とか藪をかき分けながら登って行ったのだが、道は全く失われている。無理をして藪漕ぎをして進んでも、どのくらい時間がかかるかわからない。最終バスの時間に遅れるともうアウトと思って、峠を越えることをあきらめて166号線を歩くことにした。
 166号線は単調なので黙々と歩いていくと、森のバス停があった。時刻表を確認すると最終は17時19分だ。現在の時刻は15時46分。これでとりあえず松坂駅まで行くバスには間に合うことになってほっとする。ただバスの時間にはまだ時間がたっぷりあるし、バス停は166号線沿いにあるはずなので、先へ進むことにする。
 左手に「黒龍神社」がある。ここには巨木の夫婦杉があるようだ。15時51分にここを通る。
黒龍神社
 左手に「大定峠」の出口と思われる道があったが、ここはしっかりとした道になっている。
大定峠出口
 「上り」というバス停があり、ここから166号線から分岐して右へ直進すると、「七日市本陣跡」の標識が立っているところがあり、ちょっとした広場になっていた。
七日市本陣
 左手に「法華塔」がある。資料によると文化5年(1808)に建立されたという。
法華塔
 166号線に合流して進むと、左手に「橋地蔵」がある。資料によると「為 橋上往来水難除 先亡溺死菩薩」ときざまれているようだ。
橋地蔵
 左手少し高いところに五輪塔が二基ある。資料によると一基は高僧が入定されたものと言われているそうだ。ここは周囲の木が伐採されていたので見つけることができた。
五輪塔二基
 左手にたんぽぽの丘という施設があり、その一つ先から166号線から左へ分岐して進み、その先で166号線に再び合流する。
 左手に石仏がある。
左 石仏
 更にその先左手に石仏を安置する祠が二つ並んでいる。
石仏祠二つ
 17時12分に粟野農協前のバス停に着く。バスの時間は17時31分だった。バスに乗ると途中かなりの場所まで乗客は私一人だった。

 本日の歩行時間   9時間47分。
 本日の歩数&距離 51172歩、31.6km.
 本日の純距離    28.5km。(途中、道を間違えず、寄り道をしないで街道だけを歩いた距離)

旅の地図

記録

プロフィール

かっちゃん
歩人
かっちゃん