伊勢南街道(和歌山街道)を歩く

2019年10月30日(水) ~2019年11月23日(土)
総歩数:279550歩 総距離:180.1km

2019年11月19日(火)

大和上市~幸の神神社

                  晴れ

 今日から二回目の歩きになる。最初は明日朝から歩くつもりにしていたのだが、この時期は日没が早いので、今日のうちに少しでも歩いておこうと思うようになった。ただ、大和上市駅の近辺には宿がないので、今日は橿原神宮前駅の近くに宿をとっており、歩き終わった後、もう一度大和上市駅まで戻ってこなければいけない。しかしアクセスはコミュニティバスが走っているだけで、路線が複雑でわかりにくく、バス停の場所とバスの時間がよくわからない。しかも本数もかなり少ないようだったので、気を付けて歩かないと駅に戻ってくることが厳しくなりそうだった。そのため駅のバスの待合室におられた方に色々お聞きして、とりあえず吉野北小学校まで歩くことにして14時35分に歩き始めた。ところが先ほどの方が後を追いかけてこられて、もし何か困ったことがあったら連絡をしてくださいと言われて、ご自分の携帯の番号を教えてくれた。この思わぬご親切には感激してしまった。お聞きするとこの方も街道歩きをされておられるそうで、東海道を歩き終わったので、次は中山道を歩くつもりにされているといわれていた。是非頑張ってください!

 169号線に平行して旧道は伸びている。
 左手に「大師山寺」の参道があり、新四国八十八か所の看板が立っている。看板の奥に道標のような石柱が立っているのだが、看板が邪魔をして何と刻まれているのかわからなかった。ここは奈良時代に開創された聖武天皇勅願寺の妙法寺を延享2年(1745)に桜町天皇が再興したという由緒あるお寺のようだ。
大師山寺
 この辺りはいかにも旧道といった雰囲気が漂っている道だ。
旧道
 右手に「蛭子宮」がある。
蛭子宮
 左手に「延命庚申堂」があり、境内にちょっと読み難いが安政2年?(1855)と刻まれているように見える常夜燈が立っている。
延命庚申堂
 一旦169号線に合流、すぐ先で169号線から左に分岐して直進すると、突き当りに「大名持神社」がある。ここに資料によると「右 川上 左 いせミち」と刻まれた道標がある。
大名持神社道標
「大名持神社」は創建は不詳だが、延喜式神名帳に記載されている古い神社で、境内には文化3年(1806)や文化5年(1808)といった常夜燈が立っている。15時20分にここを通る。
大名持神社1
 妹山の麓に鎮座しており、妹山は「忌山(いみやま)」とも称されて現在まで木を伐らない禁忌信仰が残っていることから、妹山を神体山とする原始信仰が創祀になると推測されている。
この木を切らないという信仰によって、原生林が良好に保存されており、妹山樹叢として国の天然記念物に指定されている。
大名持神社2
 ここから左折して進み、28号線に合流する。
 右手に小祠がある。
右手に小祠
 37号線と分岐する信号のところで道は三又になっており、この真ん中の道を進む。静かな集落の中を進んで行くと、右手に「龍門文庫」がある。ここは吉野の事業家だった故阪本 猷氏が収集した国文学、日本史、仏典、漢籍などを保存、公開しているという。
龍門文庫
 吉野北小学校迄来ると、ここにコミュニティバスの停留所があり、大和上市駅行のバスが16時14分に出ることになっている。まだ少し時間があったので、近くにおられた方に次のバス停の場所をお聞きすると、すぐ先にあるという。しかも同じ系統のバスということだったので、次のバス停まで行ってみることにした。ここは「津風呂湖北口」というバス停で、その前に「幸の神神社」がある。バス停の時刻表を確認してみると、次のバスは17時19分までない。吉野北小学校のバス停とは系統が異なっていたのだ。そのため今日はここで歩き終わることにした。時間を見ると16時4分なので、ここから吉野北小学校のバス停まで戻ろうと思っていると、通りかかった車が止まり、女性の方がどうされたのですか?と声をかけてこられ、駅まで送ってあげましょうと言ってくださったので、ご厚意に甘えさせて頂くことにした。
 今日は歩き始めた時に声をかけてくださった方といい、この方といい、とても親切にしていただいてありがたかった。

 本日の歩行時間   1時間29分。
 本日の歩数&距離  8472歩、5.6km。  

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