甲州街道を歩く

2007年04月15日(日) ~2007年04月23日(月)
総歩数:326591歩 総距離:222km

2007年04月18日(水)

上野原~鶴川~野田尻~犬目~下鳥沢~上鳥沢~猿橋~駒橋~大月~下花咲~上花咲~下初狩

                                曇りのち雨

 今度の旅は天気が悪い日が多いため、天気予報には特に注意を払う。今日は午後から雨ということだったので早めに出ようと準備をし、7時からの朝食を待つ。朝食はバイキングということを聞いていたので、7時少し前に食堂に行ってみるともうかなりの人が列を作って待っていた。皆さん仕事で来られているような感じの方ばかりだったが、こんなに宿泊客がいるとは思わなかった。入り口から順番に料理を皿に取りながら進むので時間がかかる。こんなときに私のせっかちな面が顔を出してくる。10分、、15分なんて一日の行程から考えるとどうということはないのだが、なぜか焦ってくる。そのくせ料理は皿一杯に盛って満腹になるまで食べるのだ。我ながらなんともチグハグである。この性格は一生直りそうにない。

7時35分出発する。上野原本町歩道橋のところで道は三つに分かれるので左へ進む道を歩く。鶴川にかかる鶴川橋を渡ると8時丁度に鶴川宿を通る。
上野原宿から25分 2922歩。

 道は上り坂が続く。集落はあるもののかなり高い山の中だ。寒波が襲ってきているといっていたが確かに肌寒い。今日も気温はかなり低そうだ。

 野田尻宿本陣に9時丁度に着く。
 鶴川宿から計ったように丁度1時間だった。6458歩。
ここも山の中である。静かだ。ここでしばし小休止する。
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 野田尻宿を出て少し行くと道の両側に桜が咲いている。盛りは少し過ぎているものの満開だ。やはり気温が低いのだろう。九州では3月の最後の週から4月の最初あたりが花見の時期なので九州と比べるとかなり遅い。
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 萩野の一里塚がある。日本橋から二十里目で北側の塚が残っている。
 やがて矢坪坂に差し掛かる。細い険しい道だ。座頭転ばしと呼ばれているところで、深い谷を挟んだカーブの上を道は通っている。昔、盲人の一行がここを通った際、先頭の者の声を頼りに後ろの人が歩いていたので、先頭の盲人がここで谷に落ちたため、後ろからついてきた者がそのまま谷底に落ちてしまったということからこの名前がつけられたという説明書きがあった。鬱蒼とした林の中の道はそういう昔を偲ばせるものがあった。
P4100045-1
 10時02分犬目宿を通る。「明治天皇御休所址」の碑があったのでここでカウントする。
野田宿から1時間2分5601歩。
 ここを過ぎてしばらく行くと日本橋から二十一里、20番目の君恋一里塚がある。ここは南塚だけが残っており、植えられていた松は枯れているが塚の原型はとどめていた。

 上野原町と大月市の境界を示す標識を過ぎると道は一気に下り坂になる。山を越えたのだ。こうして歩いていると大月市が山に囲まれた盆地であることが良くわかる。下るにしたがって住宅が次第に増えてくる。中野入り口というバス停で国道22号線に合流すると途端に交通量が一気に増え、騒音が耳につく。これまで歩いてきた山の中の静寂が懐かしい。

 11時15分JR鳥沢駅前を通る。資料では下鳥沢宿の跡となっているがどこが跡なのかわからなかった。

 11時22分 上鳥沢宿本陣跡を通る。ここには「明治天皇駐蹕地」の碑がある。
 犬目宿から1時間20分 8017歩。

 しばらく歩き国道の桂川に架かる新猿橋の手前で右の小道に入る。ここに猿橋がある。この橋は橋脚を使っていない珍しい構造で、岩国の錦帯橋、木曾の桟と日本三奇橋といわれているそうだ。

 今日はなぜか途中から写真を全く撮っていない。後になってこうして当時を振り返りながら書いていても、何故撮らなかったのかその理由がわからない。とかく気分屋で気合が乗らないと全くだめな私の典型的な一面を表している一日かもしれない。少々反省。

 12時19分 JR猿渡駅を通る。ここも猿渡宿の跡だったそうだが場所はわからなかった。
 上鳥沢宿から57分 5827歩。

 12時41分 駒橋バス停を通る。ここも同様に駒橋宿があったようだがわからなかった。
 猿渡宿から22分 2333歩。

 大月市街地に入ると商店が並んでおり、人通りもある。大月駅の近くで昼食を取り再び歩き始めると雨がポツポツと落ちてくる。

 13時35分 大月宿本陣跡を通る。ここにも「明治天皇御召還所跡」の碑が立っている。
 駒橋宿から1487歩の距離だ。

 13時57分 下花咲宿本陣跡を通る。ここにも「明治天皇花咲御小休所」の碑が立っている。
 大月宿から22分、1619歩。
 この本陣跡は星野家で嘉永5年(1852年)に再建をされた建物で国の重要文化財に指定されている。

 このあたりは宿の間隔が非常に近く、一つの宿場といってもいいのではないかと勝手に思った。
 それとここに限ったことでもないが、明治天皇の巡幸跡が数多く残されている。これは明治に入って天皇のイメージを直接民衆に浸透させるために天皇の巡幸が行われ、その中で明治11年に北陸・東海、明治13年に中央道地方への巡幸が行われた際の跡だ。それにしても当時これだけの距離を巡幸される天皇も大変だっただろうと思った。
 雨が本降りになってきた。国道を歩いていると車が水しぶきを上げて走っていく。こればかりは防ぎようがないので半ば開き直って歩く。

1 5時01分 下初狩本陣跡を通る。
 ここは慶応年間(1865~1868年)の建築で立派な門構えを残しており奥脇家となっている。

 下花咲宿から1時間4分6951歩。

 今日の宿は本陣跡からすぐ近く、初狩駅のすぐ前にあった。15時08分到着。

本日の歩行時間 7時間26分
本日の歩数&距離 41629歩(約28.3km)