熊野古道・伊勢路(熊野街道)を歩く

2011年03月20日(日) ~2011年03月26日(土)
総歩数:255609歩 総距離:186.1km

2011年03月21日(月)

栃原~三瀬谷

                       曇

 今日はかなりの雨になるという予報だったので、一日休む予定にしていた。朝起きてみると予報どおり雨が降っているが、さほど強くはない。朝食を済まして様子を見ていると、どうも止みそうだ。これだと歩くことが出来そうだと思ったが、JRは8時台に一本あってその次は10時35分しかないので、それで栃原まで戻ることにする。中身を置いて出たのでカバンが軽くて楽だ。
 11時に昨日歩いた新田の信号の先から歩き始める。新田踏切でJRの線路を横断、線路沿いの山際の道を進んでいく。
 栃原と神瀬との境界である不動谷は宮川にせり出した山々によって作り出された谷間でここを通る道は昔からの難所であり、谷間伝いに大曲を余儀なくされたことから「バカ曲がり」と呼ばれたという。道は平坦だったが、寂しい道で、以前は昼間だけの茶屋が一軒店を開けていたという。
 馬鹿曲踏切でJRの線路を横断して進む。幸い雨は止んだようだが寒い。42号線に合流、神瀬の信号で42号線から分岐して右斜めへ進む。左手に神瀬の多神祠があり、「山ノ神」「皇大神宮」「津島大王」「庚申」を安置している。
多神神祠
 その先で本来の熊野古道は猿木坂を下り、谷を渡って楠ケ野へ向かっていたようだが、現在古道は寸断されているので、明治40年にできた眼鏡橋(神瀬橋)を渡って進むと資料に書かれているので、それに従って進む。
眼鏡橋
 42号線に接するが、合流せず、直角に右折して進む。茶畑の中を進み、その先でJRの線路を越えるが、この場所は現在は踏切がなくなっていて通れなくなっていた。左手をみると少し先に踏切があったので、そこまでいこうかと思ったが、まぁいいかと思って線路を横断する。その先で突き当たりを右折するが左手前方にあった踏切からこの場所に道は合流しているようだった。すぐ先で左折して茶畑の中を通っていくが、この辺り標識がなくて分かりにくかった。茶畑の一番上まで行って見たが、どうもここではなさそうなので、少し戻り、来た方向から行くと畑の中に左折する道があるので、これを進んでみると、その先に道路があるが、金網で遮断されていて道路に出ることが出来ない。困ったなと思いながらみていると、金網の一部が出入り口になっているようで、端を針金で留めていることが分かったので、これをはずして道路に合流、針金を元通りにして、右折して進む。その先でそのまま進んでしまったが、広場のようになっていて、先へ進む道がない。右手へ進んでいくと茶畑があり、そこから左右に道が伸びているので、これを右折していくと道があり、どうやらこれが古道のようだ。一応確認のため、右へ道を戻ってみると、先ほどの道に合流した。良くみるとその地点に標識が立っていたが、先ほど丁度この場所を通るときにダンプカーとすれ違ったので、この標識に気がつかなかったようだ。ここから元に戻って先へ進む。
 右手に墓地があるところの先から左折、浅間踏切でJRの線路を横断して42号線に合流するが、すぐ先で右斜めへ分岐する。下楠集会施設のところに古い道標が立っているがなんとか書かれているか読み取ることは出来なかった。
古い道標
 右手に「下楠の常夜燈と六字名号碑」が立っている。
下楠の常夜燈と六字名号碑
 下楠の踏切でJRの線路を横断して進む。道はきれいに舗装されているのだが、人も車も通らない静かな道だ。左手に川添駅があるので、ここでトイレを使う。とにかく寒い。道なりに進んでいくと、右手に「粟生八柱神社」がある。
粟生八柱神社
 三谷川に架かる三谷橋を渡り、高奈踏切でJRの線路を横断、更に樋口橋を渡って42号線に合流する。「お地蔵様と石碑」が並んで立っている。
お地蔵様と石碑
 昔、武蔵坊弁慶が紀州からの旅の途中、腰をかけ、疲れを癒したという「弁慶岩」がある。
弁慶岩
 熊野詣の人々が道中の安全を祈願したという「道中安全祈願地蔵」がある。「三界万霊」「右さんぐう道九里」「左さいこくなちさん二十八里」と刻まれているようだ。
安全祈願地蔵
 左手に石材店のあるところから、右へ山の中の道へ進み、JRのガード下を通る。定峠の案内板が立っている。女鬼坂峠を越えて二番目の峠で頂上付近に二軒の茶屋があったという。観音堂跡の案内板があるが、遺構は何も残っていない。右手に「八柱神社」がある。ここは二十年に一度境内の木を使って社を建て替える遷宮が行われるという。
八柱神社
 42号線を横断して進むと、右手に「慶雲寺」がある。慶長10年(1605年)に八代伊勢国司北畠具教の家臣、三瀬左右祐が三瀬氏の菩提寺として建立したという。享保9年(1724)の三界万霊が立っている。
慶雲寺
 左手街道から少し入った所に「三瀬砦跡」がある。戦国時代織田信長に追われた八代伊勢国司北畠具教が三瀬館を構えた際の貴重な砦跡ということだ。
三瀬砦跡
 大谷橋を渡ったところに「大谷不動明王」が祀られており、その横には滝がある。
大谷不動明王
 上三瀬の信号で42号線を横断、その先の上三瀬踏切でJRの線路を横断、すぐ先で左折して大谷川に架かる小佐原橋を渡り、右手に三瀬谷小学校があるところから右折、佐原橋を右に見ながら進んでいくと、右手に「三瀬谷神社」がある。ここには元禄6年(1693)の鳥居が立っており、境内には巨木が立っている。
三瀬谷神社
 ここに今日宿泊している宿があるので、ここで今日は終わりとする。本当はもう少し先まで行きたかったのだが、この先は三瀬坂峠を越えて滝原駅までアクセスがないので、ここでやめることにして15時7分に宿に入る。
 今日は4時間ほどしか歩かなかったが、この日歩いた効果が最後に出て、26日で歩き終えることができたのだ。

 本日の歩行時間   4時間7分。
 本日の歩数&距離 23896歩、14.8km。