熊野古道・伊勢路(熊野街道)を歩く

2011年03月20日(日) ~2011年03月26日(土)
総歩数:255609歩 総距離:186.1km

2011年03月22日(火)

三瀬谷~三瀬谷坂峠~ツヅラト峠~紀伊長島

                     雨後曇

 6時50分に出発するが、小雨が降っている。街道は宿のすぐ前を通っているので歩き始めるには好都合だ。もっとも以前の街道は八柱神社の近くから宮川を渡っていたようだが、現在は渡しがなく、橋もないので宮川をグルっと迂回する形になっている。最初の角を左折、佐原踏切でJRの線路を横断、舟木橋を渡る。ここも水面からかなりの高さがある。
舟木橋
 橋を渡って左折、舗装道を進むが、ここも車の数は少ない。道なりに進んでいき、かぼちゃ谷川に架かる三船橋を渡るが、かぼちゃ谷川という名前は珍しい。なにかいわれがあるのかもしれないが、お聞きする人もいなくてわからなかった。
周囲の山に霧が下りていて幻想的な雰囲気が漂う。
幻想的な雰囲気
 三瀬坂峠への看板が立っているところから、右へ分岐する。峠の頂上まで750mと書かれた標識に従って山道を登っていく。ここも標識がしっかり立っているので、それに従って進む。かなりの急坂を登っていくと、頂上に「地蔵尊」が祀られている。資料には「宝暦地蔵」と記されているので、宝暦に建立されたのだろうが刻まれている文字を読み取ることは出来なかった。
頂上に「地蔵尊
 頂上を過ぎると今度は急な坂を下るが、雨で道が濡れているので滑らないように注意しながら下っていく。42号線に合流するところに新宮まで126kmの標識が立っており、峠の入口からここまでに47分かかっている。
 42号線に合流してすぐに三叉路があり、その真ん中の道を進んで、その先の信号で42号線を横断して進むと、左手に「滝原宮」がある。ここは内宮(皇大神宮)の別宮で、天照大神が伊勢に落ち着く前に祀られていたという。宮域は44haと広大で、巨木が林立していて、神秘的な雰囲気が充満している。
滝原宮1滝原宮2

 祝詞川に架かる祝詞橋を渡って進むが、この名前も神様の関連を感じさせる。出谷の信号で42号線に合流するが、すぐ先で右へ分岐して進む。
 その先で再び道は二股に分かれているので、左へ進む。このあたりも「近畿自然歩道」と書かれた標識が立っているが、熊野古道と同じようでもあり、異なるようでもあって良く分からなかった。街道を歩いている人間として勝手なことを言わせていただくと、「熊野古道」というような統一した名称を使ってもらうと分かりやすいのだが。
近畿自然歩道
 右手に大きな岩があり、その下に小祠がある。岩がガマのような形に見えるのは気のせいか?
大きな岩
 大宮小学校と大宮中学校が並んで建っているところを進んでいくと、前方に42号線が見えるところから道は二股になっているので、右へ下る。すぐ先左に「鈴木牧之ゆかりの地」の看板が立っており、その横に地蔵尊を安置した祠と石碑が立っている。鈴木牧之は江戸時代後期の商人、俳人でこの地で歌を詠んだと説明されている。
鈴木牧之ゆかりの
 42号線の下のトンネルを通って、その先で42号線に合流するが、更にその先で左へ分岐する。阿曽踏切でJRの踏切を横断して進むと、左手に「石灰華」がある。噴出した鉱泉から沈殿して塊状になった炭酸石灰から出来ており、その形状から「がまいし」と呼ばれている。石灰華がこのように形成されて露出しているものは国内でも少ないという。
石灰華
 奥河内川に架かる小川橋、大内山川に架かる落瀬橋を渡って進むと、右手に本堂に十一面観音が安置されている「阿曽観音堂」がある。境内には享和3年(1803)の石仏や安永5年(1776)の六十六部廻国塔がある。
阿曽観音堂
 42号線に合流するが、大内山川が左へ曲がるところから道は二股に分かれており、左へ川沿いに進む。ここにも「近畿自然歩道」の標識が立っており、藤ケ野公民館の前に新宮まで118kmの標識が立っている。
 その先で再び42号線に合流、跨線橋でJRを越え、大内山川に架かる岩船橋を渡ると左手に大紀町のモニュメントが立っているので、ここから42号線から左へ分岐して進む。
 左手に「津島神社」がある。弘治3年(1557)に疫病が流行、村民の多くが亡くなったため、農民作右衛門が尾張国の津島神社へ参拝、神霊を勧請してこの地へ神殿を造営したという。
津島神社
 その先右手に「宝蔵寺」がある。ここの境内には樹齢450年という檜が立っており、また伊勢路の道標が移設されている。
宝蔵寺
 ここから右折し柏野の信号で42号線を横断、資料では南出橋で大内山川を渡るようになっているが、南出橋は取り壊されていたので、その先の柏野大橋を渡る。ここで昼食にするが、今日も宿で作っていただいたおにぎりだ。おにぎり3個だとゆっくり食べても15分もあれば十分なので、食べ終わってすぐに歩き始める。垣内尻踏切でJRの線路を横断し山際の道を進むが、ここでも鶯のかわいい鳴き声が聞こえる。
 右手に「大皇神社」がある。ここは承久2年(1220)に大皇大明神として創建され、明治4年に大皇神社と改称されたという。境内には巨木が数多く立っている。
大皇神社
 見事な枝垂桜がある。花が咲いた頃はきれいだろうと思ったが、開花にはまだ少し時間がかかりそうだ。
枝垂桜
 その先右手に大蓮寺がある先から左折して進み、宮原第一踏切でJRの線路を横断、笠木川に架かる笠木橋を渡って川沿いに進む。右手に「庚申堂」がある。
右手に「庚申堂」
 紀勢自動車道の高架下を通り、一ノ谷踏切でJRの線路を横断、その先でJRのガード下を通って進んでいくと道は二股に分かれているので左へ進んで坂津橋を渡って42号線に合流する。このあたり高速道路の建設が進んでいる。その先で右折して進むと、「近畿自然歩道」の標識が立っている。左手に国昌寺の石碑が立っているところから右折すると、「国昌寺」があるが、ここの境内には楠の巨木が立っているのでこれが目印になる。
国昌寺
 川沿いに進んで行くが、この川も水がきれいだ。駒瀬橋を右に見て左へ進み、その先で42号線に一旦合流、42号線に併行した側道を進む。右手に「庚申堂」があり、嘉永5年(1852)の石灯籠が立っている。
嘉永5年(
 新不動野橋の手前から左折、川沿いを進んでいくと「内山一里塚」がある。かっては松の木が道の両側にあったそうだが、昭和57年に枯れたため、現在は二代目が植えられている。一里塚碑の前に石仏が置かれている。
内山一里塚
 この先で道は山道になる。檜林の中の静かな気持のいい道だ。熊野古道はここのように檜林か杉林が圧倒的に多い。これは古来からの林ではなくて、近年になって植林した林がほとんどなのだろう。
道は山道
 江尻橋南の信号で42号線を横断して進むと右手に「中組常夜燈」がある。明治6年に伊勢市河崎に置かれていた常夜燈を頭の宮参詣道と熊野古道の分岐点であるこの地へ移設したという。奥に見える鳥居は頭の宮神社のものだ。
中組常夜燈
 42号線に合流して進み、左手の民家の軒下に「大内山大師堂」があるところから左へ分岐する。その先で一旦42号線に合流、すぐ先で再び左へ分岐する。
内山大師堂
 左手に「菅谷不動尊」があり、すぐ横に小さな滝が流れている。
菅谷不動尊
 梅ケ谷の信号で42号線を横断して進むが、今日の予定を考えた時、この近くにある梅ケ谷の駅まではまず来ることができるが、その先のツヅラト峠を越えることが出来るかどうかちょっと分からなかったので、もし越えられないようであれば、ここからJRに乗ろうと思っていた。時計を見ると14時半を少し回ったところだ。この時間ならば大丈夫だろうと思って先へ進む。朱行谷踏切でJRを横断して進むが、この左手に梅ケ谷駅があるのだ。川口前橋を渡るが、すぐ横に地蔵堂がある。
横に地蔵堂
 舗装された広い道を進んでいくが、車の数は少ないので歩きやすい。寺浦橋、中野橋を通って突き当たりを左折、下里橋を渡り、栃古橋の手前から左折して歩行者用道を進む。ここにツヅラト峠への「歩行者用道 1400m」という標識が立っている。
歩行者用道
 山道を進んでいくが、丸太を組み合わせた橋があったりして、注意をしながら登っていく。
丸太を組
 一旦舗装された道に合流するが、高野橋の手前から標識に従って再び山道に入る。ここに新宮まで102kmの標識が立っており、そのすぐ先に「旧熊野街道ツヅラト峠登口」の石碑が立っている。峠は標高357mだ。中世の熊野街道はこの峠を越える道が主流だったが、江戸時代になると荷坂峠を越えるコースが主流となったという。しかしその後も伊勢路に出る最短コースとして利用され続けたという。
ツヅラト峠登口
 ここには伊勢路道標が100m間隔に設置されており、分母も記されているので、全工程の中で今自分がどの辺りにいるのかがわかってよかった。この峠は分母が18なので全長1800mということだ。
伊勢路道標
 急な坂を登っていくと頂上に出る。眺望が開けて気持がいい。この峠が伊勢と紀伊の国境だった。ゆったりとした風土の伊勢から神仏、霊魂の支配する国熊野に入るが、峠を境にして自然までもが一変する。滝・豪雨・原始林・波濤といった熊野特有の大自然の様相は峠を越えた途端、旅人を現実社会から理想、非現実世界へと誘ったと説明されている。
頂上に出
 ここから今度は急坂を下る。ここは中世に築かれた石畳や石垣が随所に残されている九十九折の急坂で、それがツヅラト峠の名前の由来になっているという。「野面乱層積」がある。これは自然石を積み上げたもので、現在でも昔の姿を残している。
野面乱層積
 「山の神」が祀られている。
山の神
 「石道」が残っている。自然石を組み合わせた中世のままと思われる石道だ。ただ、現在では岩がゴロゴロしている感じで歩き難い。昔はもっと整備されていたのだろうか?
石道
 坂を下ったところに「ツヅラト石道登り口」の石柱が立っている。ここで峠を越えたことになるが、登り口から1時間3分が経過している。
ツヅラト石道登り口
 右手に棚田の跡をみながら進むとようやく舗装された道にでるが、峠は標識がしっかり随所に立っていて、地図がなくても十分歩くことができるようになっていた。新宮まで98kmの標識が立っている。いよいよ100kmを切ったのだ。川沿いを進み、左手に墓地があるところから橋を渡り、その先の橋で再び橋を渡って元へ戻るようにして進むが、ここにも標識が立っているので、それに従って進む。左手に「庚申堂」がある。
左手に「庚申堂」
 そのすぐ先の突き当たりを左折、422号線に合流、田山川に架かる角田橋を渡って進む。長島橋まで来たところで今日の宿に電話をする。宿は片上池のほうにあり、少し離れているのだが車で迎えに来てくれたので助かった。

 17時32分に長島橋に到着する。

 本日の歩行時間   10時間42分。
 本日の歩数&距離  52135歩、40.1km。