北陸道(福井~高田)を歩く

2011年10月07日(金) ~2011年10月17日(月)
総歩数:518812歩 総距離:342.7km

2011年10月15日(土)

青海~糸魚川~梶屋敷~能生

                                      雨のち曇り

 天気予報では今日はかなり強い雨が降るということだったので、予定を変更、糸魚川に二泊することにする。雨の中を歩くのは嫌なのだ。朝起きてみると確かにかなり激しい雨が降っているし、風も強いようだ。最悪、今日一日ホテルでゆっくりするかと思いながら、食事を終って外を見ると、雨が少し小降りになっていたので、歩けるところまで歩こうと思い立って出発する。
 糸魚川から昨日歩いた青海駅まで戻り、8時3分に出発する。街道に合流した左手に「史跡 加賀藩青海宿本陣 清水家跡」の碑が立っている。
清水家跡」
 そのすぐ横に「青梅村道路元標」が立っている。
 左手、名引公民館前に「順徳天皇聖蹟」碑が立っている。
 街道は土曜日の朝、雨の中ということもあってか、人通りはなく静かだ。
 田海川に架かる田海川橋を渡って進むと、街道松が何本か残っている。
 静かな一本道を黙々と歩いていく。雨は降り続いているものの、さほどひどい降りではない。
 姫川に架かる姫川橋を渡り、セメント工場の敷地を迂回するようにして進んでいくと、左手に「秋葉神社」がある。安永6年(1777)にこの地で火事があり、陣屋をはじめ七間町まで類焼したことから、翌年ここに神社を勧請したという。境内には黒松が立っていて、街道の目印になったという。
秋葉神社
 糸魚川の中心街に入ってくると、町家の軒先からひさしを長く張り出し、その下を通路として、積雪中でも人々が通行できるようにした雁木が目につく。実物をみるのは初めてだ。いかにも雪国に来たという実感をもつ。
雁木
 左手に「加賀ノ井酒造」があるが、これが本陣で、承応元年(1652)に施設ができ、小林家が管理にあたったという。百万石を擁する加賀藩の参勤交代は二千人の規模だったそうで、宿泊や往来の警備等は大変だったようだ。
加賀ノ井酒造
 左手に「相馬御風」の生家がある。御風は明治から昭和に至る文壇で活躍をした人で、特に良寛の研究者で知られていたという。新潟県の史跡になっている。
相馬御風
 右手に「琴平神社」がある。ここは元禄7年(1694)に糸魚川領主だった有馬永純が菅原道真公(渡唐天神)と火の神(秋葉明神)を勧請して創建されたと伝えられているという。一時廃絶したが、文化9年(1812)藩主直益によって再興されたという。嘉永3年(1850)の石灯篭が立っている。
琴平神社
 ひたすら一直線の道を進んでいくと、押上の信号を渡ったところ、左角に複数の「五輪塔」が立っている。資料によるとこのあたりに「一里塚」があったようだ。
五輪塔
 大和川を渡ったところ右手に「国造神社」がある。資料では元禄年間に勧請と記されているが、境内の石柱には天保12年(1841)建立、平成22年再建と刻まれた石柱が立っていた。
国造神社
 線路の向こう側に「奴奈川神社」がある。延喜式に記載されている奴奈川神社に比定するむきもあるというが、古い神社だ。嘉永5年(1852)の宝篋印塔が立っており、西隣には古墳時代の玉造り遺跡がある。
奴奈川神社
 そのすぐ先、やはり線路の向こう側に「大雲寺」がある。ここは慶安4年(1651)、安政3年(1856)にともに火災で焼失、元治元年(1864)に再建されたという。
大雲寺
 早川に突き当たるので左折して進むと、左手に「明治天皇御駐輦之碑」が立っている。
 早川に架かる早川橋を渡ると、左手に「順徳院御駐輦之碑」がある。
 8号線を進んでいくが、車が多い。特に見る物もなく、海岸線を歩いていくが、「久比岐自転車、歩行者道」の看板があったので、それにしたがって右へ行ってみると、その道があり、8号線に並行して進んでいるので、これを歩いていくことにする。ここは車もほとんど通らず、快適な道だった。
 能生の町に入ると、右手に地蔵尊一体を安置する「地蔵堂」がある。
 さらにそのすぐ先、右手に「秋葉神社」がある。
 ここをすぎると、その先は有間川までアクセスがないので、今日はここまでとして糸魚川に引き返すことにする。幸い途中から雨は止んだので、歩くうえで助かった。
 13時5分に能生駅に到着する。

 本日の歩行時間   5時間2分。
 本日の歩数&距離  30442歩、23.4km。