北陸道(福井~高田)を歩く

2011年10月07日(金) ~2011年10月17日(月)
総歩数:518812歩 総距離:342.7km

2011年10月16日(日)

能生~名立~有間川~谷浜

                                           曇り

 7時58分に能生駅に着き、歩き始めるが、今日は風が強い。
 能生宿の本陣は村田家(後大嶋家)で菊屋旅館のあたりと資料に記載されているが、遺構はなく、わからなかった。
 右手、坂を上って行ったところの右手に「光明院」がある。ここには糸魚川市指定文化財となっている、「十一面観音立像」が安置されているそうだ。白山神社がかって白山大権現といわれていたころに、神社前の中山寺に祀られていたもので、越後横道三十三観音の八番札所であったという。その後、光明院に移り、現在に至っているという。
光明院
 道をはさんだ前に「実相寺」がある。ここは加賀藩主が参勤交代の時に参拝をしたところで、入り口の巨木の横に元文5年(1740)の「法界塔」が立っている。
実相寺
 能生の街中を進んでいくと、左手に「白山神社」がある。ここの本殿は三間社流造一間向拝付 こけら葦で、永正11年(1515)の創建されたもので、流造としては地方では珍しい規模を備えており、重要文化財に指定されている。境内には寛保3年(1743)の常夜塔が立っている。
白山神社
 8号線に合流したところの左手に「弁天岩」がある。
弁天岩」
 ここからしばらく8号線を歩いたのだが、能生道の駅があるところで、8号線に並行している山沿いの道があることに気が付き、これに合流する。ここは昨日歩いた久比岐自転車歩行者道で、以前走っていたJRの線路をサイクリングロードにしたそうで、糸魚川~上越まで32㎞あるということだ。
 道の駅の少し先に「トットコ岩」がある。「トットコ」は糸魚川地方の方言で、鶏のことをいい、このあたりから見ると、ちょうど鶏に似ていることからこの名前がついたという。伝説ではこの岩は佐渡から大ダコが運んできたものという。
トットコ岩
 今日は強風が一日中吹き荒れていて、海は波が高い。冬の日本海はもっと激しいのだろう。
 右手に筒石観音堂、その横に水嶋磯部神社がある。
 筒石の集落を過ぎると名立まで人家はなく、海岸線を走る8号線に並行している久比岐自転車歩行者道を黙々と歩いていく。391mの大抜トンネルを通るが、JRのトンネルの跡だ。
 右手に「江野神社」がある。ここは延喜式式内社で、ここの祇園祭は上越市指定文化財になっている。
江野神社
 「名立寺」がある。ここは名立宿の本陣だったところで、「明治天皇名立行在所跡」碑が立っている。度々火災にあい、現在の社殿は昭和10年に再建されたものという。
名立寺
 「浄福寺」があり、この門前から民家の裏側に細い道がわずかに残っており、これが旧道だったという。
 右手に「宗龍寺」がある。ここは永禄2年(1559)に創建されたお寺だが、寛延4年(1751)の名立崩れで海中に押し出されたという。その百年余の後、異様な海鳴りに気付いた漁師たちによって、明治初年ごろに海中から引き揚げられた安土桃山時代以前の作といわれる「竜宮の鐘」がある。
宗龍寺
 右手に「無縁塚」がある。これは宝暦元年(1751)上越市高田が震源地の高田地震によって引き起こされた、名立崩れによって失われた四百余名の犠牲者の供養塔だ。
無縁塚
 その先「サイドパーク名立 →2㎞」の看板が立っているところから右折して山の中の道へ進む。
サイドパーク名立
 このあたりの道は目印がないので、わかりにくく、当初突き当りのT字路まで行って左折したのだが、しばらく歩いて行って、道を間違っていることに気が付いて引き返して歩き直す。旧道は突き当りの一つ手前の道を左折しなければならないことがこれで分かり、さらに87号線を横断して進む旧道の入り口も、歩き直すことによってわかった。ところがその旧道を進んでいったのだが、途中で鎖で遮断されている。
鎖
 ただまだ道は続いているので先へ進むと、次第に藪状態になってきた。それでも藪をかき分けながら進んだのだが、もう進めそうにないので、87号線まで戻って、さてどうしようかと思っていると、近くの畑に地元の方がおられたので、道をお聞きする。その方によると今私が進んできた道が旧道なのだが、最近では誰も通らないので、おそらく歩くことはできないだろうということだった。後でGPSで歩いた軌跡を見てみると、後100mほどがんばれば、藪を抜けることができたようだ。
 仕方がないので、最初に間違って進んだ道を再度進み、途中から旧道に合流することにした。
 農道を進み、その先で左折して集落の中へ入っていくと、右手に「明治天皇茶屋原御小休所跡」碑が立っている。
天皇茶屋原御小休所跡
 これで旧道に合流することができたと思っていると、地元の方がおられたので、道をお聞きすると、旧道を案内してくれることになり、軽トラックに載せていただいて、「乳母嶽神社」前を通って案内をしていただくことができた。神社の先で道は急に途切れており、最近はここは誰も通らないということをその方も言われていたので、歩くことをあきらめた。
乳母嶽神社
 元に戻って進むと道は二股に分かれているので、右へ進むと3体の地蔵尊を安置する「地蔵堂」がある。
 すぐ先で道は二股に分かれているので、ここを左折、吉浦川に架かる吉浦川橋を渡る。坂を上った所に地蔵堂があり、1体の観音坐像と石碑が安置されている。
 坂を下っていき、右手に有間川保育園があるところから右折、有間川に架かる有間川橋を渡り、467mの長浜トンネルを通る。
 長浜西バス停から左折して進むと、右手少し入ったところの階段の上に「阿比多神社」がある。ここは延喜式内社で、順徳天皇が佐渡へ流されたときに、この神社に立ち寄られたという。その折に北野天神の御像を奉納されたため、以来、菅公を合祀することになったという。
阿比多神社
 左手に谷浜駅を見ながら進み、今日の宿に16時40分に到着する。今日は風が強くて、何度も帽子を飛ばされそうになり、途中から帽子を脱いで歩いた。

 本日の歩行時間   8時間42分。
 本日の歩数&距離  50789歩、33.7km。