日向街道〈豊後道)を歩く

2009年10月29日(木) ~2012年12月26日(水)
総歩数:340834歩 総距離:211.5km

2009年11月20日(金)

高鍋~新富町~本庄川~高岡

                                    曇り

 ホテルの朝食は7時からだったが、6時半からにしてもらって7時に出発する。
 後で感じたことだが、この30分がとても大きな効果を発揮した一日だった。
中央通の信号から歩き始め、宮田川に架かる欄干橋を渡ると道は3本に分かれており、旧道は左側の道を進むようだが、その先で道はなくなっているようなので、右斜めの道を進む。高鍋の町はここで終わって、道は山の中へ入っていく。
 ダラダラとした一本道の上り坂を歩いていくが、空気が冷たい。
 やがて44号線に合流しこれを歩いていくと、右手に富田小学校追分分校がある。丁度通勤の時間帯だからなのだろうか、44号線は車が多く、歩道がない。
 一直線の道を暫く歩いていくと、44号線が右に大きくカーブをしているところがあり、そこに左へ下る道があるので、これを進む。この道に入ると急に車が少なくなり、ホッとする。
左へ下る道が 
 右手にのぞみ幼稚園があるところで、道は二股に分かれているので、右手の道へ進む。山の中の道を進むと自衛隊新田原基地に突き当たる。旧道はそのまま基地の中を通っているのだが、現在では歩くことができないので、左へ迂回して進む。広い基地だ。
自衛隊新田原基地 
  グルッと回って、先ほど歩いた旧道の延長線上に当たるところに、左折する道があるのでこれを進むと集落があり、その中を進む。
旧道の延長線上
 集落の中に金比羅宮があったが、社殿はまだ新しかった。
 そのまま進んでいくとやがて集落を抜けたところで道は二股に分かれている。前方に墓地が見えるのでそのまま直進してみると、墓地で道は行き止まりだったので、戻って右へ下る道を進む。坂を下ると44号線に合流、前に池がある。
 新田新町の信号のところから旧道は右斜めへ進んでいたようだが、今は道が失われているので、そのまま44号線に沿って進み、最初の信号で右折、すぐ先の十字路を左折して、失われている旧道の延長線上に入る。このとき右手にも道があったので、見てみると少し前に小さな川があり、そのあたりから続いていた。旧道の残りなのだろう。
 その先で再び44号線に合流、一ツ瀬川に架かる一ツ瀬橋を渡ろうとしたが、この橋も歩道がない。見ていると車が二台通るとギリギリだ。橋はかなり長く、写真を撮っているときはたまたま車の流れは途切れていたが、かなり車が多い。これは困ったと思っていると、丁度軽自動車が通りかかったので、手を上げて、この橋を渡る間だけ乗せてもらえないかお願いすると、高齢の女性だったが、快く乗せていただき、橋を渡ることができた。日ごろ歩いてこの橋を渡る人はいないのだろうかと思うほど危ない橋だ。
一ツ瀬橋 
 橋を渡りきったところで車を下ろしてもらい、歩こうとしたが、地図と現状がどうも違うようだ。地図では十字路が二本あるように書かれているのだが、一本しかない。暫く迷っていると地元の方がおられたので道をお聞きし、最初の十字路を右折して進む。次ぎの十字路を直進、その先で二股に分かれているところを右へ進む。ここを左へ進むと飫肥街道へと進むようだ。その先の二股も右斜めへ進んでいると、先ほど道を聞いた方が車で追いかけてこられ、道は分かったか?と確認をしていただいた。こういった心配りは本当に有り難い。
 その先で326号線に合流、右折して進む。春田バイバスの高架下を通って進むと新興住宅街のような感じで数十軒の団地が右手にある。坂を上っているとポツリポツリと雨が落ちだした。これはイヤだなぁと思ったがしかたがない。たいした降りではなかったので、傘を出すのも面倒でそのまま歩いていった。今日はこの後もこのようにポツポツと雨が降ったが、幸いひどい雨にはならなかった。
 神武天皇誕生の地と伝えられる佐野原聖地と書かれた標識が立っていたので、それにしたがって街道を外れて行ってみた。しかし標識には距離が書かれていないし、どこがそれなのかわからないので、あまり遠くまで行かずに引き返す。
 街道に戻って歩いていくが、このあたりには小さな祠が多い。佐野原聖地と関係があるのかな?と思ったが、聞く人もいないので分からなかった。
小さな祠 
 別府原橋で高速道路を跨ぐが、この道路はまだ工事中だった。はるか遠くに町が見える。かなり高いところにきているようだ。
別府原橋 
 平坦な道を黙々と歩いていく。一本道なので道を間違っていないとは思うものの、こういう場合、本当にこの道でいいのか不安になる。
 やがて前方に都於郡中学校が見えてきたので、間違っていないことを確認することができた。ここを右折、その先右手に大安寺があったのでいってみたが、特に縁起等の書かれたものはなかった。信徒らしい方がおられたのでお聞きしてみたが、特にないということだった。
大安寺 
 右に池があるところから左折、右手に都於郡小学校が見える。右手にファミリーショップがあり、丁度昼になっていたので、ここでパンを買って昼食にする。このあたりには店はここ一軒だけだった。
 その先右手に「荒武神社」がある。ここは旧都於郡村社と書かれており、このあたりの集落の守り神様だったのだろう。
荒武神社 
 18号線を歩くがここも山の中の道だ。ただこのあたりは歩道があるので歩きやすい。
 左手に「ようこそ西都市へ」という看板と大きな埴輪が立っている。神話の国宮崎らしい。宮崎から来るとここから西都市にはいるのだが、私の場合はここで西都市が終わるのだ。
ようこそ西都市へ 
 茶屋の信号から18号線と分かれて細い道を直進すると畑の中に出る。ここは一面の畑で、縦横に農道が走っている。ここも目印がないので、地図に書かれている農道の数を数えながら間違わないように歩いていく。畑は大根を植えているようで、収穫をしていた。
 畑に入って4本目の左折する道を歩いていく。この道も一直線に伸びている。
 突き当たりを右折して進むと集落があり、その先で坂を下る。二股に分かれているところがあり、右手に国富町水道課の施設があるところを左へ進む。
国富町水道課 
 その先に池が二つあり、二つ目の池の横から右折し、その先の車道を左折、次ぎの二股を右折、あぜ道を通って突き当りを右折、三名川の堤防下の道に突き当たるので、これを左折して進む。
 三名川に架かる陣の下橋を渡り、突き当たりを左折して進むと、右手に「こくぞう様」と呼ばれるお堂がある。創建は弘化4年(1847)で虚空蔵菩薩と弘法大師を祭っているとのこと。平成10年に再建したと書かれている。
こくぞう様 
 集落の中を道なりに進み、ちょっと変形した十字路を直進、更にその先で舗装された道から左折して土道に入り、小さな橋を渡ってすぐに右折、すぐ先で左折、あぜ道を進んでいく。この先に深年川の渡しがあったようだが、今はないので川沿いに戻って、仮屋原橋を渡り、先ほどの渡しのあったところまで戻る形で歩き、高鍋・高岡線に合流する。
 すぐ先左手に坂を上る土道があるのでここを進む。かなり荒れた道だが、一応歩くことが出来るのでこれを上っていき、その先で車道に合流する。
坂を上る土道 
 この先で道を間違えた。国富町六日町の信号で右折して進んだのだが、その手前で右折しなければいけなかったのだ。この段階で既に14時40分を過ぎている。今日の予定では高岡まで行き、そこからバスで宮崎駅まで行ってJRで帰るというものだが、高岡から宮崎駅までのバスは16時25分に乗らなければ今日中に小倉に帰り着くことができない。〈実際はもう一つ遅いバス、JRが共にあったのだが、この段階では宮崎駅を17時30分発の列車が最終だと思い込んでいた)
残りの距離を計算するとギリギリのようだ。これはヤバイぞと思ってかなり焦り始めていたのだ。こういうときこそ気をつけなければいけないのだが、見事に間違ってしまった。普通であればたいした距離ではないので一旦戻って歩き直しをするのだが、そんな余裕はないので、そのまま進むことにした。
 左側に「本庄の古墳群」がある。ここは高塚が60余りあったといわれているが、現在は57基あるという。多くは円墳だが、前方後円墳のほとんどは西の方位に向かっていると説明されている。これは道を間違ったから見ることができたので、不幸中の幸いだった。
本庄の古墳群 
 その先何の目印もない民家の間の細い道を左折して進み、その先の突き当たりを右折すると右手に「八坂神社」があり、すぐ先で左折して進む。
目印もない民家 
 このあたりは旧道は失われているようだが、突き当たりを右折、すぐ先に鉄塔が立っている。
 その先で右手に入る山道があり、これを進んでいく。
右手に入る山道 
 このあたりにも古墳群がある。
古墳群 
 その先で本庄川に突き当たる。ここも現在は渡しがなくなっているので本庄橋を渡るが、ここまでが豊後道と呼ばれるもので、これから先は薩摩道になる。

 15時16分、本庄橋を通る。
 ここまでで8時間16分、48790歩、35.8km。

日向街道(豊後道)総合計
 総歩行時間  48時間50分。
 総歩数    340834歩。
 総歩行距離  211.5km。
 豊前道純距離 202.3km。(途中、寄り道をせず、道を間違えず、街道だけを歩いた場合の距距離


 ここまで来て考えた。バスの時間まで残すところ1時間10分ほどだ。高岡まで歩いて間に合うのだろうか?ここから宮崎駅までのアクセスはなにかないかと思っていると、すぐ先に消防署の建物があったので、聞いてみようと思って行って見た。ところが鍵が閉まっている。反対側に回って見たがここも閉まっている。これで本庄から宮崎駅まで行くということをあきらめ、とにかく高岡まで歩こうと決心する。
 ここから橋を渡って左折、川沿いに歩いて先ほどの旧道の延長線上の場所から右折して進むと24号線に合流、これを横断した先に旧道が伸びているのだが、工事中で歩くことができない。 
 そのため24号線を歩き、少し先で旧道に合流して歩いたが、すぐに山の中へ入っていく。境野峠だ。少し山の中へ入っていったが、道は失われているようで先は藪だ。時間的に余裕があればたいした距離ではないので、藪こぎをして挑戦したかもしれないが、とにかく急いでいる。ここで時間をかける余裕はないので、24号線に戻って進む。24号線を歩きながらどこかで旧道が合流している場所があるはずだと思って注意をしてみていたが、それらしい道はなかった。あのまま突っ込んでいたら大変だっただろうと思った。
 右手に高岡中学校があるところから24号線と分かれて直進、高岡バイバスのガード下を通って進み、何とか間に合ったと思いながらバス停の場所の確認をしておこうと思い、近くにおられた男性の方にお聞きすると、左折して真っ直ぐ行ったところにあるということで、それにしたがって進み、16時10分、無事にバス停に着くことができた。やれやれ間に合った。
時刻表をみると、宮崎駅まで直接行く便と温泉経由で駅までいく便、更に駅までは行かないが近くまで行く便の三本があることが分かった。時間も16時51分がある。事前の調査の段階で宮崎交通の案内へ電話を入れて確認していたのだが、こちらの聞き方もまずかったのかもしれない。これならもう少し余裕があったのにと思ったが、まぁとにかく間に合ってよかった、それにしても今朝30分早く出発できたことが大きかったと改めて思った。
これから先の高城を経由して都城へ至る道は山の中。11月15日から狩猟が解禁になるので危険と言われたため、その間の道は狩猟が禁止になる3月15日以降に歩くことにし、次回は都城から鹿児島まで歩くことにする。

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2012年12月25日、26日で、この区間の旧道ではなく国道を歩きましたので、その結果を次ページ以降に記しております。
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 薩摩街道
今日の歩行時間    54分。
今日の歩数%距離  6880歩、5.1km。

本日の歩行時間  9時間10分。
本日の歩数&距離 55670歩、41.7km。

旅の地図

記録

プロフィール

かっちゃん
歩人
かっちゃん