山陰道〈島根県)を歩く

2010年04月07日(水) ~2010年05月06日(木)
総歩数:394342歩 総距離:281.4km

2010年04月07日(水)

野坂峠~津和野

                      曇

 14時54分に山口県との県境にある野坂峠を越えて島根県に入る。
左手に国道工事記念碑が立っている。鹿足郡寺田から津和野町を貫通し、この野坂に至る国道改修は明治19年に竣工したという。この記念碑が目印で、ここから右へ下る旧道があるので、これを下っていく。
国道工事記念碑 記念碑 

 この道も先日の大雪の影響が出ていて倒木がかなりあったが、道はきれいに整備されており、歩きやすい道だ。所々に石畳の跡が残っている。
この道も 
 元治元年(1864)、慶応2年(1866)の一次、二次長州征伐のおり、徳川幕府方につくことを命じられた津和野藩と長州藩の関係は緊迫したものとなった。特に第二次長州征伐の時は津和野藩に幕府の軍目付が入場したので、対処を誤れば野坂峠上からの長州藩の攻撃で城下は焦土と化す危機に立たされた。その後国境で長州藩と交渉し、軍目付に危害を加えないという約束を条件にして軍目付を引き渡し、長州藩の了解を取り付けて事なきを得たという。
 山道を下っていくと、右手上に「金比羅宮」の赤い鳥居が立っており、その先に津和野町指定天然記念物のタブノキが立っている。
タブノキ 
 その先、突き当りを右折、中屋踏切でJRの線路を横断、突き当たりを左折、すぐ先を右へ進む。
 街道を離れて左折すると「亀井温故館」があり、、更に2012年に生誕150周年を迎える森鴎外記念館や森鴎外旧宅がある。鴎外は文久2年(1862)にこの地で生まれたが、第12師団軍医部長として小倉へ滞在していた時期があり、(このときに小倉日記が書かれた)、北九州在住の私としても森鴎外を身近に感じるのだ。
 右手坂を上ったところに「本性寺」があり、そこには秋田県横手城主小野寺義道の墓がある。義道は関が原の合戦の際、遅参したことで徳川家康の怒りをかい、合戦後、津和野藩主坂崎直盛に預けられた。その後津和野藩主となった亀井氏が度々許しを願い出たがかなわず、そのまま津和野で生涯を終えたという。
本性寺 
 その先に今日の宿があり、まだ時間も早かったので一旦荷物を置いて津和野町内を見学する。
 津和野大橋の手前に「一里松」が立っている。大きく枝を伸ばして悠然と立っているといった風情だ。一里松 
 その横に「津和野郷土館」があるが、ここの門は亀井一族の草刈内紀の屋敷門で安政2年(1855)頃の建築といわれており、郷土館の正門として復元したと説明されている。
津和野郷土館 
 大橋を渡って右折すると、津和野藩主坂崎氏やその後の藩主である亀井氏の藩邸が置かれていた殿町だ。
 すぐ左手に県指定文化財となっている「旧津和野藩家老多胡家表門」が残っている。多胡家は津和野藩の筆頭家老職を藩主亀井家十一代に渡って務めた家柄で、威厳のある武家屋敷門だ。
多胡家表門 
 その前に「津和野藩校養老館」がある。養老館は天明6年(1786)亀井八代藩主矩賢によって城下下中島に設けられたが、嘉永6年(1853)の大火で焼失したため、安政2年(1855)にこの地に再建された。養老館からは西周、森鴎外等の偉人を輩出している。
養老館 
 津和野の町並みは昔のたたずまいが色濃く残っているが、その一方できれいに整備された町並みが続いており、小京都と呼ばれているように気持のいい町だ。
町並みは 
 武家町の殿町に続く通りが町人町の本町で惣門で厳重に隔てられていた。道幅も殿町より本町のほうが狭くしてあった。本町の先が鉄砲町で、江戸時代の足軽屋敷だったところだ。
 鉄砲丁橋から東へ伸びる津和野奥筋往還は那賀郡長安村(現弥生村)や邑智郡日貫村〈現石見町)など津和野藩領の飛び地へと続いている。
 鉄砲町踏切でJRを横断して進むと、左手に「興源寺」がある。ここは津和野城初代城主吉見頼行公の菩提寺であり、吉松仁右衛門、治右衛門、十三郎の檀那寺でもある。頼行公は元応2年(1302)に津和野に移る際、お寺を中の原に移し、興源寺と名を改めている。寛永2年(1625)城下の大火後、上寺田に移転、慶応3年(1867)当地にあった薬徳寺と合併して今日に至っているということだ。
興源寺 
 ここから街道を外れて津和野の町を見てまわることにする。
 「永太院」がある。ここの本堂の裏山には津和野藩主亀井家の墓所がある。正面奥に亀井家の始祖茲矩公の墓があり、初代藩主政矩公の墓は碇石でできていて、これは元寇の蒙古軍船の碇石といわれている。その他山中鹿之助夫人の墓をはじめとして数多くの墓が並んでいる。
永太院 
 また境内には大きな枝垂桜があり、例年見事な花を咲かせているようだが、今日は既にほぼ終わっていた。お寺の奥さんが満開時の写真を見せてくれたが、たしかに見事な桜だった。
枝垂桜 
 「永明寺」がある。ここは応永27年(1420)に津和野城主吉見頼弘公が創建した島根県最古の別格大禅院だ。吉見氏12代、坂崎出羽守1代、亀井氏12代の歴代城主の菩提寺として今日まで続いているということだ。津和野町指定文化財となっており、歴史を感じさせる立派なお寺だ。
永明寺 
 境内に苔むした古いお墓があり、その中に森鴎外のお墓があって、「森林太郎墓」と刻まれている。
森林太郎墓 
 ここから宿へ帰る。

 17時35分、宿に帰着する。

 本日の歩行時間   2時間41分。
 本日の歩数&距離 14167歩、9.8km。

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