山陰道〈島根県)を歩く

2010年04月07日(水) ~2010年05月06日(木)
総歩数:394342歩 総距離:281.4km

2010年05月06日(木)

揖屋~荒島~安来

                     晴れ

 7時14分に揖屋駅に着き歩き始める。今日もいい天気だ。

 右手に「加奈堂」がある。堂の中には三体の地蔵尊が祀られており、ここで戦いがあったときの戦死者の供養のためのものという。「南無地蔵大菩薩」と書かれたお札がここにも数多く貼られている。
加奈堂
 右手に「揖屋神社」がある。ここは出雲地方でも熊野大社(八雲村)と共に最も古く、出雲風土記に「伊布夜(イフヤ)社と記され、日本書紀斉明天皇の条に「言屋(イフヤ)社」の名前で登場しているという。本殿は大社造りで、五色の八雲、極彩色の神事の障壁画が扉に描かれており、天保6年(1835)や安政2年(1855)と刻まれた石灯籠が並んでいる。
揖屋神社
 その先で道は二股に分かれているので、左へ進むが、ここにも標識が立っていた。その先で五叉路があり、右斜めへ進んでいくと前方に土道が伸びていて間違いやすいが、ここは左折して舗装された道を進む。
前方に土道
 坂を上って一山越えた先の最初の十字路を右折する。ここの角にも標柱が立っており、「→ 下意東」となっている方向へ進む。このあたり旧道は舗装道とは異なるところを通っていたようだが、地元の方にお聞きすると現在は歩くことができないということだった。
標識が
 左手に「須賀神社」がある。前方に海が広がっており、海に突き当たる一つ手前の道を右折して進む。ここは下意東の町で古い面影が残っている集落だ。
須賀神社
 右手に「第12代横綱 陣幕久五郎生誕地」というあまり大きくない石碑が立っている。
第12代横綱
 意東川に架かる前田橋を渡り、「ここは松原です」「出雲街道」と書かれた標柱が立っている十字路を横断して進む。
 右手に小さな荒神社があり、その横に「陣幕久五郎」の大きな碑が立っている。久五郎は文政11年(1829)に下意東村に生まれたという。
陣幕久五郎
 左手に県営住宅があるところで9号線に合流する。
 今日も日差しが強く暑い!全国的にもこの3日間は異常な暑さだったというが、歩いているととにかく暑い!日焼けで顔や手は真っ黒になってしまった。左手に中海が広がっていていい眺めだ。
左手に中海
 日白の信号から9号線から分岐して左斜めへ進むと、左手に「兎山下観音堂」がある。これは願主仲佐養琢の名前から養琢堂と呼ばれ、元禄13年(1700)創建と書かれているが、観音像の背の銘には元禄17年(1704)と刻まれているということだ。いずれにしても元禄年間の石像文化財は珍しいということだ。横に一字一石塔が立っている。
兎山下観音堂
 右手に「月形神社」がある。荒島八幡宮に伝わる古文書によると、このあたりは海が荒れ狂うので荒島と言われ、住民は大変苦しんだ。そこに黄金の兎が現れ、日と月の神様にお願いすれば荒波を鎮め、人々の難儀をお守りしてくださるといって姿を消したので、人々は早速日形大明神(天照大神)、月形大明神(月読命)をお祀りすると、荒波は静まり、平和な日々が続くようになったという。
月形神社
 右手に大東公会堂があるところから右折、9号線を横断し、荒島踏切でJRの線路を横断して進む。左手に「広田亀治」の碑が立っている。「亀治米」といわれる新品種の稲を生み出した人だという。
 右側に「地蔵堂」がある。元禄13年(1700)と刻まれている。
地蔵堂

 180号線に合流する一つ手前から左斜めへ進み、ガード下を通って進むと、左手に「歳徳神」がある。
歳徳神
 その先で線路を横断するがここには踏切はなかった。その先で道は失われていたので、再び赤川踏切でJRの線路を横断して進む。田頼川に架かる田頼橋を渡り、その先の赤江踏切で再度JRの線路を横断、飯梨川に架かる飯梨橋を渡って左折、すぐ先で土手を下って進む。この道は殿様道と呼ばれていた旧道ということをご近所の方に教えていただいたのだ。
 伯太川に架かる安来大橋を渡って右折、すぐに土手を下って左折して進むと、右手に「安来一里塚」がある。ここは現存する三つの一里塚の一つだ。ここは東の雲伯国境から三つ目、西の松江城下から数えると五つ目になる。松は昭和56年に枯れたため伐採され、現在二代目の松が植えられている。
安来一里塚

 次の信号を右折、木戸川の横に「地蔵堂」がある。この地蔵像の右側には「従是清水道」左側には「坂本迄四拾丁」と刻まれている。
従是清水道
 大市場商店街の中を通って進むが、古く立派な家が建っている。
 右手に安来中郵便局があるところから左折すると「並河家」が左側にある。ここは天明3年(1783)に建てられたもので、市の文化財に指定されている。
並河家
西小路の信号で9号線に合流、右折して進み、日立坂下の信号のところにお茶屋があったという。
 既に安来市内に入っているが、安来という地名の起こりはその昔、スサノウノ尊が国境を定めるため、この地に立ち寄られたとき、わが心安らけくなりぬと言われたことから安来となったと出雲国風土記に記されている。
 右手に「語臣猪麻呂像」が立っている。郷長語臣猪麻呂の娘が浜辺で遊んでいるとき、鰐ザメに襲われ命を落とした。猪麻呂はその仇を討とうと村人の協力を得て四日四晩かけて鰐ザメを射とめ娘の霊を慰めたという。鰐ザメを鉾で刺し、晒した形が月の輪という弦月形に似ていたことから月の輪神事として現在まで受け継がれているということだ。
語臣猪麻呂像
 右手に安来駅を見ながら進み、その先左手にあるドラッグストアーの横から左斜めへ進む。このあたりで友人二人から続けて「暑いだろう」という電話が入った。たしかに暑い。
 その先、道は二股に分かれているので、これを右へ進むと、左手に魚津神社があり、その先で9号線に合流する。その先黒鳥の信号で右折して9号線から分岐、黒井田踏切でJRの線路を横断、左折して進み、黒鳥集会所の先から道は二股に分かれているので、右斜めへ進む。道は土道になり、山を上って行く。このあたりから先は旧道の場所が分からず、歩くことが出来る道を歩いたという感じだ。山を下って二つ目の十字路を右折、右手に池をみながら進むと334号線に合流するので、これを左折、左手に池があるところから左斜めへ進んでいくと右手に宮神社「宮神社」がある。旧道はこの宮神社のところで私が歩いた道と合流しているようだが、それらしい痕跡はわからなかった。
その先で257号線に合流、踏切を渡らず直進、線路沿いに進む。
 右手少し入ったところに「大歳神社」がある。ここは「雲陽誌」にも記されている神社で宝永8年(1711)の棟札が蔵されているという。
大歳神社
 門生踏切でJRの線路を横断、更に門生の信号で9号線を横断、左手に門生公会堂のあるところの先から右折してあぜ道を進む。突き当たりを左折、小川に沿って進み、次の橋で小川を渡って進む。このあたりも旧道は失われているようだ。
 一旦9号線に合流、JRのトンネルの上を回るようにしてJRを越えて進むと左手に「支布佐神社」がある。ここも延喜式に記載された古い神社だ。
支布佐神社
 御茶屋川踏切でJRの線路を横断、その先で9号線に合流する。

 島根県と鳥取県の境にきたので、ここで島根県の山陰道を終わることとする。

 13時20分  島根県の山陰道を歩き終わる。

 本日の歩行時間   6時間6分。
 本日の歩数&距離 30255歩、21.9km。

 今日はこの後、鳥取県に入って淀江まで進んだが、それは鳥取県の山陰道として後日掲載させていただきます。

 山陰道〈島根県)総合計
 総歩行時間  73時間56分。
 総歩数    394342歩。
 総歩行距離  281.4km。
 山陰道(島根県)純距離 255.5km。(途中、寄り道をせず、道を間違えず、街道だけを歩いた場合の距離)


 

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