羽州街道(南新庄~油川)を歩く

2012年05月17日(木) ~2012年06月09日(土)
総歩数:638862歩 総距離:450km

2012年05月17日(木)

南新庄~新庄

                                         曇り

 九州から移動し、16時15分に南新庄駅を出発する。
 13号線を進み、13号線が左にカーブするところから13号線から右へ分岐して直進する。
 左手に「如法寺」があるが、ここは元亀2年(1571)の創立と伝えられており、この地を治めていた清水大蔵大輔の菩提所となっている。本尊の聖観世音菩薩は大蔵大輔奥方の念持仏で、建立に際し下賜されたものという。
如法寺2
 すぐ先、右手に入ったところに「鳥越八幡神社」がある。ここはもと荒小屋村にあって荒廃していたが、寛永15年(1638)に初代新庄藩主戸沢政盛の養子定盛が、鷹狩に出た折に神威を感じて社殿を建立したのが始まりで、この地方では最も古い建物の一つという。本殿は鎌倉期の建築様式を取り入れた流造りであり、拝殿は元禄4年(1691)二代藩主正誠の建立で、本殿拝殿ともに国指定重要文化財になっている。境内には樹齢300年以上といわれる夫婦杉の巨木が立っている。
鳥越八幡神社2
 13号線を横断した先、右手に「鳥越一里塚」があって、ブナが植えられている。ここは南側の塚は失われているものの、県内で原型をとどめる数少ない一里塚跡だ。その横に新庄城下南入口の標柱が立っている。
鳥越一里塚2
 地下道でJRの線路を越えて進むと、左手に「按引寺」があり、入り口に「まかどの地蔵」がある。これは宝暦5年(1755)の大飢饉の際の餓死者を弔うため、村人が建立したもので、全長2m30cmもある大きな地蔵尊だ。両脇にも180cm前後の地蔵尊が祀られている。
まかどの地蔵2
 按引寺は元和8年(1622)に良本上人が建立したもので、現本堂は明治42年に再建されている。所蔵されている木造阿弥陀仏坐像は県指定有形文化財に指定されている。
 金沢橋を渡ったすぐ右手に「長泉寺」があり、木造の文殊菩薩坐像等の新庄市指定文化財が所蔵されている。
長泉寺2
そのすぐ先右手に「松厳寺」がある。ここは以前永昌寺と称していたが、貞享2年(1685)に松厳寺と改称した。戸沢家菩提所五ケ寺の一つで二代正誠公内室が葬られている。
松厳寺2
 その先で32号線に突き当たるので、右折して進むとアーケード街がある。この辺りが新庄の中心街で、城大手門へ通じる道の入り口を境にして南本町と北本町に分かれており、それぞれに南本陣、北本陣があったという。新庄は最上地域の政治、経済、文化の中心地で、近世を通じて戸沢氏六万八千石の城下町だった。
 突当りに善龍寺があり、ここを左折、すぐ先を右折とここは枡形になっている。
 右手に「吉川町天満宮跡」の標柱が立っている。
 その先の新庄口踏切でJRの線路を横断して進む。
 右手に「一里塚跡」の標柱が立っており、その奥に「出世稲荷」がある。ここは昔、瑞雲院の住職が酒に酔って帰るとき、度々緋の衣をつけた和尚に呼び止められたことから、これは狐の仕業と思って石の祠を祀ったのが始まりという。また、ここは出世を願った丁稚小僧が日参しながら、一生懸命に働いたところ、その願いが叶えられて、店を持てるようにまでなったことから出世稲荷とも呼ばれているという。
一里塚跡出世稲荷

 18時20分、上茶屋町バス停で今日は終わり、今日の宿泊場所である新庄駅の近くのルートインまで引き返す。

 本日の歩行時間   2時間5分。
 本日の歩数&距離  12464歩、9km。