中山道を歩く

2007年05月11日(金) ~2007年05月30日(水)
総歩数:840178歩 総距離:571km

2007年05月22日(火)

福島~上松~須原~野尻~JR野尻駅~JR上松駅

                                    晴れ

 朝食代わりに昨日買ったパンを食べて7時20分に宿を出発する。少し歩くと塩淵の集落に入る。ここの公民館の前に塩淵の一里塚がある。そこから先に少し行ったところでまた道を間違えてしまい引き返すことになる。旧国道から離れ、坂を上ったところで直進しなければいけないところを左に上る道を歩いてしまい、国道19号線を越えて山のほうへ行ってしまったのだ。どうにも地図を読む力が弱いようだ。おかしいなと思いながらも道を聞く人がいない。ようやく会社があり、そこに人がいたので入って道を確認することができた。
 なんとか本来の道に戻り、明治43年中央線が開通したときに作られたというトンネルを歩く。今は道路になっているが、当時は列車が通っていたのだ。道は国道から離れ、杉林の中に入っていく。静寂という言葉がぴったりくる静けさだ。このあたりから山の間に雪をかぶった御嶽山を見ることができる。東海道は富士山だったが木曽路は御嶽山がシンボルだ。
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 鳥居が立っていて御嶽遥拝所となっていたので行ってみたが杉の木立に囲まれていてここでは見えなかった。

 「木曾沓掛の一里塚」がある。この塚の上に沓掛馬頭観音が立っている。ここは木曾義仲の名馬を祭っている。
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 この名馬は人の言葉がわかったそうで、義仲が木曾の桟の絶壁を通りかかったときに目算で「七十三間飛べ」と号令をかけると馬は命ぜられるままに正確に七十三間飛んだ。ところが実際は七十四間あったので、人馬ともに河中に転落してしまった。義仲は九死に一生を得たが馬はなくなったので、義仲は金の観音像を作って馬の菩提を弔った。それがこの観音像であると説明書きがあった。
 ここまでは撮影できたのだが、このあとカメラの調子が悪くなった。どうしてもピンボケ状態になるのだ。困ってしまったがどうすることもできないので写真を撮ることをあきらめる。昨日の電池切れ、そして今日の故障とカメラのトラブル続きだ。
 案内所でもらった資料には「観音さまの前から見る「木曾の桟」のながめステキですよ。」と書かれている。確かに眼下に木曾の桟がよく見える。
(折角頂いた資料なのでこれ以降、資料に書かれている馬籠宿までの文章の一部を赤字で引用させて頂くことにします。実際はもっと詳しく、もっと詳細に書かれています。)

 やがて道を進んでいくと木曽川の谷が狭くなったところに木曾の桟がありその前に赤い橋がかかっている。
 桟は「橋を渡って対岸から景色をごらん下さい」と書かれているので、赤い橋を渡って見る。桟は川を渡る橋ではなく、川に平行して断崖に作られた道のことだ。昔の人の苦労が偲ばれる場所だ。
 ここから先は「歩道がなく歩きにくい。(150m位い)国道の横断等注意して下さい。平成木曽路の難所です。」ということで、すぐ横を車が飛ばして通り過ぎるのでかなり怖い。

上松宿の入口は旧い町並みが残っている。ここは上松宿の中で唯一火災から免れたため昔の姿が残っているということだ。小学生だろうか、何人かが道に座り込んで街道を写生していた。
 9時25分上松宿本陣跡を通る。
 福島宿から2時間5分、12659歩。
 ここの本陣跡は塚本という歯科医院が立っている。やがて上松駅の近くにある今日の宿に着き、荷物を預け、お茶をもらって一休みする。
 今日の予定地野尻宿には宿がなく、一つ手前の須原宿にはあったものの満室と断られたため、野尻まで歩いた後、JRで宿の取れた上松まで帰ってこなければならなくなってしまったのだ。
 宿を出るとすぐに旧道に入る。やがて多勢屋、越前屋という旧い造りの家の前に出る。多勢屋は昔の茶屋で現在は民宿となっており、越前屋は蕎麦屋で現在はこの下のほうで営業をしているそうだ。この二軒の間を通って寝覚ノ床へ向かう。入場料200円を払って中にはいると見晴台から木曽川の流れを見ることができる。空の青さと水の青、そして岩の白さが見事なコントラストを描き出しており、自然の素晴らしさが満喫できる。カメラが使えないのが残念だ。
 上松中学校があり、その前を通っていると左手に中央アルプスが見える。頂上あたりは少し雲がかかっているが、それでも中々に壮観である。
 更に進み国道に合流してしばらく行くと、左手に小野の滝がある。その上をJRの線路ができたので、滝としての迫力が減少したと説明書に書かれていた。
 再び国道から分かれて旧道に入る。
「昔風の立派な家がある土蔵の脇をぬけると道は細い草道になる。(くるみ坂)いい景色デ~ス。」
 JR倉本駅から踏み切りを渡り再び旧道に入る。古い民家が残っており、いかにも旧道という雰囲気だ。
「倉本駅より左に入った所、中山道がここち良く残っています。ぜひお通りを」
 国道に戻ったところにドライブインがあったので入って昼食にする。店の人が私の格好を見て「今日はどこまで歩くのか」と聞いてきた。歩いている人がよく立ち寄るのだろう。
 ここから国道に戻ったり、旧道に入ったり、踏切を渡ったりを何度も繰り返す。
「このあたり柿の木が多い。おさるさんがいる。国道あたりまで出てくることもありますよ」

 のぞきど高原の案内板があり、そこから右側の旧道砂利道を歩いていくと木曽川につり橋が架かっている・
「木曽川になが~いつり橋がかかっています。♪山のつり橋♪どなたが通る~~♪」
 面白そうだったので途中まで橋を渡ってみた。こんな橋は日常ではめったに渡ることができないので珍しかった。

 13時29分須原本陣跡を通る。
 上松宿から3時間59分、20382歩。
 ここから少し行ったところに定勝寺があり、参拝する。とてもいい雰囲気のお寺だった。
「木曽路の名刹です。美しいお寺です。お立ち寄り下さい。」
 やがて道筋にカメラ屋さんを見つけたので、入ってカメラを見てもらうと、これは部品がやられている可能性が高いので修理をしなければだめだろうといわれる。しかたがないのでとりあえずのつなぎとしてバカチョンカメラを購入する。私の携帯電話は万歩計が着いているがカメラは装備されていないのだ。日ごろカメラなど必要としないのでなんら不便を感じなかったのだが、このときはさすがにカメラが着いていればなぁと思った。
 後日談だが旅が終わってカメラの修理をしようと思ってメーカーに電話で問い合わせをしたところ、バッテリーの接触部分を拭いてみてくださいといわれ、その通りにするとなんと直ってしまった。こんなことならおかしくなったときに電話をすればよかったと思ったが後の祭りだった。
 伊奈川橋を渡ったところから、道は大きく左に曲がり山の奥のほうへ進んでいく。地図を見るとこの先に保育園があり、そこからグルッと回って戻ってくるような感じになっているのだが、
こんな山の中に保育園があるのだろうか、どこかでまた道を間違えたのではないだろうかと不安を覚えながら歩いていくと、無事保育園にたどり着き、ここから右折すると「天長院」がある。
 ここは木曾家祈願所だったそうで、寛文年間(1662年~)に現在の地に移転したということだった。ここの庭にかわいらしいお地蔵さんが沢山並んでいる。
「愛らしいお地蔵様が笑ったり、泣いたり、おこったりしてあなたをお迎えします。」
 ここで買ったばかりのカメラでパチリ。やはりカメラがあるといい。
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 JR大桑駅を右に見ながら国道19号線を進むと道の駅大桑があったので休憩する。
「ひと休み、ど~ぞ。トイレ・食事OK」
 ここで壁を見るとJRの時刻表が張ってある。なにげなく見てみるとなんと!上松方面へは14時53分の次は17時13分までない。今すでに15時だ。これは困った。ここから駅まではそんなに距離はないようなので間もなく着くだろう。そうすると駅に着いた後はすることがない。
 せめて今日の日記など書こうと思ったが、ノートはカバンの中で宿に置いてきている。書く紙さえない。そこでレジにいた女性に訳を話して、何でもいいから白紙をもらえないだろうかとお願いをしてみると、選挙のときに使ったのだろう、「必勝」と印刷された日本酒を包む紙を持ってきてくれた。この裏紙は白紙なので十分に使える。ありがたくいただき再び歩き始める。

 15時37分野尻宿は標識がないので「明治天皇御小休所碑」をカウントの対象とする。
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 須原宿から2時間8分、11101歩。
 ここからJR野尻駅駅はすぐ近くだった。駅に着くと案の定列車はないし、駅は無人駅で何もない。
 日記の準備をして良かったと思う。ここで1時間半ほどを日記を書いたりしながら時間を費やす。

上松の宿には17時30分に帰り着く。

本日の歩行時間  8時間17分
本日の歩数&距離 45313歩(約30.8km)

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