中山道を歩く

2007年05月11日(金) ~2007年05月30日(水)
総歩数:840178歩 総距離:571km

2007年05月23日(水)

JR上松駅~JR野尻駅~三留野~妻籠~馬籠~落合~中津川

晴れ

上松駅を7時52分のJRで出て野尻駅に8時17分に着く。
旧道を歩いて中山道第13踏切でJR線路を渡る。右手にはダムがある。少し行ったところで中山道第14踏切があり.ここで再びJR線を横切る。八人石橋の手前で国道に出ると.橋のところに「ここから南木曽町」という表示がしてあり、標高489mとなっている。昨日上松が588mとなっていたので100mほど下ったことになる。これから少しずつ下っていくのかなとのんきに考えていたが、現実は大違いで今日もまだまだ登りは続いていた。橋を渡ると,すぐに国道から分かれ左手の道を一旦上り、熊野神社のところから再び下って国道とJR線路を横断する。
 柿其橋が架かっている。このあたりは「南の寝覚め」と呼ばれる花崗岩の大岩がゴロゴロしているところだ。昨日、寝覚めの床ではカメラが壊れていて写真が撮れなかったのでここで写真を撮る。
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 ここから国道に合流する。車の流れが急に激しくなるがここは歩道が整備されているので歩きやすい。
 前方を見ると両側から山が迫ってきており、そのわずかな隙間を木曽川が流れている。この羅天から与川までが木曽路屈指の難所だったということが良くわかる。
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江戸時代の木曽路名所図会に‘野尻より三留野までおよそ二里半、道は深き木曽川に沿い、せまき所は木を切り渡し、つた・かづらにてからめてその巾をおきない、馬にも乗りがたきはなはだ危うきところあり、お気おつけめされい‘と書き添えてあったとか・・・・・・。
 10時38分三留野本陣跡前を通る。
 上松宿から2時間21分、14923歩。
 ここにも「明治天皇行在所記念碑」が立っている。
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 三留野宿は明治14年の大火災で家屋74軒、土蔵8軒が焼けたと説明書に書かれていた。74軒が焼けるというとすごい火災だ。宿場は全滅に近かったのではないだろうか?
 三留野宿あたりから道は山の中に入っていく。神戸坂というかなり急な坂を上っていくとかぶと観音があり、その前に「ふりそで松」がある。かぶと観音は木曾義仲が兜の中に納めていた十一面観音を祀っている。ふりそで松は義仲が弓を射ろうとしたとき、松の木が邪魔になったので巴御前が着物の袖を振って松の木を倒したといわれている。それにしても巴御前という女性、そんなにすごい豪傑だったのだろうかと興味が湧く。
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 「上久保の一里塚」を通る。南木曽町には十二兼、金知屋、上久保、下り谷の一里塚があったが、今残っているのはこの上久保だけであると説明されていた。
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 妻籠宿の入口に鯉石というものがある。中山道三名石の一つだそうだ。大きな鯉の形をしていたが、明治24年の濃尾大地震で頭の部分が落ちてしまった、ということだったが、どうみても鯉には見えなかった。
 妻籠宿に入ると、そこは道を挟んで昔ながらの建物が立っており、当時の雰囲気が色濃く残っている。ここも重要伝統的建造物群保存地区に指定されている。宿場は観光客が多く、賑わっていた。前方を見ると下り坂になっており天気がいいので遠くに山が見え、その向こうの空がきれいだった。
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 11時57分妻籠本陣跡を通る。ここは「夜明け前」によると青山寿平治が庄屋をしており、寿平治の妹お民が馬籠宿の青山半蔵のもとへ嫁いできて島崎藤村を生んでいる。半蔵の次男で藤村の兄は、この妻籠の青山家へ養子になっている。
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「脇本陣林家「奥谷郷土館」ぜひお立ち寄りを。案内のおばさまのお話がおもしろ~い。」
「江戸の昔にタイムスリップしたみたい。ほっとする家並みです。」
 ここでやまかけそばとほうば寿司の昼食を食べ、妻籠宿を抜けてしばらく行くと大妻籠集落に来る。ここも昔ながらの家並みが続いている。
 出口に大妻籠の一里塚がある。庚申塚と共用されており、かなりの高さがある。
 ここから更に上り坂を行くと男滝、女滝がある。
「古中山道を通って男滝、女滝をごらん下さい。吉川英次作「宮本武蔵」の舞台の一つです」
 宮本武蔵の中にこの滝のことが出ているそうだが、もう何十年も前に読んだままなので全く記憶がない。ただ、滝の近くまで来るとヒンヤリとした冷気が気持ちがいい。最初に男滝を見、次に女滝を見て、女滝の横にある急な坂道を登って上に出ると国道だ。
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 ここを左折すると間もなく右手に石畳の登り坂がある。
「川の瀬音を聞きながら・・・・、ここち良い林の中の道です。」
 ここでこの旅で初めて蛇に出会う。これまであれだけ山の中を歩いていたのに全く蛇と出会わなかったが、今日を境としてこの後何匹も蛇に出会った。高度が下がってきて、気温も上がってきたからだろう。それにしてもできれば出会いたくないものだ。

 ここから一気に登って13時50分馬籠峠頂上に着く。
「少々きつい所もありますがどうぞごゆっくり歩いて下さい。」
「この峠道を和の宮様も宮本武蔵もやじさん、きたさんも、そして「夜明け前」の青山半蔵も藤村も歩いたのです。」

 標高801mの表示板が立っている。妻籠宿が標高410mなので約400mほどを一気に登ったことになる。
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 頂上では茶店がありそこの自販機で冷たいお茶を飲んだが、ここにはゴミ箱がないので各自ゴミは持って帰るようにという張り紙がしてあった。こういうことは大切なことで各自が環境に対する意識をしっかりと持って行動する必要があると思う。
「峠の頂上です。海抜800m。後ろは高い木曾の山々、前の方は‘平らな野原が多い‘と藤村が書いた美濃(岐阜県)の平地へと下っていきます。」
 ここから一転して下り坂になり、標高650mのところで大きく視界が開ける。左手に恵那山が見え、素晴らしい眺めだ。FH000009-1
 14時33分馬籠本陣跡を通る。
 妻籠宿から2時間36分、8740歩。
 馬籠宿の本陣は「夜明け前」では藤村の父である青木半蔵が庄屋を務めていた。今は島崎藤村記念館になっている。
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 この宿は坂道に沿って並んでおり、ここも大勢の観光客、それも東南アジア系の観光客が多かった。それと妻籠宿にもいたのだが絵を描いている人が多数いた。絵画教室の人たちかと思って聞いてみると、画家が全国から集まってこの二宿で絵を描いているそうだ。
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 馬籠から落合までは下り坂。信濃美濃の国境である一里塚があり、十曲峠と呼ばれる石畳の道が続く。しばらく石畳の道を歩いていて思いっきり右足をくじいてしまった。丸い石を踏み違えたのだ。グキッと音がして、その場に座り込んでしまった。一瞬骨が折れたのではないかと思ったほど痛かったが、幸い骨に異常はなかったようで、しばらく休むと何とか歩けるようになったので助かった。こんな山の中で歩けなくなったら大変だ。

 これで木曽路は終わったのだなと思いながら、
 15時30分落合宿本陣跡を通る。
 馬籠宿から57分、5396歩。
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 落合宿をでてしばらく歩き、善昌寺の前を直角に左折し、国道19号線を二度越えた後、また上り坂になる。もう登りはないと思っていたので与板立場跡までのこの登りは、それほど長い距離ではなかったにもかかわらずめちゃくちゃきつかった。落合から中津川までの4.1kmをクタクタになりながら歩いた。

 16時30分中津川本陣跡に着く。
 落合宿から1時間、6279歩。
 今日の宿はこの本陣のすぐ後ろにあったので疲れた身にはとても助かった。
 昔はこの宿は本陣の一角を占めていたそうだ。
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 疲労がかなり積み重なってきていたのでマッサージをお願いする。宿の方が親切な方で、知り合いのマッサージ屋さんに営業終了時間の後に無理をいって入れてもらった。
 マッサージ屋さんは宿からすぐ近くにあった。このマッサージ屋さん、「指圧の心、母心」で一世を風靡した浪越徳次郎さんに手ほどきを受けたといっていたが、随分懐かしい名前が出てきたものだ。一時間ほぐしてもらうと身体が軽くなった。これで明日からまたしばらく大丈夫だ。

本日の歩行時間  8時間13分
本日の歩数&距離 47578歩(約32.4km)

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