中山道を歩く

2007年05月11日(金) ~2007年05月30日(水)
総歩数:840178歩 総距離:571km

2007年05月28日(月)

関が原~今須~柏原~醒井~番場~高宮

                                    晴れ

 今日も好天。黄砂もなくすがすがしい朝だ。気温も低いようでヒンヤリとした冷気が身体を包む。
 7時45分に出発する。左手に松尾山が見え案内版がある。あの小早川秀秋が陣を敷いた山だ。自らの謀反が関が原の戦いの帰趨を決め、その後の徳川幕府成立に大きな役割を果たしたわけだが、彼自身は関が原のわずか二年後に死去している。当時どのような気持ちで決断を下したのだろう?インタビューでもしてみたいものだ。
 不破の関跡がある。ここは道から民家の庭の中を通っていくようなところで、そこには壬申の乱のとき、天武天皇が兜を掛けたといわれる兜掛石や沓掛石もあった。関が原の戦いといい壬申の乱といい、時代こそ違え天下の大乱が同じ場所で発生したということも考えてみれば興味深いことだ。
 常盤御前の墓がある。常盤御前は源義朝の愛妾で義経の母だが、平清盛から強引に寵愛を受けるようになった。牛若丸が鞍馬山を脱出したことを知った彼女は牛若丸の後を追うが、この地の土賊に殺されてしまう。里人がこれを哀れんで供養したと説明されている。考えてみればなんとも数奇な運命、戦国の世とはいえ薄幸の人だったように思われる。
 やがて今須峠を越える。ここは冬場は相当な積雪になるという。現在では道も舗装されており、特に何ということもないが当時は相当な難所だったそうだ。

 8時45分今須宿本陣跡を通る。
 関が原宿から1時間、6194歩。
FH020018-1
 今須宿を過ぎると車返坂がある。南北朝時代に公卿であり、歌人だった二条良基が、荒れた不破の関の板の間から覗く月が風流と聞いて、その月を見るためにここまできたが、修復されたということを聞き、ここで引き返したことから、この名前がついたといわれている。優雅というべきか酔狂というべきか。なんとものんびりしたものだ。
 寝物語の里というところがある。ここは近江と美濃の国境で、それぞれの境に番所や旅籠があり、壁越しに「寝ながら他国の人と話し合うことができた」ので寝物語という名前が生まれたと説明されている。
 今日も旧道を歩く。松並木、かえで並木の通りを過ぎて
 9時33分柏原宿に入る。
 今須宿から48分、5219歩。
ここは本陣跡がわからなったので脇本陣跡でカウントする。
FH020017-1
 この後も国道21号線と並行して走る旧道を歩く。
 一里塚碑を左手に見ながら進む。ここもやはり松、楓の並木道が続いている。
 やがて東山道時代の関所の跡である小川の関跡から、道は二手に分かれているので右のほうの道へ入っていくが、まもなくもとの道に合流する。橋を渡り梓川を右手に見ながら進む。このあたりも松並木が続いている。

 10時48分醒井宿本陣跡を通る。
 柏原宿から1時間15分、7680歩。
FH020016-1
 加茂神社があり、ここには蟹石があり、そのすぐ横に居醒の清水がある。ここから流れ出た水は醒井宿の道端に地蔵川という小川として流れており、水がとてもきれいだ。思わず手をつけてみたが冷たくて気持ちがいい。いかにも山の中から湧き出している清水という感じだ。ここの通りにはカラスの死骸を木からぶら下げている。どういう意味があるのだろうと思って聞いてみると、あのようにしておくとカラスが近寄らないということだった。特にゴミ出しの日にはカラスがこないようにしているということだった。
 西行水もきれいな清水が湧き出していて子供達が水遊びをしていた。ここにある泡子塚は茶店の娘が西行に恋をし、西行の飲み残しの茶の泡を飲んで西行の子供を身ごもった。後にここに立ち寄った西行が生まれた子供を泡に戻し供養等を立てたという話が残っているそうだ。それにしてもきれいな清水だった。
 久礼の一里塚を過ぎ楓の並木道を歩いていくと番場宿に入る。

 11時44分番場宿本陣跡を通る。
 ここにも「明治天皇御小休所」碑がある。
 醒井宿から56分、6208歩。
FH020015-1
 「蓮華寺」という立派なお寺があり、数多くのお墓が並んでいる。後醍醐天皇が隠岐から京都に戻って鎌倉幕府倒幕を図った元弘の役で、敗れた六波羅探題北条仲時公が元弘3年(1333年)鎌倉へ向かう途中、番場の宿場で南朝軍に再び敗れ仲時以下四百三十余名悉く自刃した。時の三代住職は深く同情して、供養の墓碑を建立してその冥福を祈ったという。境内には自刃した人の数だけのお墓が並んでおり粛然とした気持ちになった。
境内には番場忠太郎地蔵がある。長谷川伸の「瞼の母」に出てくるが、あくまでも架空の人物だ。
また樹齢700年という大きな一向杉が立っていた。
FH020013-1
 今須から歩いてきた道はずっと山の中。宿場跡はあるものの食堂がない。番場には何かあるだろうと思ってきたのだが、ここもなにもない。いつものことだが飢餓状態に弱い私は困ってしまったが、どうすることもできないので、そのままとにかく先に進むことにする。
 名神の米原トンネルの上にある摺針峠を通っているとき、前方に一匹の猿がでてきた。野生の猿だ。そのうち横の木の枝が揺れだした。見るとそこにも猿がいる。前方鉄塔にも猿。全部で20匹ほどもいただろうか。大分の高崎山の猿を見たことがあるが、このように全くの野生の猿の群れを見るのは初めてだ。あわててカメラを構えたが残念ながらバカチョンカメラなのでズームが利かない。あまり近寄って行くのも危ないかなと思ってその場所から撮ったが、やはり少し遠すぎてよく写っていなかった。それでも一応そのときの写真を掲載しておきます。
FH020011-1
 峠を降りたところで村の人がいたので聞いてみると、かなり被害が出ているということだった。

 峠を下ると鳥居本宿だ。
 13時33分鳥居本宿本陣跡を通る。
 番場宿から1時間49分、8877歩。
ここの本陣跡は門がわずかに残っているだけだった。
FH020010-1
 右手に新幹線、左手に高速道路が走っている間の道を歩く。
小野町というところを通る。ここは小野小町の出生の地といわれており小野塚なるものがあった。もっとも小野小町の話は全国にあり確立されたものはないようだ。
 やがて彦根市に入りようやく町らしくなってきた。スーパーがあったのでそこで弁当を買いベンチで食べる。ようやく昼食にありつけた。
 彦根城はこの近くにある。旅を始めた当初は立ち寄る予定にしていたが、今回は行かないことにした。疲れからくる気力の減退が原因か?
 ほぼ直線の道をひたすら歩いていくと右手に岩清水八幡があり、更に行くと左手に「多賀神社大鳥居」がある。寛永十二年(1635年)多賀神社社殿と同時に建立されたもので、参道は3kmに及ぶ。
 15時23分高宮宿本陣跡に到着する。
 鳥居本宿から1時間50分、10241歩。
FH020009-1
 ここから今日のホテルに電話をして場所を確認する。自分のいる場所を説明する際、高宮の本陣跡にいると言うがわかってもらえず、大鳥居の近くと言うとすぐにわかってくれた。本陣跡から15分ほど戻ることになったが15時40分にホテルに到着する。
 中山道も残すところ一日半だ。なんとか無事に草津までたどり着きたいものだ。カメラもデジカメと違って残り枚数を気にしながら撮っているとなんとなく写真を撮るのもおっくうになってきて撮る枚数も減っている。宿に着いて書く日記もかなりアバウトになってきていて余り詳しく書いていない。こうなると後でまとめる作業はお手上げだ。何をどうしたのかが思い出せない。かといっていまさらどうすることもできないので、思い出す限りを書くだけだ。

本日の歩行時間  7時間38分
本日の歩数&距離 45760歩(約31.1km)

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